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友人たちが一致団結してマリルルカを守ると決意してから、何事もなく四日が過ぎた。
平穏な日常で最も非日常だったのは、ザッツとカノンがそれなりに友好的だったことだろう。ふたりで話しあって一日の予定を組み、マリルルカの両脇を固める。講義の選択が違うときは、都合のよい方が講義室まで送り迎えする徹底ぶりだ。
水も洩らさない構えを保つためには、協力体制の維持と志気をくじかないことが肝要である。ザッツはそれを心得て、カノンへの嫌味を減じた。忙しい予定に弱音を吐かず護衛をこなすカノンを、多少見なおしたようでもあった。
再び事件が起きたのは、五日目のことだ。
この日は入門魔法学Ⅰの講義があり、四限目の移動はカノンが一人で護衛をしていた。
四限目を終えて特別棟から本校舎へ戻る途中で、それは起こった。
――――ガシャン!
またもや異音が響いた。鉢植えの割れる音にわずかに似ていたが、音量が比べ物にならないほど大きい。
はるか頭上で鳴った異音を仰いだマリルルカは、その正体が三階の窓硝子が割れた音だと知った。
砕けた硝子が陽射しにきらめく。鋭利な輝きを放つ硝子片が、雨のように降りそそいでくる。
マリルルカは魅入られたように動けない。硝子の破片が、いやにゆっくり落ちてくるようだった。
(きれい……)
ぼんやりとそんな感想を抱く。
突然、横合いから全身をかっさらわれた。
ゆっくり進行した時間は消失し、めまぐるしく視界が変わる。それが止まると、ようやくマリルルカは状況を理解した。カノンに抱きかかえられて横転したのだ。
「……あ、いたたたた……マリーさん、怪我はありませんかぁ…?」
下敷きになったカノンが弱々しい声で尋ねてくる。
マリルルカは機敏に上体を起こし、カノンの無事を確かめる。
「私は平気よ。それより、あなた、頬が」
「あぁーちょっとかすめちゃったかな。これぐらい心配いりませんよ」
頬に赤く一筋、血が滲んでいる。マリルルカは唇を噛みしめた。
「君たち! 大丈夫か?」
一拍置いて、校舎から先生が駆けだしてきた。周囲を歩いていた生徒たちは、遠巻きにマリルルカたちを眺めている。
ざわめく生徒たちの声を背後に聞きながら、マリルルカは地面に散乱した硝子片を凝視した。次いで、三階の割れた窓を見上げる。窓枠と落ち損ねた硝子が無惨に残骸を晒している。
マリルルカは立ち上がると、駆けだした。
「……はい、三階の窓が割れて、それで――て、ええっ、マリーさん?」
先生に事情を説明していたカノンの声が、マリルルカの突発行動に面食らって裏返った。それでも慌てて追いかけてこようとして、先生に襟首をとっ捕まえられる。
「こらっ。君だけでも、きちんと説明していきなさい。怪我もしてるんだぞ」
「いや、あの、それどころじゃなくて!」
必死についてこようとするカノンへ、マリルルカは振りむいて怒鳴った。
「治療室へ行ってなさい!」
すぐそこにある本校舎の出入り口から中へ入る。廊下を横断し、眼前の階段を駆け上がった。
今ならまだ、犯人が三階にいるかもしれないのだ。
マリルルカは猛烈に頭にきていた。絶対に犯人を捕まえてやる。カノンの頬にできた一筋の傷が、降りそそぐ硝子の欠片が、幾度も脳裏で再生される。それで傷を負うのは、本来マリルルカだった。自分のわがままでカノンを傷つけてしまったのだ。
怒りの矛先は自らに向かい、それがマリルルカから冷静な判断を奪う。危険を顧みず、今すぐ犯人を取り押さえなければという考えに支配されていた。これ以上、大切な友人を傷つけられたくなかった。
二階に駆け上がり、手すりをつかんで三階へつづく階段へ方向転換しようとして、マリルルカはふと二階の廊下を確かめようと階段から離れた。
犯人が二階へ降りてきているかもしれない。もし犯人なら、駆け下りてきたり慌てていたりして、挙動不審な可能性が高かった。判別できると信じて、廊下を左右見渡した。
しかし、談笑しながら歩く生徒だけしかいない。早々に見切りをつけ、踵を返す。
「マリー、どうして一人なんだ?」
聞き慣れた声に振りかえると、降りの階段の踊り場にザッツがいた。ザッツは息が軽く切れている。マリルルカを見かけて追いかけてきたのかもしれない。
「説明は後よ!」
踊り場から階段を上りかけたザッツにそれだけ答えると、再び三階へつま先を向けようとした。
直後、背中を軽く押される。
「――――あ……」
上体が前へ傾いた。
転びそうになって、踏みとどまろうと一歩進む。
だが、勢いがついていて一歩では足りない。二歩三歩と踏みだして、その先は――――。
床がない。
足元には、降りの階段が伸びていた。
「マリー!」
マリルルカは手すりをつかんで落ちるのを阻止しようとしたが、きちんとつかみきれずに手が離れる。
ザッツが名前を呼びながら階段を駆け上がり手を伸ばすのが、一瞬視界に入る。それを映したのを最後に、マリルルカは無意識にきつく目を閉じた。
次の瞬間、強い衝撃が全身を襲った。
床に打ちつけられ、跳ねて、止まらずに転がる。床の固い感触が直接心臓に響き、呼吸が止まった。心臓だけではなく、あちこちに響いた衝撃が四肢の感覚までも奪う。しばらく動くことも声を出すこともできない。
身体に痺れが走るのを感じた途端、くぐもった呻きが口から洩れる。マリルルカは指を動かしてから、おもむろに顔をあげた。
ザッツの横顔が目に飛びこんでくる。苦悶に眉を寄せ、その瞳は閉じられている。
マリルルカはひじをついて上半身を起こそうとして、ザッツの上にいることに気づく。頭から、ザッツの手が滑り落ちた。起きあがると、腰からもだ。手が落ちても、ザッツは目を開けなかった。うめき声ひとつ洩らさず、静かに横たわっている。
「…………ザッツ、ザッツ? そんなっ、いやああああ――――!」
「マリーさん!?」
悲鳴を聞きつけて、カノンが階段を上ってくる。
マリルルカは気づかずに、ザッツの肩を揺さぶりつづけた。
「ザッツ、しっかりして。お願い目を覚ましてっ」
「マリー!」
カノンが、強くマリルルカを呼んだ。怒鳴ったのでもなく叱ったのでもなかった。ただ現実を認識させる、厳しい鋭さをこめた声だった。
マリルルカがビクリと震えて手を止めると、カノンはその手の上に自分の手を重ねる。
「揺すっちゃダメです。頭を打ってるかもしれませんから。まずはお医者さんに診てもらいましょう? すみません! 誰か……」
二階にたむろっている野次馬を見上げたカノンが、言いさした言葉を飲みこんだ。突如、弾かれたように階段を駆け上がる。そうしながら、マリーと野次馬に指示する。
「マリーさん、あとお願いします。誰か! 警邏兵を呼んで、彼を治療室へ担架で運んでもらってください!」
言いながら人垣を抜けて、野次馬の向こう側へ消えてしまう。
カノンを見送ったままマリルルカが茫然自失していると、野次馬の誰かが呼んだ警邏兵が四人やってきた。
彼らは手早くザッツを担架に乗せ、マリルルカに目立った怪我がないのを見てとると、担架の後に続いて歩くよう誘導する。警邏兵たちはマリルルカを伴い、担架を揺らさないよう細心の注意をはらって治療室へ急行した。
「脳震とうを起こしたのね。でも大丈夫よ。他に異常はないから、すぐ目を覚ますわよ」
ザッツの寝かされた寝台の前で悄然とするマリルルカに、学園専属の女医が励ますように肩をたたいた。うなずきはしたものの、マリルルカはうなだれたままだ。
「あなたも階段から落ちたんでしょう? どこか打ったんじゃない? 痛いところを見せてごらんなさい」
下を向いたまま首を横にふる。
落下したときの衝撃こそ大きかったが、特に傷めた箇所はない。だが、たとえ怪我を負っていたとしても、今はとても治療してもらう気分にはならなかった。
女医はしばらくそっとしておくのがよいと判断したのか、寝台から離れた。椅子を持ってきてマリルルカを座らせると、人さし指で診察部屋を示す。
「隣にいるから、何かあったら言ってね」
寝台を個別に隔てるカーテンを引いて、女医は診察部屋へ戻っていった。
マリルルカは眠るザッツをじっと見つめる。
「……ごめんなさい、ザッツ。ごめんなさい……」
どうして、こんなことになってしまうのだろう。これ以上、誰も傷つけられたくないと思っただけだったのに。犯人を捕まえさえすれば嫌がらせは終結し、友人たちを安心させることができるはずだったのだ。
マリルルカの双眸から涙があふれる。堰が壊れたようにこぼれ落ちる涙は、ひざにそろえて置いたこぶしを濡らす。両のこぶしに力がこもる。
――十分にわかっていた。これは自分の軽挙が引き起こした行動の結果だと。
あのとき、カノンを残して犯人を追うべきではなかったのだ。階段で背中を押されたときに、もしカノンがそばにいたら転ばないよう支えてくれただろう。押されたのはほぼ廊下側にいたときだ。支えきれなかったとしても転んだのは床の上で、階段を転落することはなかったはずである。あるいは浮き足立ってなければ、落ちる前に踏みとどまれたかもしれない。
原因がすべて自分に帰結し、マリルルカは震える。
学園に留まろうとすればするほど、さらに酷い災禍が友人を襲うのではないか。いっそすぐに学園を辞すべきなのではないだろうか。
そう考え至ると、身体の芯が凍りつくような冷たさを感じる。寂しいのか悲しいのか、それとも怖ろしいのか。そのどれもが心を凍らせようとしているのかもしれない。
マリルルカは救いを求めて、薔薇水晶を握りしめようとした。服の上をまさぐり、馴染んだ感触を探し――――。
「――――――っ!!」
言葉にならない悲鳴があがる。
そこに、馴染んだ感触はなかった。




