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便箋を一読したマリルルカは、呆気にとられた。
文面は文章といえる代物ではなく、ほとんど書き付けだった。末尾の差出人の名前がなければ、悪戯かと勘ぐるところだ。差出人は、ラングレー・ダビトン。カラヴェイン伯爵家の管財人である。
マリルルカは便箋を凝視したまま、皆のところへ戻った。
胡散くさそうに半眼で文面をにらみつけるマリルルカを、ザッツがからかう。
「マリー。いくら熱烈な恋文だからって、そんなに熱心に読みふけって歩いていたら、思わぬところで足を取られるぞ」
「平気よ。ちゃんと周りは見えてるわ」
答えながら、ソファに腰かける。それでもまだ便箋をにらんでいるので、ザッツが少し心配そうに身を乗りだした。
「予想外に重要な手紙だったなら、部屋でじっくり読んだ方がいいんじゃないか」
「じっくり読むほど文面が長くないのよ。次の帰省のときに、某という傭兵を護衛につけます。そういう連絡事項だけなの」
実際の文面は、もっと簡潔だった。
帰省時護衛
傭兵 カノファーン・ディレイス
たったこれだけのために水盤便を使った意図が、むしろ読めない。
手紙の内容を聞いた面々も、同様の感想を抱いたのか怪訝そうだ。
「名の知れた傭兵なのか?」
これぐらいの個人情報なら校則に抵触しないと、ザッツは考えたのだろう。マリルルカもそう思い、首をひねりながら答える。
「……さあ、どうなのかしら。私は詳しくないから。知ってるかしら、カノファ……」
「ぁあっ!」
突然、眼鏡君が声をあげて立ち上がった。何事かと皆の注目が集まると、カノンは小首を傾げてテヘっと笑う。
「僕、ヴェスハ国史の課題があるんでしたー。明日提出なんで、先に寮へ戻りますね」
跳ねるようにしてお辞儀をすると、そそくさと大広間を出ていく。全員が視線でカノンを見送ってしまった。
ハッと我に返ったザッツが、すでに視界から消えた背中に毒づく。
「あの田舎者めぇ。話の腰を折るような退出をするものか、ふつう。マリー。あんな失礼なヤツとはさっさと縁を切ってしまえ」
「そこまで言うほどのことじゃないわよ。……えぇと、そうそう。カノファーン・ディレイス、という人よ」
ザッツの悪態を牽制するために、マリルルカは強引に話を戻した。それは功を奏して、ザッツは傭兵の名を口の中で転がしている。聞き覚えがないのか、思い出せないのか、しきりに首をひねった。
ふいに、カロニカがささやく。
「陽の英雄」
「カロニカ」
たしなめるように呼んだのはリューンだ。
はたと合点がいったザッツが、空を指さす。
「太陽の愛し児か! 炎剣カノンだよ」
「……ああ。それなら聞いたことがあるわ」
勇名を馳せる傭兵である。彼はその知名度に比例して多くの二つ名を持っていた。
なかでも炎剣カノンという通り名は、まさしく彼を表している。よく炎霊魔法を使い、剣技に優れた魔法剣士だという。
ちなみに、太陽の愛し児は二つ名ではなく、スフィア王国の最高位の勲章である。スフィア王家の危機を救ったという英雄譚は、一躍炎剣カノンの名を世界に広めた。スフィアでは彼に授与された勲章になぞらえて、陽の英雄という二つ名で親しまれている。
ザッツが巷間で知られている炎剣カノンの噂を挙げはじめた。
「スフィアでの活躍が一番有名だが、あちこちでも英雄譚があるんだよな。最近だと、ヴェスハの隣国ゲルドゥルで、断罪されそうになった騎士の冤罪を証明して汚名を晴らしたっていう噂だ。それだけ聞くと地味だけど、相当大きな立ち回りがあったらしい。どうも彼が絡むと、いちいち話が派手になるんだ。壊し屋とも呼ばれているが、極めつけは山砕きや破壊神なんていう二つ名だ」
「……詳しいのね」
マリルルカがちょっとたじろいでいると、ザッツは双眸を爛々と光らせた。
「興味深いからな、彼は。主を持つことをよしとせず、かといって、兵士として戦場を巡る傭兵というわけじゃない。用心棒家業っていうところかな。それで世界を股にかけて、名を馳せてるんだ。ちょっと、カッコいいじゃないか。まあ、けったいな呼び名はあるが怯えることはないよ、マリー。伝え聞くところによると、思ったより若くて、結構な美丈夫だってさ。行く先々でご婦人方を魅了してるって噂だ。それなら、子どもが泣きだすようなむくつけき巨漢じゃないよ、きっと」
好きな英雄を語るというには不敵すぎる表情で、ザッツは笑っている。
ごつい傭兵にはもちろん気後れするが、今のザッツにも十分しりごみする。マリルルカはわずかに身を仰け反らせた。
それに気づいたのかザッツは表情を改め、からかい顔でマリルルカに視線を投げる。
「ああ、でも案外、その手紙は炎剣が出させたものかもね。相手は百戦錬磨の強者だ。引っかからないように気をつけなよ」
「ザッツ。その台詞は品がないよ」
諫めるリューンに、ザッツが首をすくめてみせた。
どういう意味かと考えこんだマリルルカは、恋愛遊戯の標的にされていると言われたことに気づいて、遅ればせながら怒鳴った。
「ザッツ! そんな憶測をすること事態が侮辱よっ。彼に対してもね」
「悪かったよ、冗談だって。噂なんて、尾ひれ背びれがつくものだから当てにはならないさ。炎剣カノンの英雄譚だって、実話はたいしたことがないのかもしれない。実物が噂とはまるで別人だってこともありうるよ。……あ。今、わかった。眼鏡が急に寮へ戻った訳」
なんとなくザッツが言いたいことを察して、マリルルカが言を継いだ。
「傭兵が炎剣カノンだって気づいて、逃げたのね」
話題にあがるまで、あまりの落差に誰も閃かなかったが、同じ名前なのである。ザッツがさっきいち早くそれに気がついていたら、眼鏡君は凄まじい嫌味攻撃に曝されただろう。
「逃げ足の早さだけは、炎剣にだって勝るだろうよ」
小さく舌打ちするザッツを鑑みるに、逃げるが勝ちを地で行ったことは確かだった。
微妙な空気に陥りかけたその場に、くすくすと軽やかな笑い声が降ってくる。
ふり仰ぐと、マリルルカの後ろにリーチェドが立っていた。
「やあ、今日も麗しいね、我が従妹姫。それにしても君たちはいつも仲がいい。何? 炎剣カノンの話で盛りあがってたのかい」
「マリーが今度の帰省で、彼に護衛してもらうそうですよ」
ザッツが愛想よく答える。
リーチェドは鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。
「…………。……それは、豪勢な護衛だね」
マリルルカは遅ればせながら、有名な傭兵が護衛という情報を洩らしたのは失敗だったと頭を抱えた。生徒の素性は公然の秘密とはいえ、炎剣カノンが護衛では、後でどんな英雄譚となってマリルルカの身元が暴露されるかしれたものではない。
いつまでも頭を抱えてはいられないので、話を切り上げるためにリーチェドに尋ねた。
「何か、ご用だったんじゃなくて? テッド従兄さま」
「そうなんだ。ちょっと、いいかい」
手を差しだすリーチェドにうながされ、マリルルカは席を立つ。だが、手は取らなかった。ある予感があったからだ。
リーチェドの瞳は少し翳ったが、目線で廊下を示すと、ソファに座る面々ににこやかに退出の許可を求めた。
「マリーを借りていっていいかな。おっと、セーラも今回は遠慮願いたいんだ」
そうしてセーラも残し、リーチェドはマリルルカを伴って大広間を出た。




