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お待たせしました。
夜更け、マリルルカはふと目覚めた。
香草茶のおかげで寝つきもよく眠っていたが、突然マリルルカの枕元から睡魔が駆け去ったようだった。月明かりがカーテンを透かす暗闇の中、瞬きをし身じろいでみる。どうにもしばらくは睡魔を捕まえられそうにない。
マリルルカはセーラを起こさないよう寝台から離れる。机上にいつも用意してくれている水差しの水をコップに注ぎ、のどを潤した。
人心地つき、マリルルカはカーテンのすき間から夜空を覗き見る。カーテンから透ける月光が、洋燈の灯りも必要ないぐらい明るかったので興味を惹かれたのだ。中空に坐すのは、真円の月だった。
皓月を仰ぎ、冷ややかな白い光輝が降る地上を眺める。月光は庭の陰影を際だたせ、新緑の季節を迎えたはずの木々はまるで死に絶えたように静かだ。
マリルルカはそろりと部屋の中をふりかえる。もうひとつの寝台はまるくふくらんでいて目覚める気配はない。
心中でひとつうなずいたマリルルカは、ノートを開いて書き置きを残した。靴を履き、忍び足で扉横に掛けてある制服のコートを取りに行って着こむと、また足音を殺して部屋を横断する。そして一番物音を立てやすい窓からの脱出も、滞りなくすませた。窓枠から飛び降りるというはしたない手段は、一階の部屋だからこその技だ。マリルルカは無事、月夜の散歩としゃれこんだ。
夜気はしんとして冷たい。頬にふれるそれを楽しみ、庭園をそぞろ歩く。
月明かりを存分に浴びながら、いつしかもの思いに沈みこんでいた。就寝前のやりとりを思い出す。あのときは焦っていて深く考えなかったが、セーラの態度がおかしかったような気がした。テッドが話題に上ってから、どこかよそよそしい空気が流れたように思う。その空気を何度も脳裡で思い返して、ふいにある可能性に辿り着く。
セーラは、テッドが好きなのかもしれない。
足が止まる。視線が芝生に落ちた。
これまで、セーラにそんな素振りはなかった。だが、無表情が常の彼女のこと、上手に気持ちを隠してきただけかもしれない。マリルルカがテッドに恋していると思って、戸惑っただろうか。セーラにとって、マリルルカは友である前に主人だ。主の恋路を邪魔することはできないと、恋を諦めるつもりだろうか。それとも、マリルルカを差し置いても恋の成就を願うのだろうか。
マリルルカは小さく吐息をつく。
詮無いことを考えた。恋敵の存在を夢想する前に、まず自分の気持ちをはっきりさせなければならないだろう。
テッドに対する好意が恋なのか、それとも一人っ子ゆえの優しくて素敵な兄への憧れなのか、マリルルカにはわからなかった。少なくとも今までは、分類する必要を感じないでいられた。
けれど、カノンの告白まがいの言動に接していると、自分の好意は未分化であまりにも幼いのじゃないかと思いはじめた。鈍くさくて子どもっぽい眼鏡君でさえ、迷いなく好きだと感じ、恋をしているのだ。恋ゆえに、カノンはテッドの存在を意識していたが、果たして自分ならどうだろう。
月明かりに照らされる芝を見据えながら、マリルルカはゆっくりとした歩調で歩きだす。自然と足は薔薇園の方へと向いていた。若葉に彩られた落葉樹の林沿いに進みつつ、深く思いを巡らす。
と、自らが芝を踏む以外の音を、耳が拾う。
ハッとなって顔を上げたマリルルカは、来た方向を振り返った。女子寮に遮られて姿こそ見えないが、人の声が聞こえた。
あわてて周囲を見回して、隠れる場所を検討する。声は兵士のものだろう。夜の巡回だ。いつもなら早いうちに物陰に潜みやりすごすのだが、物思いにふけってのんびりしすぎた。気配に聡いセーラを伴っていなかったのも敗因だろう。
とりあえず、マリルルカは林へ駆けこんだ。
園丁の手の入った林は地面がきれいに均されていて、木々も一本一本が十分に距離を保って生えている。昼間なら、こうして遊歩道のない場所でも林歩きを楽しめるが、さすがにほとんどの月光を葉に遮られる夜間は足元が危なっかしい。そのうえ落ち葉を踏むと、それなりの音がする。かといって、一番手前の木の後ろに隠れたのでは、手入れの良い林のこと、怪しげな人影を覆い隠しきれないだろう。
奥の方へ小走りで行き、マリルルカはどの木にしようかと少し首を巡らせた。
その目の端を、ふいに陽光のような色がかすめる。
(え?)
眩いような色に気を取られ、そちらへ向こうとした途端、二の腕をつかまれる。
「こっちへ」
抑えた声が、端的にかけられた。
だが、マリルルカはすぐには動けなかった。拒んだのではなく、ただ単純に人がいたのに驚愕して、身体が束の間竦んで固まったからだ。
硬直を解す時間も惜しかったのか、腕をつかんだ相手は彼女を強い力で引き寄せる。
「なっ、だっ」
「シッ。もう来る」
焦って頭文字しか言葉にならないマリルルカの口をふさぎ、耳元にささやく。
耳朶をくすぐる暖かな吐息にピクリと肩を震わせながら、マリルルカは直前の緊急事態を思い出し、林の外へ意識を向けた。
すると、声が聞こえてくる。
「……しっかし、この明るいのに転ぶとは、おまえ、たるんでるんじゃないか?」
「ええ~っ、たるんでるつもりはないっすよ! 思いがけず段差があっただけで!」
「いや、巡回路の把握ができてないってところが、十分たるんでる証拠だろ。こけたぐらいで、大声あげるし。おっまえ、女子寮の側で夜中に騒いで苦情がきたら、始末書もんだぞ」
「それは、ちょっと驚いちゃって。それに、そんな大声じゃ…………えっと、すんませんっした!」
寮から距離をとってから、兵士たちは会話を始めたのだろう。声量はふつうで、周りを気にしている風ではない。
木の後ろに隠れて視界の利かないマリルルカでも、声がしていれば兵士がどの辺を歩いているか大雑把に把握できる。どうやらすぐそこまで来ているようだ。歩く気配だけでは察知できず、知らない間に距離を詰められていたらしい。
ほっと息をつく。
幸運なことに片方の兵士が転んだ際にあげた悲鳴を、マリルルカは聞きつけたのだろう。それがなければ、兵士に見つかっていた。
後は息をひそめて、じっとしていればいい。そうわかっていても緊張し、ギュッと手を握りこんだ。
「以後、気をつけろ」
「はい! 気をつけます!」
敬礼でもしていそうな返事を最後に、声が途切れる。残るのは、芝を踏むかすかな足音だけだ。それもじきに消える。
「………………」
兵士の気配がなくなってからも、じっとしていた。下手に動いて物音をたて、兵士たちが存外遠のいていなかったら、せっかくやりすごせたのに台無しになる。
そろそろか、否、まだ早いかと迷うマリルルカは、その時機を思ってもみない方向から知る。
「……行ったよ」
低めの、けれどまだ子どもっぽさを幾分か残す声が、マリルルカの耳朶をかすめた。
(――――――あ、れ?)
そこで、マリルルカはようやく自覚する。自分が木の幹に直接張りついていたのではないことを。
口をふさいでいたのは、マリルルカを匿った相手の胸。片手で後頭部を押しつけ、その腕で抱えこまれるような体勢になっている。引き寄せられたときに手をやったのか、硬い胸にしがみついていた。まるっきり抱擁状態だ。しかも相手は、どう考えても男のようである。
暗い中でも、相手の肩越しにうっすらと浮びあがる木肌を見つめ、兵士たちの様子を一心にうかがっていたマリルルカは、助けてくれたらしい存在を今まですっかり意識の外へ放り出していたのだった。
「――――――――――――っ、きっ」
状態を正確に把握した途端、マリルルカは悲鳴をあげかける。
音になりかけた声は、しかし再び胸に顔を押しつけられることで阻まれた。後方に飛びのこうとしていたのも、それによって未遂に終わる。
「大声を出さないで。さすがに悲鳴があがれば、兵士たちが戻ってきてしまう」
飛びのこうとしたことで少しばかりもがいたせいか、彼はマリルルカをしっかり抱きしめて動けなくし、耳元に口を寄せた。
「約束してくれる? そうしたら放すから」
穏やかに促す声に落ち着かされ、マリルルカはしばし考える。先ほどとは違い、今の拘束は少々息苦しく、解き放たれたい。そんな状態ゆえに、兵士から隠れていた時にはゆるく押さえられていたことに気づかされ、匿ってくれたことといい、この人物がそう悪い人物ではないと結論づける。だから、約束する旨を伝えるため、うなずく。
冷静になったのを見抜いたかのように、相手がふっと微笑む気配がした。
唇が近いせいで、マリルルカの耳朶を吐息が柔らかくなでる。再びピクリと反応する身体を拘束していた力が弱まる。後頭部を押さえていた手が髪をやさしく梳くようにして、するりと下りて離れた。
「……」
マリルルカは口をつぐんで、そっと匿ってくれた相手の顔をうかがった。
月夜の木陰では闇に沈んで顔立ちまでははっきりと判別できないが、明るい髪色をしているのはうすぼんやりと見て取れる。隠れ場所を探しているときに視界の端に入ったのは、彼の髪だったのだろうか。よく見えないのが残念だと、ついじっと目を凝らす。
熱心に見つめられた相手の方は、困惑気味の苦笑を洩らした。
「……どうしたの。寒くて離れられない? それとも……誘ってる?」
「え?」
キョトンとしたマリルルカは、双眸を瞬かせた。
誘う――何に?
そして、微妙なところでぶっちぎり、
次話はまだ改稿し終わってない、という体たらくorz
しかし、これ以上の日数が開くのはなんなので、投稿します……。
また次回投稿まで、数日かかるかもしれません。




