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放課後、マリルルカは事務室へ立ち寄った。
だが、やはり飾りゴムは届けられていない。予想通りとはいえ、マリルルカは嘆息して事務室を辞去する。
マリルルカはこのとき、珍しくひとりっきりで歩いていた。六時限の講義後、セーラは教師に用事を言いつけられたので、倶楽部活動の集合時間を考慮して二手に別れたのだ。
双子やザッツ、カノンも同じ講義を採っていたが、放課後ともなればそれぞれ活動範囲が違うので、授業が終われば別行動だ。最近は、庭園までカノンがくっついてくることが多かったが、どうやら今日は他に用でもあったらしい。
先ほどの教室移動時のことがあったので、マリルルカはやや腹立ちまぎれにカノンがいなくて清々すると思いながら庭園へ向かう。
けれど、途中で気が変わった。マリルルカは煉瓦の石畳路から外れて、まばらに木立が並ぶ林へ足を踏み入れる。
「いけない、いけない。やっぱりゴムが必要だったわ」
今日の部活動で、ガゴサーナの土作りを試みようと計画していたのを、マリルルカは思い出したのだ。その作業では髪をまとめなければ邪魔になる。髪ゴムを部屋から持ってくるため、寮へ一度寄ることにした。
林に入ったのは、舗装路に沿っていくより近道だからである。道はないが、寮の屋根が木立の向こう側に小さく見えているから迷うことはない。ときどき屋根は木々に沈んだが、職員寮の尖塔だけは変わらず突き出ていたので問題なかった。
(北の塔……あれかしら)
マリルルカは無意識に、北の塔を探す。
空は雲が多く、陽光をさえぎっていた。薄暗い雲を背景にして、尖塔が四つそびえたっている。
マリルルカは塔をぼんやりと眺める。そうとは意識しないまま、彼女の瞳は北の塔の君を探していた。
だからだろうか。木立の狭間に人影が見えたとき、マリルルカはハッとした。
折も折、雲の切れ間から陽光が地上にそそぎ、人影をくっきりと浮かびあがらせる。
光をまとった人影は、後ろ姿だが少年だとわかった。輝くような金の髪が双眸に眩い。
「――――――っ!」
呼ぼうとした名は、声にならなかった。
あっという間に陽光の筋は雲間に呑まれ、地上の人影は本来の髪色を露わにしたからだ。どこにでもいるような藁色の髪――見慣れた色合いは、眼鏡少年のものだった。
まだ太陽が沈んでいないのだから人違いは当然といえば当然の結果だが、マリルルカはがっかりして肩を落とす。
(まったく何してるのよ、こんなところで――――て、え? カロニカ?)
カノンの向こう側に、少女らしき姿がある。遠目のうえ、カノンの陰にほとんど隠れてしまっているけれど、あの長くてまっすぐな黒髪は双子の片割れだろうと見当がつく。
マリルルカは声をかけようと近寄っていった。カノンだけなら見なかったことにして通りすぎるところだが、カロニカがいるなら別だ。ちょっと驚かそうと足音をひそめる。
黒髪の少女がやはりカロニカだと確認できる距離までくると、話し声も聞こえてきた。話の内容まではわからない。人気のない場所なのに、二人はさらに声量を落としている。
「――――……何も……ないの……? …………の私なら……も……だって、でき……」
「……姫が…………じゃない……。これは……です。……からと、兄君の…………」
洩れ聞こえる会話の切れ端を耳にしたマリルルカは、思わず足を止めた。
(ちょっと待って。なんだか、ものすごく個人的な話をしてる気がする……)
ここに立ち入るのはマズイかも、とマリルルカはそっと踵を返す。姫とか兄君といった単語から、カロニカがカノンに私的な事情を打ち明けてあることが推測できたからだ。
噂となるほどの素性が素性だけに、カロニカはマリルルカにも身分や身内のことを明かしてない。それゆえ、カノンにだけ秘密を分けていたことは、少し寂しい。マリルルカは「それにしたって、なぜカノン?」という大いなる謎を抱きつつ、離れようとした。
「…………だからとか、お兄さまのためだからとか、そんなことは関係ありません!」
カロニカの激した声が、マリルルカの足を再び止める。びっくりして、とっさに傍らの木の陰に隠れた。
あのおとなしやかで、立ち居振る舞いは王族らしい優雅さを誇るカロニカが、感情的な声をあげる場面を、マリルルカは想像したことすらない。それゆえに、いったい何をやらかした? と疑問の矛先は完璧にカノンへ向けられる。勢い、覗き見する体勢となった。
「どうか、気を静めて……」
カノンも驚いたのか、声量がほんの少し大きくなっている。それでも静かにたしなめる口調は、逆にカロニカの気持ちを焚きつけた。
「私は、あなただからこそっ……! どんなことでもいい、してさしあげたいのです。あなたのことを……お慕い、しています。お願い、私を」
高まった思いのせいか、カロニカの言葉は途切れる。言葉のかわりに一歩を踏みだして、カノンに寄り添う。
「ほんのわずかでいい……私を、見て……」
感極まり、泣き声になっていた。
胸に顔をうずめて泣くカロニカを、カノンは戸惑った様子で見おろす。
「…………姫」
「姫ではありません……カロニカ、と」
泣きながら訴えられ、カノンはしばらく後に観念したように従った。
「カロニカ」
小さな願いが受けいれられ、カロニカはさらに涙が止まらなくなったようだ。カノンは手をおずおずと、カロニカの背にまわす。
泣きじゃくる少女と彼女を抱く少年が、それ以上言葉を交わすことはなかった。
マリルルカは、今度こそ踵を返してその場から離れる。
(カ、カロニカって、カノンのことが好きなの? あ、だから秘密を打ち明けていたってことかしら。というか、いいの? あんな大胆に抱きついちゃったりしてっホントにいいの、カロニカ? だって相手は眼鏡君よ?)
とてつもなく動揺していた。
人見知りの気がある双子の片割れカロニカは、同じ気質のリューンの後ろにまで隠れてしまう繊細さなのだ。その彼女が、好きな人とはいえ恋人でもない異性の胸に寄り添うとは、想像を絶する事態だった。
そんな驚愕とはまた別に、マリルルカはなんだか置いてけぼりにされた気もしていた。
引っこみ思案のカロニカにだって、泣きながらでも告白を遂げるほどの思いがある。果たして、自分の中にそれほど必死になる気持ちがあるだろうか。
たとえば、リーチェドに好きだと告げるとすれば、自分はどんなふうに伝えるだろう。表情は、言葉は、そこにこめる思いの大きさは? ――――カロニカに比べれば、敵うはずがないほど軽い場面しか思い浮かばない。
恋とは、どういう感情なのだろう。マリルルカは、うすうすリーチェドに対する思いは別物だと気づきはじめていた。そうでなければ、セーラに返答しないでいいと諭されたからといって、リーチェドの求婚について深く考えないまま放置しているはずはない。
(カロニカ……カノンも、どうしても振りむいてほしい、そんな思いなのかしら)
焦るような悔しいような心持ちになってきたところで、はたとマリルルカは重大な事実に気づいた。
(ていうか、カノン! あなた、私にあれだけ思わせぶりな態度をとっておいて、なんなの、あの手は? 気持ちに応えられないなら、抱くのはダメでしょう! いくら可愛いからってカロニカまで……いえ、まさか。さすがに、そんな甲斐性はないわよね。……引き返した方がいいかしら。ううん、ダメだわ。あんなところを見られたら、カロニカが傷つく。……。……。…………だ、大丈夫よ、ね? きっと、慰めるためだけの意味よ……)
忍び足で離れつつあったマリルルカは、そっと後方を振りかえる。
ふたりはまだ同じ姿勢のまま、ひとつの影となって立ち尽くしていた。
そんな場面に割って入る勇気は湧いてこない。吐息をついて前を向くと、忍び足を続行した。
ある程度まで距離をとったマリルルカが、忍び足をやめて寮の方へ走りだす。
すると、計ったように、カノンが肩ごしに振りむいた。走り去る背をじっと見送る。
脱兎のごとく走るマリルルカは、彼の視線に気づかない。たとえ、もう一度振りかえったとしても、見られているのはわからないだろう。彼は、微かにしか首をひねっていなかったのだから。
その双眸は眼鏡に隠されて、どんな感情も読みとれなかった。
5章、終わりです。
6章は、また来週中に更新する予定です。




