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(お母さまの祈りって……?)
ディグナが指輪から視線をはずす。その眼差しをマリルルカに定め、わずかに沈思黙考すると、双眸に強い光を浮かべた。
「命を狙われていると言ったね」
マリルルカは息を止めた。てっきり、泣きじゃくりながら話した言葉など通じていないと思っていた。 どこまで彼は理解しているのだろうと青くなる。暗殺から三角関係まで、あまりに幅広い話題を赤裸々に語ってしまった。荒唐無稽だと流してくれるとよかったのにと願っても、後の祭りである。
固まったマリルルカの返答を待たずに、ディグナはつづけた。
「ごめん。校則があるし、なにより僕では貴女を守ることができないから、貴女が薔薇園で話したことには触れないつもりでいた。でも、できることがあるなら……。僕は、この学園で初めてできた友人を失いたくない」
ディグナが支えていたマリルルカの左手を引き寄せる。その左手の行方に気づいたマリルルカは、今度は心臓が止まりそうになった。
うつむいたディグナの唇が、中指の指輪に触れた。肌にあたたかな息がかかり、次いでやわらかな感触が指にもあたる。そして、ディグナは短くささやいた。声は届かないほど小さかったが、唇の動きと熱い吐息の感覚が指先から身体を駆けめぐり、マリルルカにそうと知らしめた。
熱い。一瞬、全身が耐えようもなく燃えあがる。吐息の熱が乗り移ったかのように。
だが、ディグナが唇を離すと、涼やかな風が身中の熱をさらっていった。あとに残ったのは、清らかな静謐だ。
マリルルカは茫然として、ディグナを凝視した。
「……いまのは、何……?」
「見てごらん」
ディグナにうながされ、視線を左手に落とす。
中指の指輪が、まるで最初からマリルルカの物であったかのように、ぴたりと指にはまっている。
しかし、そんなはずはない。先ほどまでは、確かにゆるかったのだ。
マリルルカは顔色を失う。声が出ない。ディグナをすがるように見て、無言で問いかけることしかできなかった。
ディグナは指輪の具合を確かめるように細かく動かしながら、慎重に話し出した。
「この銀も、薔薇水晶と同様に魔法で精錬されている。精錬石には、細工だけじゃなく、魔法を組みこむこともできるんだ。たとえば、この薔薇水晶には攻撃全般を跳ねかえす守護の魔法がかけられている。そして、精錬銀にはその守護を及ぼす範囲――指輪の持ち主を判別する魔法が組みこまれている。指輪の主以外には守護魔法が発動しないよう、制御しているんだ。だから、持ち主じゃないなら指輪をはめることさえできない。マリルルカは、指輪をはめることができた。でも、寸法が違う。指輪に認められてはいても、正しく守護する人間としては認識されていない」
指輪から手を離し、そのままマリルルカの左手に重ねて包みこむ。
「マリルルカの母上が娘を守ってくれるよう強く指輪に祈ったから、不安定ながら守護の力が働いていたんだと思う。だけど、母上は本来の持ち主じゃなかったから、きちんと譲り渡すことができなかったんだろうね。こうした性質を持たせた精錬銀は、ふつうは一人の人間が生涯持つためのものなんだ。その一人にだけ反応するよう作られている。他の人間に譲り渡すためには、始めの持ち主が強く願うか、作り主あるいは一定以上の力を持つ魔法使いが調整し直さなければならない。……勝手だと思ったけれど、マリルルカに合わせて指輪を調整し直した。不完全な守りでは、いざというときに持ちこたえられないから。僕ができるのは、こんなことぐらいだけなんだ」
マリルルカは話された内容に固唾をのんだ。
母の手にぴたりと合っていた指輪。
自らを一生守護するはずだった指輪を贈った父。
ディグナが苦く微笑みながら離そうとした両手を、マリルルカは握りしめて止めた。
「元の持ち主は、父は……母を、愛して、いたと思う?」
目を瞬かせたディグナは、頬笑みを優しい笑顔に変えてうなずく。
「愛していたよ。だから、自分の守り石を贈った。きっと、貴女ごと守るために」
その答えに、マリルルカの身体から力が抜けた。ひざをつきそうになったマリルルカを、ディグナが手を伸ばして支える。
「大丈夫?」
心配して覗きこんでくるディグナに、マリルルカはしばらく返事ができなかった。
一縷の望みは、真実あったのかもしれない。信じたいと思いながら信じていなかった、父の母への愛情が。そして、思いがけずあったのかもしれない。娘への愛情も。
「マリルルカ」
呼びかけられて、マリルルカの瞳が焦点を結ぶ。その瞳から一粒、涙がこぼれ落ちた。
涙が頬に一筋の跡を残して消えると、マリルルカはディグナの腕のなかで花がほころんだかのように笑った。
* * *
その晩、マリルルカは夢を見た。
やわらかな光の中で、小鳥の囀りのように弾む声が話しかけてくる。
『……ね? この字とこの字をとると、わたくしたち、同じ名前になるでしょう?』
『まあ! 本当ですね、お嬢様』
マリルルカ――いや、夢の役柄ではどうやら侍女らしい――は、うれしく思いながらも、この賢く優しい令嬢と同じだなんて、自分にはもったいない言葉だと小さくなってしまう。
その様子を、聡明な令嬢は見逃さない。
『わたくしと同じは、不服?』
『え! とんでもありません、光栄です! ただ、その、おそれ多いというか……』
あたふたと弁明する侍女を見て、令嬢はほがらかに笑う。
『可愛らしい子! ねえ、あなたとわたくし、実はそんなに違わないのよ。背も体つきも瞳の色も似ているわ。残念ながら、髪の色は違うし、あなたが二歳年下ではあるけれどもね。でも、わたくしのドレスを着てみることは十分できるわよね……』
『お嬢様、ご勘弁くださいませ』
たくらみ顔になる令嬢に、うなだれながら訴える。お嬢様は、隙あらば自分で着せ替えごっこをしたがるのだ。
『あら、いけない。話がずれたわ。これだけ同じなのに、どうしておそれ多いと思うのかしら。わたくしたちは、同じ年頃の娘。他に何が違うというの?』
『それは……身分が違います』
問われて、とっさに口をついてでた答えは厳然たる事実だ。片や貴族令嬢、片や使用人という身分差は大きな差違だ。
『そうね。でも、階級差は永遠のものではなくてよ。たとえば、わたくしが農家の三男坊と駆け落ちして、どこかの土地でふたりで農業を始めたら、伯爵令嬢ではなく農民となるわね。あなたが男爵の令息に見初められて嫁げば、貴族の奥方だわ。過去の身分が消えるわけではないけれど、未来はいくらでも変わるわ。貴族でも没落するときはするし、事業を大きく成功させた実業家は、爵位を持たなくても社交界で顔が利くようになる。百年もすれば、貴族はいなくなるかもしれないわね。案外、儚いものでしょう? それでも身分差が気になるのかしら。わたくしは、あなたと友人のように親しくしたいのに』
それはもちろん気になって当然というものだが、令嬢は納得してくれそうにない。だから、単なる事実ではなく、心の奥の思いをきちんと言葉にしようと奮闘する。
『身分の差があることを前提に申しあげることになりますけど、私はお嬢様にお仕えできることがうれしく誇らしいのです。初めて侍女の仕事に就いて、わからないことやうまくできないことで不安になっていた私に、お嬢様はいつも寛容で、そのうえ優しく導いてくださって……感謝してもしきれないほどです。それに、お嬢様の賢さや趣味の良さも知るにつれ、これが私のお嬢様なんだって、その、なんというか、自慢で……。そんなお嬢様と私を同等みたいに扱ってもらうなんて、おそれ多いって思ってしまうんです』
『……本当に可愛い子!』
令嬢は侍女をむぎゅっと抱きつぶした。そうして、ささやく。
『身分のせいで友人づきあいしてくれないのは不満だけれど、そこはわたくしの要努力よね。でも、ありがとう。あなたは身分だけではなくて、わたくし自身も見てくれているのね。それで、好きでいてくれてるのね?』
『えっ、えっ? は、はいぃ!』
『――――何をやってるんですか、姉さま』
呆れたふうの声が、令嬢の動きを止めさせる。抱きつぶされて目を回していた侍女は、腕がゆるめられてホッと息をついた。
『あら、道楽者の弟が帰ってきてるわ』
『お酒も賭事も、ましてや女性と遊楽にふけってもいません。いい加減、その呼び方はやめてください。誤解を生みます』
『じゃあ、反抗期でいいわ』
『姉さま! まだ留学のことを怒ってるんですか』
『わたくしは許した憶えはなくてよ。異国の学校へ行ったうえ、休みにも帰ってこないのだから、なおさらでしょう』
『……今回は帰ってきたじゃないですか』
冷ややかな態度をとっていた令嬢は、そこでようやく輝くような笑顔になった。
『ええ、そうね。おかえりなさい。元気に……していたようね。そうだわ、紹介するわね。あなたがご無沙汰だった間に、行儀見習いで新しく入った娘よ。わたくし付きの侍女で、名はエリカ。エリカ、この子はわたくしの不肖の弟――』
エリカと呼ばれたマリルルカは、令嬢の弟を見つめる。彼も眼差しをかえした。ふたりは縫い止められたように互いを見つめあう。
エリカの体は熱くなり、鼓動が早まる。それがどういうことなのか、マリルルカはすでに知っていた。エリカは令嬢の弟に恋したのだろう。
そして令嬢の弟もまた、エリカと同様の思いを抱いた瞳をしていた。
「――――お母さま?」
目覚めると、部屋の中はまだ暗闇に沈んでいた。
マリルルカは鎖に通した指輪を、夜着から取りだして握る。
指輪はほんのり熱を持っていた。春の陽射しをうけているような夢を、指輪が肯定しているかのように。
あたたかな夢。
それは、母エリカがこのとき幸せだったという思いの顕れだと、感じられた。
6章終わりです。
続きは、また来週です。




