祝福
旅に出て一月ほど経った夜。
同じタイミングで旅立った者たちのほぼ全員が、次の街で一仕事終えているであろう頃になっても、エルンストは未だどこの町にもたどり着けず、野宿をしていた。
テントの中で、ほーほーと鳥の鳴く声が聞こえる。
今日は、穏やかな夜になりそうだ。
エルンストは明日の朝食のため、ナイフで木の枝を削り、串を作っていた。
その手際は非常に良く、熟練の職人とまでは言わずとも、それに類する動きだった。
基本的にだが、エルンストは何でもそつなくこなせる。
戦闘技能から交渉、料理、治療等々冒険に必要そうなことの下地は粗方詰んでいる。
得意不得意はあるものの、普通の人間と比べればオールラウンダーと言えるだろう。
出来ないことは精々、才能必須の魔法くらいなものだ。
とはいえ、それも下地程度の話で、本職に叶うものでは決してない。
そういう祝福があるわけではなく、ただ単にエリートとして様々なことを努力してきたというだけのことだった。
【祝福】
それは、この世界の全ての人間に与えられる、神からの贈り物。
個性であり、才能であり、その者だけに与えられた長所。
誰もが神より『たった一つ』の祝福を授かり、その力と共に生きていく。
それが、この世界の当たり前だった。
祝福は、生まれ持った才能そのものでもある。
ゆえに強力な祝福は、それだけで価値を持つ。
時には地位を約束し、時には王に選ばれる資格にさえなった。
そして今――エルンストの祝福は、まともに機能しなくなっている。
この世界において、それは致命的。
器用貧乏どころではない。長所そのものを失った、ただの凡人。
いや、この世界では凡人以下の雑魚に等しい。
エリートとして生まれ、栄光ある出世街道を約束されていたというのに……。
エルンストはちらりと、隣で眠るたぬきを見る。
あほみたいに夕食を欲張った結果、腹をパンパンに膨らませ、苦しそうに眠っていた。
明らかに普通のたぬきよりもどんくさいのに、食欲と食い意地だけは通常のたぬき以上らしい。
「気づけば、自分の飯までそこそこ奪われたけど……こいつ大丈夫か……」
わざわざ動物用の食事を三匹分ほど用意したというのに、たぬきはそれを全て平らげた後、エルンストの飯まで強奪した。
食べるのは構わないのだが、濃い塩分等人間のものを暴食しても大丈夫なのか、体調的に不安だった。
とはいえ、この様子なら問題はなさそうだが……。
ナイフ作業を終え、道具を仕舞いながら、エルンストは外の様子に耳を傾ける。
気づけば鳥さえも息を潜め、静かで穏やかな時間が流れていた。
「この様子だと、今日は獣の襲撃もなさそうだ。魔物の気配もない。……次の村が近いな」
自分の記憶にある地図では、そんな場所に街はない。
おそらく小さな田舎村だろう。
エルンストは明日のために串をテーブルへ並べかけ――たぬきが悪さをして怪我をするかもしれないと思い直し、袋へしまって丁寧に奥へ移動させる。
そしてそのまま毛布にくるまり、静かに目を閉じた。
その村は、山脈に囲まれた盆地にあるため交通の便が悪く、それゆえに知る者は少ない。
小さく寂れた、何の特色もない貧しい村――『トルン』。
かつて数百年前、勇者が立ち寄った時は普通の農業村だったそうだが、資料が残っていないため事実は不明である。
地図から忘れられるほどちっぽけな村ゆえに、他の村との交流もほとんどない。
だからこそ、その周囲には危険な動物が数多く出没した。
貧しい村ゆえ、食う物に困ることは多い。
貧しい村だから外部の人を招くことなんて出来ず、装備も貧弱なまま。
その所為だろう。
トルンの酒場は、いつも荒くれ者たちで賑わっていた。
がやがやと品性のない喧噪が広がり、昼間から飲んだくれる屑ばかり。
この酒場には、悪い意味で命知らずな、考えなしの馬鹿しかいない。
なにせ彼らは、安酒のために自分の命を張り続けている。
喧嘩などしょっちゅうで、死人が出たところで反省さえしない。
一応は村の護り手であるというのに、あまりの素行の悪さにまるで感謝されず、まともな村人は酒場の傍にさえ近づかない。
そんなろくでなしの屑どもを、この村では『冒険者』と呼ぶ。
からんからんとウェルカムベルが鳴り、中でたむろしていたゴロツキ共は、一斉に酒場の入口へ目を向けた。
「……新入りか」
誰かが呟き、ニヤっと笑う。
他の常連たちも同様に、邪悪な笑みを浮かべていた。
その新入りが新たな命知らずか、外から来た世間知らずか、それはどうでも良い。
相手がどうであろうとも、常連としてここの流儀をきちんと丁寧に教えてやるだけ。
その結果、そいつが死んだなら、それはきっと不慮の事故だろう。
そしてもしも万が一、そいつがこちらの流儀に慣れ親しんでいて、こっちの誰かが死んだとしよう。
それならそれで構わない。
その時は、「ようこそクソッタレの世界へ」なんて言って、酒の一杯でも奢ってやれば良い。
この場にいるのは屑ばかり。死んだところで悲しむ奴なんていない。
だから、ビビることなど何一つあるわけが――。
ぴょこっと、優男の頭から何かが顔を出す。
それが小さな獣――『たぬき』だと気づいた瞬間、ぶわっと一気に汗を拭きだすような、悍ましき恐怖が酒場全体に広がった。
ここは小さく寂れた田舎村。
そんな田舎にさえ、その恐ろしい噂は広まっていた。
曰く――たぬきが勇者となり、その道連れとなる生贄を探している、と。
常連……いや、バーテンダーを含め、酒場にいる全員が、入ってきた男から目を逸らした。
「あの、仲間を……」
うろうろと視線を彷徨わせながら、たぬき男が口を開く。
だが、誰も目を合わせようとしない。
「冒険者の方を、一応……勇者でして……」
必死だった。
けれど、常連たちの方がもっと必死だった。
頭の上でたぬきが器用に踊っていることにさえ突っ込まないくらいには、皆。
「すいません! 冒険者の斡旋をお願いします!」
男がバーテンダーに叫ぶと、酒場全体に緊張が走る。
なにせ、ここにいる奴らは皆馬鹿で、『俺たちは命知らずの親知らず。安酒一杯で何でもやってやるよ』なんて常日頃から口走っている。
そして実際、それに偽りはなく、自分たちの命は目のまえの酒の一杯よりも軽い。
そんな彼らでさえ、たぬきのお供は嫌だった。
沈黙が続く。
カリカリという音だけが、静寂を壊していた。
たぬきが、どこからか持ってきたナッツを齧っていた。
誰も突っ込まない。
ナッツを取られた奴でさえも。
それを突っ込めば、たぬきに――そして、たぬき男に認識されるから。
「……悪いが、そういうのはやってない」
バーテンダーは、その言葉だけを絞り出した。
顔を逸らしながら抵抗するように。
けれど同時に、絶対の拒絶を込めて。
「……そうか。邪魔した」
それだけ言って、男は呆れた表情のまま、ナッツ代にしては多めの金をカウンターに置く。
そして、静かにその場を後にした。
いなくなってもしばらく緊張は続き、皆が息を止めている。
戻ってこないと皆が確信してから――全員がその場に崩れ落ち、大きく息を吐いた。
ありがとうございました。




