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説明回。
マリルルカが中等部に在籍するフリッヒドルン学園は、ヴェスハ王国の西部の地ハウンリルツにある。
その中でも高地にあたるここレルン山間に建設された学園都市は、背後を絶壁の崖が、前面をはるか下方で激流が白い飛沫をあげる急斜面の渓谷が、ぐるりと取りまいていた。街に入る唯一の経路は、対岸にせりだした崖に架かる可動式の橋だけである。
学園を守るのは、天然の要塞といえる立地だけではない。
都市を囲む外郭には物見やぐらが構えられ、橋には橋番、門には門番が常駐し、学園に出入りする者の身元や通行が認可されているかどうか、綿密に照合する。
また、警邏兵は学園の敷地内を警備するのみならず、対岸の近辺も巡回している。
「なんだか、ものものしいですねぇ……」
中等部の庭園を巡回する警邏隊を慣れない様子で見ているのは、昨日マリルルカが助けた眼鏡少年だ。褪せた藁色の髪は艶がなく、分厚いレンズに隠れているのは珍しくもない榛色の瞳。痩身で同年代の男子よりやや背は低いものの、どこにでもいるような平々凡々とした男の子である。
この眼鏡君は四日前にフリッヒドルン学園の中等部四年生として編入してきたばかりで、まだ右も左もおぼつかないらしい。
昨日、マリルルカは有言実行、別れの挨拶をしたからには何がなんでも去ってやるという意気込みで、眼鏡君の取りつく島なく置き去りにしてやった。
だが、今日登校してみれば、一限目の講義室で思いっきり鉢合わせしたのだ。家の事情で一月ほど休学していたマリルルカは、復学した今朝、初めてひ弱そうな眼鏡君が同学年だと知った。
『おはようございます! 僕、カノン・フリクトっていいます!』
と、眼鏡君は朝から元気よく名のりをあげた。その後は、マリルルカとことごとく同じ講義を選択していたらしく、午前中三限を同じ教室で過ごし、なし崩し的に昼食をいっしょに摂る羽目に陥ったのである。
「僕、こんなふうに兵隊さんがあちこちいるの、この学園に来て見たのが初めてです」
落ちつかなげに、カノンは教科書を持ち直す。
「すぐに慣れるよ」
「ええ、ここでは当たり前のことだから」
答えたのは、リューンとカロニカのシュビットラン双生児だ。男女の双子なので顔だちは似ていないが、黒髪灰瞳の色合いと真面目でもの静かな性格はそっくりだった。
「……これだから田舎者は」
そうこぼして眉をしかめたのは、ザッツ・ハーロイ。明るい茶髪をきちんと撫でつけ、制服を一部の隙なく着こなしている。線の細さは神経質そうな雰囲気をより際だたせ、理知的とも狡猾とも見える琥珀色の双眸は、彼の優秀さを物語っていた。
嫌味にまるで気がついてないように、カノンはキョトンとザッツを見た。
ザッツは鼻を鳴らして滔々と語りはじめる。
「どうして君が田舎者か分かったかって? いいかい、ふつう大きな街や都市、特に王都では決まった時刻に衛兵隊の巡回行進があるものさ。そういうのに慣れてないってことは、よほどのどかな地方出身ってことになる」
「はあ、なるほど……」
「いいかげんにしなさい、ザッツ」
マリルルカは呑気に相づちを打つ眼鏡君に苛つきながら、ザッツを諫めた。
「素性を詮索するのも自ら明かすのも、校則違反よ。懲罰を受けたくないのなら、言葉には充分気を配ることね」
「あ、そうでしたね。はい」
「………………」
カノンが素直にうなずいたのに対し、ザッツは不服そうに視線を逸らす。新入りを庇ったのが気にいらないようだ。
マリルルカは内心ため息をついた。
ザッツは権力志向が強く、この学園内にいる間に国内外の有力貴族や財産家と繋ぎをつくっておきたいと考えている。マリルルカと親しくしているのも、彼女や双子の素性を予測してのことだろう。そこに眼鏡君のようないかにも平民くさい者がいるのは、目障りでしかないようだ。
はっきり言って、マリルルカもカノンが取りまきに加わるのは御免被りたかった。
昨日の魂の叫びで明らかなように、彼女はいま命を狙われている。そうした事態に置かれている状況で、よく知らない人間をそばに寄せつけたくはない。鈍くさい眼鏡君が暗殺者だとは思わないが、巻き添えにしたらと考えると胃が痛くなるではないか。
王城の警備に勝るとも劣らない要塞である学園に戻ってきたからには、マリルルカの安全は学園外部にいるときよりも大幅に改善されたはずだ。だが、油断はするなと後見人のヴィオーダ将軍や管財人によくよく念押しされている。
本当なら双子もザッツも遠ざけたいところだが、身辺から人を離すなとも言い含められていた。ひとりという状況は、暗殺者の恰好の餌食となるからである。昔から親しい者ならなおさらそばにいてもらえ、と忠告されていた。
(十六歳になるまで、あと二ヶ月……)
そのころには再び伯爵家に帰還していることだろう。今度こそ、学園に戻れない帰還を。
二ヶ月後に起きることの意味を考え、マリルルカは複雑な表情を浮かべる。それはとりもなおさず、我が家とは呼べないあの邸で突きつけられた事実を思い出させた。
(父は、だから私を引き取った――――)
休学した一月の間のことに思考が捕らわれそうになったとき、静かな澄んだ声が彼女を呼び戻した。
「マリー様」
亜麻色のやわらかな髪をなびかせながら、水色の瞳の少女が悠然とマリルルカのもとへやってくる。
マリルルカはホッと息をつく。目の前に立ったのは、セーラ・ファストーだ。マリルルカが一番信頼する少女である。
セーラは一足先に食堂へ出向き、大人数の席取りをしてきたのだ。一月ぶりに復学したマリルルカと食事をしたいという取りまきとの折衝を、セーラが請け負ってくれていた。マリルルカには顔と名前が一致しないような、自称友人方が結構な数いるのである。
「昼食の席が調いました。皆さま、ご着席なさってます」
「そう。ご苦労さま、セーラ。では、私たちも急ぎましょうか」
内心、自称友人方にはうんざりしていたが、マリルルカは歩調を少し早めた。そうしながら、双子にちょっと目をやる。
おそらくマリルルカだけならば、二桁に上るような取りまき勢はいなかったはずだ。すべてはこの双子が彼女を慕っているために起きた事態である。
リューンとカロニカは、北方の国スフィアの王族だと見なされている姉弟なのだ。
たとえ校則で禁止されていても、そうした情報は噂として広まる。王族の彼らが親しくそばにいることが、彼女の地位をより高いものにしたのである。
リューンとカロニカが視線に気づいて、にこっと微笑む。素直な親愛を示す笑顔だ。その笑顔にほだされて、マリルルカは面倒事と知りつつも突き放すことはできなかったのだ。
王城なみと評される厳重な警備体勢は、こうした異国の王族まで籍を置くという、フリッヒドルン学園の特異な性質からくるものだった。
もともとフリッヒドルン公爵の領地であったこの地に学舎を創立したのは、十六代目のダン・カー・フリッヒドルン公だ。いまからおよそ百年ほど前のことである。
ダン・カーは自身あらゆる学問を修め、公爵業の傍ら研究に明け暮れた結果、両手の指でも余るほどの博士号を取得している。その研究を引き継がせるべき後進の育成を目的に、爵位を息子へ譲りわたし自ら教鞭をとった。
だが、かつて小国だったヴェスハでは、智にふれられる人々は限られていた。学者一門の出か、貴族階級あるいは一部の富裕層のみだ。
貴族の多くは修学にそれほど熱心ではなく、学問は教養の域をでることはなかった。先立つものがない下級層の民は、学問の意義を見いだす環境にさえない。学究の徒となる者を得るには、国内だけでは潜在的な絶対数が不足していたのである。
そこで、ダン・カーは国外からの留学生を積極的に受けいれはじめた。彼自ら優秀な人材を求めて諸国行脚したという逸話まで残っている。
しかし、当時国力に不安のあったヴェスハの私立学園に異国人が入学するのは危険が大きかった。周囲を他国に囲まれたヴェスハ王国は、いつ隣国との間で戦争が起きるかわからない不穏な情勢にあったからだ。
留学先で戦火に巻きこまれる危険は一般人でも避けたいことだが、特に支配者階級の場合はそれだけではすまない。敵の捕虜になれば交渉の札として扱われ、母国に多大な損害を被らせることになりかねない。また、現在ヴェスハと友好国であっても、いつこじれるともしれなかった。そのときヴェスハが人質として留学生を拘束するのは必至である。
こうした理由や、海のものとも山のものとも見当のつかないフリッヒドルン学園に入学しようとする異国人は、ほとんどいなかった。
だが、ダン・カーは諦めなかった。
安全を確保するために、学園を自然の要塞として機能するレルン山間に移し、私兵を投じて守りを固めた。そのさまはまさしく城塞に匹敵し、外部からの圧力に充分に抗した。
内部――ヴェスハ国に抗するために取った手段は、学園及び学園領内における自治権の奪取。言葉どおりに王国議会からもぎとった、と伝えられている。
鬼才ダン・カーは学問に優れるだけでなく、公爵在位期間には宰相まで勤めあげた辣腕政治家だ。そして彼の息子もまた、父に並ぶ政治手腕の持ち主だった。不安定な世界の情勢において他国の侵略を許さなかったのは、彼らの英知があってこそと後世でも讃えられているほどだ。
以来、フリッヒドルン学園は、ヴェスハ王国内で完全に自治領として機能している。それがとりもなおさず、王国の意向よりも生徒の安全を優先させる学園の姿勢を、国内外に知らしめる大きな要因となっていた。
また、学園がレルン山間に移設された際、山奥という地理的要因により全寮制となったため、最低限の都市機能を持たせるために、ダン・カーは厳選した農民や商人、職人といった技能者たちをここに住まわせた。都市内での自給自足は要塞としての堅固さを支え、日用品から果ては高級嗜好品まで商う店舗が軒を連ねるさまは、贅沢に慣れた上流階層をも喜ばせた。
安全と生活水準の高さの両方を備えたフリッヒドルン学園は、ついには貴族のみならず他国の王族までもが入学を希望する学舎となったのだ。それゆえに、学園は城塞と揶揄されたり、〝神の箱庭〟と讃えられたりしている。
マリルルカは学園の特性が理由で思いがけない友人ができたものだと、内心では苦笑気味の笑顔を双子に返した。
そのまま双子と他愛ない会話を交わしながら食堂へ移動する。




