4
「マリー様。リーチェド様は、どうなされたんですか」
ディグナが会いに来てくれた喜びと、再会の約束をしたうれしさにひたっていたマリルルカを、セーラが現実に引き戻した。
水をさされた形だが、マリルルカはちょうどいいと考えて、セーラと正面から向きあう。
「テッドは、求婚の返事を聞きにきたの」
セーラはあいかわらずの無表情ながら、マリルルカの視線をまっすぐ受けとめている。
マリルルカはセーラの表情を注視しつつ、顛末を語った。
「私はテッドのことを、兄として慕っていると答えたわ。テッドは……納得してくれなかったの。正式に求婚するって言ったわ」
「マリー様に結婚のご意志はないのですね」
「そうよ」
「それでは、お断りになればいいだけです。マリー様が当主であらせられるのですから。ただ、ひとつ伺ってもいいでしょうか」
マリルルカはうなずく。
セーラの表情は、平坦でまったく揺れがない。
だが、この質問がほんのわずかでもセーラの気持ちを読み解く糸口にならないだろうか。そう考えると、自然と緊張が高まる。
「求婚をお断りする理由は、それだけでございますか」
どきりとした。ディグナの顔が脳裏に浮かぶ。
これではセーラの気持ちではなく、反対にマリルルカの思いを暴かれそうだ。
一瞬悩んで、覚悟を決めた。
「好きな人がいるの。テッドにも伝えたわ」
「……ディグナ様、ですか」
「そうよ」
セーラは答えを確認すると、珍しくはっきりと感情を露わにした。無表情のまま、長く深くため息をついたのだ。吐息にははっきりと呆れと苛立ちが混じっていた。
マリルルカが憶えている限り初めての、感情豊かな態度だった。しかも、リーチェドに対する気持ちを知りたかったのに、ディグナに反応するとはどういうことだろう。あまり心情よろしくないところも気になる。
「セ、セーラ?」
「………。……よりにもよって、どうしてそちらへお行きになるんですか。明らかにあの方は、恋のお相手にもご結婚相手にも向きません。それなら、テッドさまの方がまだマシというものです」
ひどい言われようだった。そのうえ、リーチェドまで巻き添えにされている。
「マシって、そんな……でもセーラ、あなたは……」
マリルルカの言いたいことを察して、セーラは深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。テッド様をお振りになった後ですから白状いたしますが、私はマリー様がなさった誤解を利用しました。正直申しあげまして、マリー様にテッド様はお合いにならないと思っていたのです。憧れや、あるいは恋のお相手までならふさわしいかもしれません。ですが、テッド様は良くも悪くも貴族らしい方です。ご結婚しても、マリー様はお幸せになれないだろうと、差し出がましいことですが、そう考えていたのです。ですから、少しでも歯止めになればと、テッド様を好きな素振りを装いました」
マリルルカは唖然とした。次いで目眩がした。
「……それって、大きなお世話って言うのよ?」
「お怒りはごもっともです」
「……悩んだのに」
「重ねて、お詫びいたします」
ずっと頭を下げたままのセーラを見おろす。内心、吐息した。
思い返せば、温室でリーチェドに対する気持ちをセーラに尋ねた後、気まずくなるかと覚悟をしたのに、そうはならなかった。拍子抜けするほど、いつも通りだった。そのことに深く安堵したものだ。
今、マリルルカは本当に心配していたことを悟った。
セーラの肩に手を置いて、頭をあげるよううながす。
「あなたとの友情が壊れなくて、よかった……」
セーラの瞳で驚きが瞬いて消える。
腕を伸ばしたマリルルカは、セーラの背を優しく抱いた。ふふっと笑う。
「私ったら、テッドのことでセーラと気まずくなったらどうしようって、そればっかり考えてたんだわ」
「……私は、マリー様がお幸せになられれば、それでいいんです。結果、遠ざけられることになっても。……でも、おそばにこうして置いていただけるなら、それに勝る喜びはございません」
セーラを見ると、頬を微かに染めて伏し目がちに微笑している。常の無表情を見慣れているだけに、セーラのうれしさがより伝わってくる。
マリルルカはもう一度、今度は力をこめてぎゅっと抱きしめた。
しばらく友情の抱擁を味わって離れると、すでに無表情に戻っていたセーラが言った。
「マリー様。ディグナ様をお忘れください」
「セーラ。どうして……」
冷水を浴びせかけられたように、マリルルカは身をすくめる。
セーラは冷たく厳しい声で答えた。
「あの方は、あまりにも現実離れしています。あの美貌、立ち居振る舞い、そして素性までも。まるで、現にさまよいだした夢の泡のような方です。泡とは弾け壊れやすいもの。割れてしまえば、後には何も残りません」
「何が、言いたいの?」
「完璧すぎて、逆に信じられません。よしんば、それが本当の姿だとしても、ああした人離れしすぎた存在は精霊や魔物に好まれます。いずれ儚く散ってしまうでしょう」
「セーラ! 不吉なことを言わないで」
「真実です。……間違いなくマリー様を泣かせる殿方を、私は絶対に認められません」
マリルルカは言葉を失う。セーラの言い分には多分に反発を覚えたが、根底にはマリルルカの幸福を一途に願う思いがあるのだ。とてもむげにはできない。
それでも変節できない思いが、心の中心にある。マリルルカは大切なものすべてを手につかむことはできないのだと思い知った。そのことに絶望しながらつぶやく。
「……ディグナが、好きなの」
ふたりは見つめあった。
思いの強さゆえに、互いに退かないかに見えた。だが――。
「……。わかりました。私は前言を撤回いたしません。ですが、マリー様のお気持ちを拒むことも、もうしないと約束します。……いついかなる時も、おそばにいます」
たとえマリルルカが泣くことになっても、そのときもそばにいると、セーラは誓う。
いつのまにか入っていた身体の力が、一気に抜けた。マリルルカは安堵でほとんど泣きそうになりながら、それでも微笑っていた。
「ありがとう、セーラ。何よりも頼もしい言葉だわ」
セーラは小さくため息をつく。
「あらゆるものからお守りする心構えでしたが、どうしようもないこともあるものですね。できれば、マリー様には幸福な恋だけでもしていただきたかったのですけれど……」
「まさか、その相手が眼鏡君だとか言うんじゃないでしょうね」
マリルルカはちょっと疑惑をこめて、軽口をたたいてみた。
すると、セーラが真面目にうなずいた。
「ふつうに恋をして結婚し暖かい家庭をつくるには、うってつけだと思います。彼は少し頼りないところがありますが、世話好きのマリー様にはそれぐらいでちょうどいいんです。カノンさんの身分を考えれば結婚は無理でしょうけれど、幸せな恋はできるでしょう」
「いいえ、無理っ。絶対、カノンとは恋愛なんてできません!」
眼鏡君とつきあっていたら、始終イライラさせられるに違いない。それでは幸福どころか、恋愛として成立さえしないだろう。むしろ気分は姉と弟、ひどければ母子だ。
想像に頭を抱えてうめくマリルルカの目前で、セーラがぼそりとつぶやいた。
「マリー様の好みど真ん中だと思いましたのに……」
ついさっき熱く確認した友情を、わずかながら疑ってしまうマリルルカだった。
* * *
最初に飛んできたのは、頭ほどの大きさのボールだった。
よく跳ねる球で、当てあいっこして遊ぶのに使用される。休み時間に遊んでいた一団のそばを通ったとき、手許が狂ったのか、マリルルカ目がけて速球が迫った。
たまたまボールの方へ視線が向いていたので、マリルルカは一歩前へ出て避けた。
次は二日後、片手で持てる硬球が降ってきた。寮への帰途、運動部が練習している球技場に添って歩いていたときである。
遮蔽の網を越えてきたため高くゆるい球で、マリルルカの隣にいたセーラが両手で受けとめた。
その三日後、五限目の教室移動のとき、距離短縮のために屋外を校舎沿いに走り抜けていたマリルルカたちは、突然背後に異音を聞いた。
ふりむくと、芝の上に陶器の鉢植えが割れて転がっている。校舎の二階の窓が開いていて、そこから落ちたものと推測できた。しんがりは、マリルルカだった。
リーチェドの求婚に返答した日から、七日を経る間に起こったことだ。
散らばった陶器の破片を、マリルルカは凝視した。さすがに、これが当たったら洒落にならない。ひやりと冷たいものに心臓が射すくめられる。
前を走っていたいつもの面々も、破片を食い入るように見つめていた―――。
ということで。
急・展・開!
なところで、続きは来週~、です。




