灰色はブラックへ
煌めく夜空の下で、焚火がそよ風にあおられ、静かに燃え上がる。
心地よかった。
頬に伝わる熱気も、ぱきりと弾ける小枝の音も、緩やかに流れていく時間さえも。
この時間は、彼にとって数少ない楽しみの一つ。
エルンストの心は、静かな幸福に包まれていた。
ちなみに、たぬきはエルンストに抱かれている。
焚火で暖は取りたい。けれど炎は怖い。
そんな二律背反の末、そのような状態になっていた。
「さて……それで……」
野宿の準備がひと段落したところで、エルンストは後回しにしていた“厄介事”へ視線を向けた。
焚火の向こう側にいるのは、旅人とは思えないほど整った身なりをした綺麗な女性。
先ほど森で現れた彼女もまた、揺れる火に照らされながら、静かにこちらを見つめていた。
「は、はい」
緊張した様子で、彼女は返事をした。
「とりあえず、自己紹介をしようか。俺はエルンスト。まあ……聖剣運搬係……に、なるのかな。はは……」
自虐を挟むつもりはなかった。
だが、今の自分について語ろうとすると、悲しいくらい他に言葉が思いつかなかった。
「わ、私はリディアです」
「そうか。よろしく、リディア。それでさっそくだけど……どうして――の前に、勇者はこれだけど、どうする?」
エルンストはひょいっとたぬきを持ち上げ、リディアへ見せる。
たぬきは短い足をばたばたと動かし、よくわからない抵抗を見せていた。
「あ、はい。その……私、勇者様に憧れて、それでこの旅に参加しようと思って冒険に……」
しどろもどろ、という言葉がよく似合う話し方だ。
しかも、無理やり事前に決めておいた台詞を読み上げているような、そんな不自然さが消しきれていない
もともと怪しんでいるからだろうか。
どうにも、その言葉を信用することが出来なかった。
いや、そもそも一緒にいるだけで、怪しい部分がどんどん増えている。
なんで貴族のような外見をしていながら、テント設営に慣れている?
特に怪しいのは、焚火を囲む今の位置取りだった。
リディアは、焚火に慣れ過ぎている。
焚火というのは案外奥が深い。
近過ぎれば熱いし、遠過ぎれば寒い。煙の流れや風向きまで考えなければ、快適には過ごせない。
だからこそ、座る位置一つで、その人間がどれほど野宿に慣れているかがわかる。
そしてリディアの位置取りは、エルンストとほぼ同レベルだった。
幼い頃から訓練を受けていた自分でもなければ、ここまで自然には出来ない。
野宿が日常の軍人か、場数を踏んだベテラン冒険者。
あるいは、過酷なキャンプを趣味にしている変人くらいしか、この域には達しないだろう。
その上――。
「それで、リディア。君の祝福は……」
「はい。見ての通り『魔法』です!」
よくぞ聞いてくれました、とばかりに、リディアは自慢げに言い放った。
【祝福:魔法】
それは文字通り、魔法を行使できるようになる祝福である。
多少珍しくはあるものの、特異性や希少性が飛び抜けているわけではない。
何の血筋でもない一般家庭からでも、百人に一人か二人程度は現れるだろう。
その程度の、ありふれた祝福だった。
だがそれでも――魔法は、あらゆる祝福の中でも最も“当たり”と呼ばれている。
重要なのは、その汎用性。
魔法は、都市部のインフラに深く組み込まれている。
たとえ最下位の魔法しか扱えない外れ寄りの祝福だったとしても、その価値は決して失われない。
例外なく、大都市の経済発展へ直結する。
つまり魔法の祝福とは、それだけで王都にて何不自由なく暮らせる権利書のようなものである。
そしてだからこそ、リディアという存在の怪しさに拍車がかかる。
攻撃魔法の習得難度は高い。
それを連発し平然としているということは、魔力量も上澄み。
つまり目の前の相手は『将来を約束されたハイキャリア級の化物』ということだった。
「それで、魔法使いの上澄み様が、なんだって“ぽんぽこたぬ勇者”の泥船に乗りに来たんだ?」
にやりと皮肉げな笑みを浮かべ、エルンストは嫌味混じりに尋ねた。
「ど、泥船なんてそんな……。勇者様の旅に同行できるなんて、大変名誉なことです!」
リディアは声を荒らげる。
けれど、その目はどこか別の方向を向いていた。
「あんたが必死に目を逸らしてる、このたぬぽんが勇者だけど?」
「す、姿形に関係はなく、勇者というのはその高潔さに……」
「拾い食いとふて寝が趣味で、ぶくぶく肥えたたぬきだけど?」
リディアは無駄にバリエーション豊かな呼び方に耐え切れず、思わず吹き出した。
「ぶふっ! ご、ごほん! 勇者とは、そこに存在するだけで、こう……素晴らしくて……」
「いや、無理があるから。そもそもさ、勇者と呼んで良いのかさえ怪しいぞ。なにせこいつ、単体だと剣を振るどころか、鞘から抜くことさえ出来ないんだから」
「えっと、それはエルンストさんが……」
「エルで良いぞ」
「あ、はい。エルさんが手伝えば、鞘から抜くことは出来るんですよね?」
「相当頑張れば、一応はな。けど、抜いたからなんだって話でもある。せめて俺が使えたら良かったんだが……」
「勇者様は、使えないので?」
「……使えると思うか?」
ジト目でエルンストは、たぬきの前足をリディアへ向ける。
つんつん。ぷにぷに。
小さな肉球は愛らしく、とても頼もしいとは言えなかった。
「えっと、剣を抱きかかえるような形にすれば……」
「そんな筋力はない」
「ですよねぇ。そもそもサイズ的にも、かなり無理がありますし……」
「というわけで……どうする?」
エルンストは呆れ混じりの口調で尋ねた。
勇者の旅に憧れているという設定は、完全に論破された。
これでリディアが同行する理由は、もう存在しない。
もし、それでもなお同行したいと言うならば――。
「それでも、出来れば旅に同行したいです」
リディアは、はっきりと意思を示した。
(――確定したな)
エルンストの中にあった疑惑は、グレーから黒へと変わる。
優秀で美人な魔法使い。
貴族並みの服装。
ベテラン並みに慣れた野営技術。
そして、明らかに誤魔化しだらけの志望動機。
笑えてくるほど、怪しかった。
ありがとうございました。




