#2 恋文騒動。
風邪も治って一段落したある日の朝、私が下駄箱の扉を開けると、そこに白いぺらっとしたものがあった。
「?」
不審に思って一瞬手に取るのをためらう。
今のご時世、色々と物騒だからだ。
けれど、このままでは上履きが取れない。
そっと手に取ると、それは封書のようだった。
表には丁寧な文字で「一条 和泉様」と書かれている。
差出人は書かれていない。
「お姉様……それはまさか」
私の困惑にめざとく気づいた仁乃が、封書の存在にも気づいた。
私は指を一本立ててしーっとジェスチャーした。
仁乃が慌てて口を噤む。
「まだ判断は早計です。確認してきます」
仁乃にそう言い置いて、私はトイレに向かった。
個室に入り鍵を掛けると、封書をもう一度改める。
表の宛て書きの文字はどちらかというと可愛らしい感じで、何となく差出人の人柄が表れているような気がする。
裏を向けると、今時珍しい蜜蝋で封がしてあった。
「まあ、手紙っていうのがそもそも古風な伝達手段ではあるんだけれど」
意を決して封を切る。
その瞬間、柑橘系の爽やかな香りが漂った。
中を改めると、練り香水が忍ばせてあった。
なかなか味な真似をする差出人である。
語感の中で一番記憶に残りやすいのは嗅覚であるという。
そういったことを差し引いても、香りのついた手紙というのはおしゃれだ。
「えーっと何々?」
便箋の文面はこうである。
○
拝啓、春うららかな季節を迎え、和泉様においてはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
さて、この度は和泉様に伝えたいことがあり、ぶしつけながらお手紙を差し上げた次第です。
本題はお手紙で申し上げる事柄ではないので、誠に勝手ながら本日の放課後、中庭の東屋にいらして頂けないでしょうか。
直接お会いして、伝えさせて頂きたく存じます。
花冷えの季節、体調を崩されませんよう、くれぐれもご自愛下さいませ。 敬具
香具山 馨
○
なんというか、手紙に慣れていない人が精一杯作法を勉強して書いた、という感じのする文面である。
嫌な感じはしない。
むしろ、頑張って書いたという好感が持てる。
問題は内容だ。
「これは……多分、そういうことなんだろうか」
恋文、という言葉が頭をよぎる。
正確には呼び出し文だが、 なんとなく間違いない気がする。
「うーん」
もしそうであるならば、まあ悪い気はしないものの、対応に困る手紙ではある。
私にはもう冬馬というれっきとした婚約者がいる訳で、差出人の気持ちに応えることは出来ないからだ。
どうしたものか。
残念ながら、香具山さんという人に思い当たる男性はいない。
冬馬のように全校生徒を記憶している訳ではないから、私が知らないだけだろう。
◆◇◆◇◆
「と、いうことなんですけれど」
「手紙を出せ。破いてやる」
物騒なことを言うのは、私から相談を受けた冬馬である。
差出人は伏せて、恋文らしきものを受け取ったことを相談したらこれだ。
満面の笑顔だが、目が据わっている。
怖い。
「ダメですよ、そんなことしては。で、お断りしに行きたいんですけれど」
「当然だ。むしろ、無視でいい、無視で」
冬馬は相変わらず目だけ笑っていない笑顔でそう言った。
だから怖いって。
「お手紙は誠実なものでした。お断りするにしても、礼儀は尽くしたいのです」
おそらくだが、差出人は冬馬と私のことを知っている。
自慢ではないが、この学園で一番有名なカップルだという自覚がある。
冬馬生徒会長の恋愛重視改革の一環として、新聞部にインタビューを受けたほどだから、よほど恋愛に興味がない限り私たちの仲は知っているはずだ。
「まあ、お前らしいが、本当に一人で大丈夫か? 相手の男が逆上したりしたら……」
「そんな性格の人が、こんな手の込んだ手紙を送ってくるでしょうか?」
なんとなく、体育会系の匂いはしない。
どちらかというと、文系かはたまたオタク系の匂いがする。
なんで分かるかって?
私がそうだからだよ。
「オレもついて――」
「きちゃダメですよ?」
「……心配だ」
冬馬はなんだか過保護になっている気がする。
まあ、色々と心配をかけてきた私にも責任があるのだけれど。
「まあ、滅多なことにはならないでしょう。何かあったら携帯で連絡しますよ」
「そうしてくれ」
ということで、無事冬馬の許可も得たので、放課後お断りを申し入れに行くことにした。
◆◇◆◇◆
「誰もいませんね」
相手を待たせてはいけないと思い授業を終えてからすぐ来たのだが、どうやら早すぎたらしい。
幸い東屋は風よけがあるので、春にしては少し寒いこの気温でも、それほど身体が冷えることはない。
「待つしかありませんね」
荷物を置いて東屋に座る。
辺りを眺めると、桜が散り始めていた。
桜色の絨毯があちこちに出来ていて、風に吹かれて流されていく。
そんな光景をぼんやり眺めていると――。
「和泉様」
涼やかな声が響いた。
振り向くと、そこには一人の女生徒が立っていた。
「あ、申し訳ありません。今少し待ち合わせをしていまして。ご用件があればまた日を改めて――」
「いえ。手紙を差し上げたのは私です」
私は一瞬意味を計りかねた。
つまり、どういうことだ?
「私が、和泉様を呼び出しました」
「あなたが、香具山 馨さん?」
「はい」
まさか女性だったとは。
いや、馨って女性名でもあるけれども。
「失礼しました、馨さん。一条 和泉です。お手紙ありがとうございました」
「いえ。それで用件なのですが――」
「まずはお座りになったら? 立ち話もなんでしょう」
「あ、はい」
そういうと馨さんは私の対面に腰掛けた。
なんとなく、馨さんを観察してみる。
背中まである長い黒髪に、今時珍しい黒縁眼鏡。
容姿は悪くない。
少し童顔だが、目に強い意志を感じる。
「それで、ご用件は?」
「あ、はい。その……」
今度はこちらから水を向けてみたのだが、馨さんはなかなか本題を口にしない。
まあ、いいづらい内容なんだろうね。
相手が落ち着くまで待とうと、のんびり観察を続ける。
しばらくして、馨さんは口を開いた。
「和泉様は、今、冬馬様とお付き合いされているんですよね?」
「ええ」
「やはり和泉様は、男性がお好きですか?」
「そうですね」
正直、いつねのことを考えるとまだ胸が痛くなるが、あれは多分、もう恋愛か友情かとかそういう域を超えている話だと思う。
冬馬には悪いが、彼女が生きていたら、冬馬との付き合いがどうなっているかは正直分からない。
「そうですか……。でも私、和泉様のことが好きなんです。お慕いしています」
「ありがとうございます。でも、馨さんのお気持ちに応えることは出来ません。ごめんなさい」
私は率直に自分の気持ちを述べた。
多分、話はこれで終わるだろうと思ったのだが――。
「はい、それは分かっているんです。私がお願いしたいのは、これからも好きでありつづけていいですか、ということなのです」
「……は?」
どういうことだろう。
「つまり馨さんは、私があなたの気持ちに応えなくてもいいと?」
「はい。片思いでいいので、好きで居続けさせて頂ければと」
変わった人だ。
健気と言えば健気だけれど、私には困惑の方が強い。
これはどう返したものか。
私はしばし考えをまとめる。
その間、馨さんはじっと私をみつめて答えを待っていた。
「片思いも、ご遠慮願えませんか?」
私の答えはこれだった。
「理由をお伺いしても?」
「例えば冬馬が同じような状況になって、誰かから思いを寄せられていると知ったら、やはり嫌だと思うんです。馨さんには申し訳ないですけれど、お断りさせて頂きます」
誰かに好いて貰えるというのは光栄なことではある。
でも、付き合っている相手のことを思えば、この申し出に頷くことは出来ないと私は思ったのだ。
これがもし手紙や告白などのない、私のあずかり知らない片思いであれば、好きにすればいいと思う。
でも、知らされてしまったのなら、けじめをつけるのが筋ではないだろうか、というのが私の考えである。
「そうですか」
しばしうつむいて沈黙した後、馨さんは顔を上げて力なく笑った。
「分かりました。この思いはきっぱり諦めます。ありがとうござました」
「お礼を言われるのはおかしいです。私は馨さんの思いに答えられなかった訳ですから」
「いえ。お礼を申し上げたいと思ったのは、そのことではないんです」
「?」
どういうことだろう。
「和泉様は一度も、同性だからということを理由になさいませんでした。私は、それが嬉しくて」
ああ、なるほど。
考えてみれば、私はそれを理由に断ることも出来たのだった。
もちろん、性的指向というのは重要な問題だから、同性であることを理由に断るのだってなんら問題はない。
ただ、私はどうしてだか、同性であるということには特に問題を感じなかったのだ。
「真剣に考えて答えて下さってありがとうございます。フラれちゃいましたけれど、和泉様を好きになってよかったです」
「……」
私はどう応えていいか分からなかったので、とりあえず愛想笑いを浮かべておいた。
それからほんの少しだけ雑談をして、私たちは分かれた。
話した時間はそれほど長くないように感じていたけれど、席を立つころには日が暮れかけていた。
◆◇◆◇◆
「ふむ。それはまあ賢明な答えだな」
翌日、冬馬に馨さんとのことを報告すると、帰ってきたのはそんな答えだった。
「しっかし、女にまで懸想されるとは、いよいよお前の人たらしは手がつけられんな」
「人聞きの悪いことを言わないで下さい」
大体、同性に想いを寄せられた経験は今回が初めてではないのだ。
仁乃という前例がある。
私が同性愛に生理的な嫌悪を覚えないのは、ステレオタイプな同性愛者ではなく、彼女というリアルな同性愛者を知っているから、というのも大きいと思う。
「でもまあ、その方は見る目がありますわね。お姉様の魅力は同性だからという理由で除外するほど軽いものではありませんので」
などという仁乃は、もう私への思いに整理をつけたらしい。
彼女とは今は親友として付き合っている。
「冬馬」
「あん?」
「私が恋文を貰ったことで、少しは動揺しましたか?」
これはちょっと聞いてみたかったことだ。
「バカ言え。オレ様が選んだ相手だぞ? そんなことくらいで動揺するか」
そう言って冬馬はからからと笑った。
これは少し勘に障った。
「……冬馬もうかうかしてると、私を取られちゃっても知りませんよ?」
「大丈夫だ」
「?」
どこが、と思っていると、急に抱き寄せられて。
「定期的にオレ様のモノアピールを欠かさないからな」
「ちょっと、冬馬!」
「ごちそうさまですわ」
にっと余裕の笑いを浮かべる冬馬とうろたえる私を見て、仁乃が処置なしと言った表情で呆れていた。
新作「私の推しは悪役令嬢。」と今後の活動について、活動報告をさせて頂きました。
よろしければご覧頂ければと存じます。
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