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「やはりガゴサ国の薔薇を、こちらの気候風土で原産国同様に育てるのは難しいようね。芳香が弱まっている。ガゴサは砂漠の国のうえ、ガゴサーナは乾いた土地に順応した原種ですからね。それを、さらに二期咲きに改良するのは……カートン、聞いていますか?」
熱心にガゴサーナという品種の薔薇を観察していたグリンヒル女史が、相づちさえしないマリルルカを訝って振りかえった。
「……あっ、はい! ですが、先生。ガゴサーナは標高の高い場所に自生していると聞いたことがあります。礫砂漠の印象が強いですが、山の方は緑があるそうなんです。ですから、土さえうまく合えば、本場に劣ることのない香りが出るはずです」
上の空とまでなってなかったマリルルカは、あわてて返事をした。ぼんやりしかかっていた自分を内心で叱りつつ、気持ちを引き締める。今は、大切なゼミの最中なのだ。
「それは初耳だわ。ガゴサは遠く馴染みのない国でしょうに、その話は確かなの?」
「ガゴサ国に行ったことがあるんです。話はそのとき、ガゴサの商人に聞きました」
「そうですか。では、まず土の改良を考えましょう。土については何か聞いてますか」
「残念ながら。できれば、もう一度ガゴサに行って山へ登ってきたいところです。……とりあえず、ガゴサ国の地質は地理学のマール先生にご教授願ってみます」
方針が決まったので、グリンヒル女史は次の生徒の許へ去っていく。
マリルルカはその場に残り、庭園の薔薇の世話をすることにした。ゼミの時間は研究を進めるのはもちろん、研究対象の栽培も当然カリキュラムに組みこまれている。それに庭園にいれば、この五限目のゼミが終わると、そのまま倶楽部活動に移行できる。
虫がついていないか、病気はしていないかと、マリルルカは丁寧に薔薇を見てまわる。
けれど、ふいに動きがにぶり、双眸の光が弱くなった。濃緑の葉が照りかえす陽光をぼうっと眺めている。
見かねたセーラが、マリルルカの手の甲をそっと押さえた。
「マリー様。その葉は病気ではありません」
「え……えっ、そうね。本当だわ」
手を退いたマリルルカを、セーラが気遣わしげに覗きこむ。
「どうなさいました。今日は心ここにあらずですね」
「そうかしら……」
「はい。テッド様との約束をお気になさっているのですか」
マリルルカは瞬きする。そういえば放課後に会いたいと、セーラから昨日聞かされていた。倶楽部があるのをリーチェドは知っているので、おそらく終わりごろを見計らって会いに来てくれるだろう。
しかし、リーチェドとの約束は、気にするどころか言われるまで忘れていた。それに茫然としながら、マリルルカは正直に首をふる。
「いえ、そうじゃないの。……どうしたのかしら。少し、調子が悪いのかもしれないわ」
そう答えながら、すぐに視線がさまよって、今度は教職員寮の方へ流れていく。
セーラは、それ以上追求をしなかった。ただ案じるように、主人を見守っていた。
この日の倶楽部活動の締めくくりは、温室の植物たちの世話だった。マリルルカはセーラや他の部員と水やりをしたり健康状態をひとつひとつ確かめたりしていた。
ガラス張りの壁を透かして、室内は夕焼けの茜に染まっている。南方から取り寄せられた異国の植物群のくっきりと鮮やかな緑葉は、夕日に焼かれたように黒く沈んでいる。薄闇が、そろそろと夜の訪いを告げようとする時刻だ。
温室の扉を開けて、背の高い人影が入ってきた。人影はしばし躊躇したように足を止めたが、すぐに歩を進めた。
「やあ、麗しの従妹姫。ご機嫌はいかがかな」
リーチェドが、お菓子の入った箱を顔の横で軽く振ってみせる。お菓子を近くにいたセーラに預けたのを確認して、マリルルカは温室内に設けられた四阿にテッドを案内した。
「ごめんなさい、テッド従兄さま。わざわざ温室まで足を運んでくださって」
「僕が頼んだんだから、これくらいどうってことはないよ。マリーがどうしているか心配していたんだけど、しばらく学園内ですれ違うこともなかったからね。たまたま昨日、セーラを見かけたから、約束を取りつけたんだ」
リーチェドの視線につられセーラを見やると、世話を終えた部員たちといっしょに温室を出て行くところだった。
部員たちが去ったのを確認したリーチェドは、改まった様子で切りだす。
「お父上のこと、残念だったね。突然のことだったから、びっくりしたよ。……叔父上には僕もかわいがっていただいたのに、もう会えないなんて。葬儀に出席していないせいかな、今でも遊びに行けば、伯爵邸のあの書斎にいて迎えてくださるような気がするよ」
沈痛な面もちで、組んだ両手に額を置く。
マリルルカはため息を飲みこんだ。正直、お悔やみの言葉は聞き飽きている。たとえ相手がテッドであってもだ。名も顔も知らない多くの弔問客から、さんざんお悔やみと思い出話につきあわされた。聞きたくもない話だった。
マリルルカの父、アシュレー・ヴィルエ・カラヴェイン伯爵は、一月半前に落馬が原因で重体になった。その報せを受け取ったマリルルカは学園に休学届けを提出し、通常一週間かかる帰路を、馬車を飛ばして五日で帰り着いた。
その三日後、伯爵は亡くなった。マリルルカが枕辺に立ったときには昏睡状態だったので、話はできなかった。たとえ意識があったとしても、話すことはなかっただろうが。
マリルルカが伯爵と過ごした月日は、六年強――うち三年以上は学園の寮で生活していたのだから、実質は三年ほどだ。六年前、妻を流行病で亡くした伯爵は、使用人との間に生まれた子マリルルカを邸に引き取った。それまで母方の祖父母の許で、マリルルカは育てられていた。父は、彼女が生まれる前に亡くなったのだと教えられて。
真実は、世間に掃いて捨てるほどあるような情事だ。裕福な商人の娘だった母エリカは、伯爵家で行儀見習いとして働いていた。エリカを見初め深い仲になったアシュレーは、しかし妊娠が発覚すると、身重の彼女をすぐさま解雇し実家へ送りかえしたのだった。
その後まもなくして、アシュレーは結婚した。マリルルカの母は捨てられたのだ。
美しかった母は、少なくともマリルルカの前では不幸な表情などしたことはなかった。幼いころ病で亡くなったが、憶えているかぎりではいつも楽しげに微笑んでいる人だった。
祖父母も優しく楽しい人たちで、普段はマリルルカに甘すぎるぐらいだったが、悪いことをしたときはとても厳しく叱られた。祖父母の商売を見て大きくなったマリルルカは、いずれは継ぐか、あるいは新しく商いを興そうと決めていた。
伯爵は、大好きな母や祖父母、平凡な日常、将来の夢をすべて奪いさった。いまさら父親は生きていて、自分が伯爵家の令嬢だと言われても、納得できるものではない。
そのうえ貴族ゆえの親子関係なのか、父である伯爵と顔を会わすのは食事の時だけだった。それも夕食は夜会などで留守が多く、朝食時に顔を会わせるのがやっとといった状況では、いったい何のために引き取ったのかと憤りばかりが募った。食事の時でさえ、伯爵は厳格な表情で黙々と食し、言葉を交わすのは良くて二言、三言だったからなおさらだ。
『期待はずれの娘だったんなら、家に帰してちょうだい!』
何度、そう叫びそうになったことだろう。
だが、葬儀後になってようやく、マリルルカは伯爵の思惑を知る。
伯爵は、マリルルカに爵位を継承させることを遺言した。伯爵と妻の間に子はおらず、他家に嫁いだ姉妹の子に男子は多数いたが養子とせず、己の血を唯一ひいた娘に一切合切の財産を残した。
伯爵は家族が欲しかったのではない。直系の後継者が欲しかっただけだったのだ。
(そんなくだらないことで、大切なものすべてと引き離されたなんて――!)
しかも、欲しくもない爵位のせいで、命まで狙われる羽目になった。これで命まで奪われたら、最低最悪な人生の終焉だ。冗談ではなかった。
いつの間にやら、1000PVを超えていました。
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