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「――あのとき、テッド従兄弟さまが助けてくださらなかったらと思うと、今でもぞっとするわ。本当に、ありがとう」
「姫君を守るのは男の務めだよ。それを彼らは放棄するどころか、あまつさえ君を傷つけようとしたんだ。拳骨一発ですんで僥倖だったろう」
喧嘩に割って入ったテッドは、まずは無言で三人の従兄弟の頭に拳を見舞った。そして、救い出したマリルルカの怪我の有無を調べた。膝小僧の擦り傷を見つけると、マリルルカの肩を抱いて邸に連れ帰り、メイドに手当てを頼んだ。その間、ずっとそばにいて、労るように頭を撫でつづけてくれた。
リーチェドが楽しげに思い出し笑いをする。
「それにしても、マリーはすごいね。あのときは、マリーの手当てが優先だったから喧嘩の詳細まで聞かなかったけれど、男三人を相手に一矢どころか二矢も三矢も酬いている。初対面で、伯母上方を手玉に取ったそうだしね。応接間での出来事をエイミリカ伯母上から伺ったときは、さすがカラヴェイン家の女性だと感じ入ったよ」
「テッド。誉め言葉に聞こえないわ。貶しているの?」
きまり悪げにうつむく。頬が赤く染まった。
リーチェドはくすくす笑いながら、胸に手をあて気どった礼をする。
「もちろん、我が従妹姫に賞賛は惜しみません。カラヴェイン伯爵家といったら薔薇の花だからね。美しいゆえに棘を持つ、薔薇そのものだと誉めたんだけどな」
その手がマリルルカに伸ばされ、指先が頬をなで赤銅色の髪を絡めとる。薔薇の花を楽しむように、やわらかくあえかな触れ方で髪を梳いて、マリルルカの細い首に手をそえた。
「……昔のように、ここに身につけているんだね」
「…………」
マリルルカは呼吸を忘れて、テッドを凝視する。
首に触れたリーチェドの小指の先が、わずかに襟元に忍びこんでいた。そこから外気の冷たさとあたたかな指先の体温を感じる。人さし指がそっとマリルルカの輪郭をたどった。
「――失礼いたします。お茶をどうぞ」
セーラが、ティーカップを音もたてず丁寧に卓上へ置いた。リーチェドが持ってきたお菓子は皿に移され、茶請けとして供される。お茶の準備をすませたセーラは、何事もなかったように四阿の外まで退いて、いつでも用を聞ける、けれど目立たない場所に立った。
リーチェドもマリルルカも、しばし気抜けした表情で沈黙する。ふと、仕方がないといった風に、リーチェドが苦笑した。マリルルカに伸ばしていた手を下ろす。
「わざわざ食堂まで行って、お茶を煎れてきてくれたんだね。ありがとう」
セーラは無言で軽くお辞儀する。
マリルルカはここにきて、心臓がバクバクし始めた。なんだか突然汗が噴き出てくる。
(た、助かったあぁ。セーラ、ありがと~)
テッドに触れられていた間、心臓が止まるかと思った。呼吸は確実に止まっていた。あのままいけば、遠からず気を失ったかもしれない。今だって、椅子から転げ落ちそうなぐらい脱力してしまっている。マリルルカはいいところを邪魔されたとは微塵も思いもせず、ほとんど命の恩人のようにセーラへ感謝を捧げた。
心底ホッとしているマリルルカの頭を、テッドがぐしゃぐしゃにかきまぜる。マリルルカは非難の悲鳴をあげる。
「テッド!」
「ごめんごめん。つい、ね」
「もう……。でも、よく憶えているのね。あのときしか見せたことがないのに」
場の空気が変わり、マリルルカは安心して話を続けた。制服の下に隠した鎖に指をかけ、外へ引っぱり出す。
現れたのは、銀の鎖のペンダントだ。指先から落ちる鎖には、指輪がひとつ通されている。銀製の台座に水晶玉があしらわれた品だ。
水晶玉をじっと見つめていたリーチェドが、感嘆の吐息を洩らした。
「昔見せてもらったときも素晴らしいと思ったけれど、今でも、いや成長した今だからこそ、価値がよくわかるよ」
一般的に石が水晶ならば高価な指輪ではないが、マリルルカの水晶は特別だった。薔薇水晶――石色が薔薇色のものではなく、透明な水晶のなかに薔薇の花が咲いている細工物だ。その薔薇は瑞々しく生気に満ちて、香気さえほのかに漂ってきそうだった。
それもそのはずで、大きさこそ違うが、それは本物の薔薇なのだそうだ。水晶を魔力で結晶化させる魔法があり、薔薇を取りこんで結晶化させ小さく凝縮したものが、マリルルカの水晶なのである。
「それ、昔はぶかぶかだったね。今はどう?」
リーチェドが、指輪をはめてあげようと手を差しだす。
思わずその場面を想像してしまったマリルルカは頬を染め、しかし、首を横にふった。
「これは、お母さまのものだから……」
指輪を手のひらにのせて、複雑な表情で視線を落とす。懐かしさだけではない、苦さをも含んだ眼差しだ。
嫌悪ともとれる苦さを見てとったリーチェドは、ためらいをふりきるようにして口を開いた。
「あのときは、母上の形見だと聞いたけれど……、その指輪は……」
マリルルカは、指輪をぎゅっと握りしめた。
「ええ、わかっているわ。これはきっと、伯爵家のものだったのでしょうね。昔は知らなかったけれど、魔法石というのは宝石よりも高価な石だもの。そのうえ、この石は魔法石でも珍しい細工物。いくら裕福でも、母には買えない品だったと思うわ」
薔薇の細工が物語っている。この指輪を母エリカに贈ったのが、伯爵家当主でありながら薔薇男爵という称号で呼び慕われていた、アシュレーだったことを。
幼い頃は指輪の素性など考えが及ばず、無邪気に母の遺してくれた宝物として肌身離さずにいた。けれども、もとの持ち主があの父だと思うと、捨ててしまいたい衝動に駆られる。だが、母がとても大切にしていた指輪だ。すでに自分の一部のように馴染んでもいる。捨てることも、宝石箱に入れて遠ざけることもできなかった。
リーチェドがちょっと驚いたように目を瞠った。
「……君は、指輪の……ぁ、いや。……伯父上は、マリーの母上のことをとても愛していらっしゃったんだね」
「どうかしら」
マリルルカは指を開き、薄紅色の花弁が美しい薔薇水晶を見つめた。
結局は、母を捨てた人だ。それでも、これを贈ったときのアシュレーはエリカに愛情を持っていたのではないかと、一縷の希望を手放せないでもいる。水晶に咲く薔薇は、やわらかに幾重にも重なる花弁が華やかでありながら優しく、母を彷彿とさせたからだ。
都合のいい空想だと、マリルルカはふっと自嘲した。
「マリー……。伯父上が、嫌いかい?」
気遣わしげに、リーチェドが問いかけてくる。
マリルルカはただ沈黙した。
「……伯父上は、君をすごく大事にしていた。マリーはそうは思えない?」
「ちゃんと話したことがない人のことは、わからないわ」
淡々とした答えに、リーチェドは諦めたように吐息をつく。その気持ちを切り換えるように軽く首をふると、リーチェドは席を立った。
「じゃあ、僕はちゃんとわかってもらえるように、言葉を惜しまないようにしよう」
そう言ってマリルルカの傍らにひざをつくと、彼女の手を指輪ごと両手で包みこむ。
「辛いこと、悲しいことがあるなら、話してごらん。マリーの話なら喜んで聞く。君を、支えたい。そしていつか、僕がそばにいることが幸せだと語ってくれると嬉しい」
「テッド従兄さま……?」
真剣な眼差しを受けて、鼓動がトクンと鳴る。言葉の意味をよく吟味できないうちに、リーチェドが包みこんだ両手に口づけを落とした。鼓動が大きく跳ねる。マリルルカの手にふれたわけではないのに、やわらかな唇の感触を知ったような気がする。
マリルルカを見上げたリーチェドは優しく微笑んで、両手をほどいた。
「そろそろ、お開きにした方がいいね。……先にいくよ」
暗くなってきた空を眺めたリーチェドは、立ち上がるとセーラにも一声かけてから、温室を後にした。




