鳥籠の世界
激しい攻防の末、エルンストの放つ槍の刃がリシャールに深く突き刺さった。
今までのような浅い当たりではない。
人間だったら、致命傷となるような、深い当たり。
その事実に、誰よりも違和感を覚えたのはエルンスト自身だった。
それほどの手傷を、何の理由もなくリシャールが受けるわけがない。
そう、エルンストは確信していた。
「……もう良い。もうたくさん」
突き刺さる槍を握りしめ、ぽつりとリシャールは呟く。
そして――世界が、黒へと染まった。
「ああ……あああああああああぁぁぁぁぁ!」
リシャールの咆哮が轟く。
それは怒声のようにも、慟哭のようにも聞こえる。
あまりにも巨大すぎてわからないが、何か強い感情であるということだけは理解出来た。
咆哮と共に黒はより深くなり、空へと昇り巨大な球体へと形を変えた。
それでも、咆哮は続く。
獣の雄たけびのような、己が身を削るような咆哮と共に、黒い球体は巨大化していって――。
「エルさん! はなれ――」
リディアは血相を変え、慌てて叫ぶ。
けれど同時に、今から逃げても手遅れであることを理解出来ていた。
気づくのが、あまりにも遅すぎた。
球体から、触手のような何かが無数に吐き出され、放射状に地面へ突き刺さりそのまま檻の格子のように空間を閉ざす。
それはまるで、巨大な『鳥籠』のようだった。
外から、リディアは顔を顰める。
その鳥籠は、エルンストとリシャールだけを囲んでいた。
「最初から……最初からこうすればよかったんだ。俺とお前の間に、余計なものが多すぎた」
息も荒く、どこか弱った様子で、リシャールは剣を構る。
エルンストはじりじりと後ろに下がりながら、顔を顰めた。
エルンストの手元に、ハルバードが生成される。
外からでも魔法の支援は叶うらしい。
けれど……。
「気づいたか? ああ。タイミングを狙ったんだ。障壁が戻るタイミングをな」
ほくそ笑みながら、リシャールは自慢げに語った。
エルンストはリディアの方に目を向ける。
たぬもちが鳥籠の隙間に手を突っ込もうとしているが、バチっと嫌な音がして弾かれている。
どうやら、魔法以外では中に干渉出来ないようだ。
(何か……何かないか……)
必死に、エルンストは生き延びる方法を考える。
誰かのためじゃない。
それが当たり前だから。
生きることが当たり前だと、ようやく思えるようになったんだ。
だから、こんな場所で死んでなんて――。
目の前に、リシャールが迫る。
対処する手段は思いつかない。
それでも、諦めてたまるかと――。
「――剣を」
リディアの、声が聞こえた。
エルンストはハルバードを手放し、ロープを飛ばす。
ロープは聖剣の取っ手に巻き付き、エルンストの手元に。
そして――。
二つの点が、一つに交わる。
リシャールの執念が、その憎悪が、すべてぶつけられる。
その末に……リシャールは、エルンストに倒れ込んだ。
エルンストの手に握られた聖剣の取っ手。
そこから、光の剣が生み出され、リシャールを貫いていた。
『神聖強化』
聖なる力を持つ物の力を、一時的に増強する秘術。
折れた聖剣では触媒としては不完全ではあるものの、それでも最低限の効果は発揮する。
その力は微々たるもの。
たぬもちが聖剣の欠片を投げた時よりはマシ程度。
けれど、それで十分。
この鳥籠を作るためにほぼすべての力を使い果たしたリシャール相手には、それで十分だった。
こぽりと、リシャールの口から血が零れる。
さっきまでの、人とは思えないような邪悪は気配はもうなかった。
気づけば、その目も人間と同じ白へと戻っていた。
「お前……あいつを本当に信じてるのか? ごぼっ。あいつ、絶対何か隠してるぞ」
ニヤリと笑いながら、リシャールはリディアを見て、小声でそう囁く。
それはまるで、友達に語り掛けるようだった。
「まあ、そうだろうな」
そう……リディアがおかしいことなんて、とうにわかっている。
明らかに魔法の種類や質が……いや、系統そのものが違う。
完全に異質だ。
それに、知っている知識量がおかしい。
魔人、魔性障壁。
極めつけは、聖剣の威力を引き出したこの魔法。
エルンストは、ミストラウルの聖剣を偽物だと思い込んでいた程度の知識量しかない。
それに比べリディアは、聖剣の効果や能力を知り、呪文まで習得している。
これでおかしくないわけがない。
けれど、リディアの正体に裏があるなんてこと、最初からわかりきったことに過ぎなかった。
「それでも、まあ良いんだ。たとえ裏切られていたとしてもな」
「……惚れたのか?」
「いいや。俺なんかが惚れたら失礼だろ」
「お前は……相変わらず……」
リシャールが苦笑した後、光の刃が消える。
支えを失った身体が、ずるりと地面へ崩れ落ちた。
エルンストは膝をつき、倒れたリシャールへ静かに寄り添う。
最後の一瞬まで、独りにはしないように。
既にほとんどの力を失い、ただの人間でしかないリシャールに出来ることは、死を待つことのみ。
それでもなお、鳥籠だけはずっとそこに残り続けていた。
「……なあ、エル。一つ……聞いておきたいことがあるんだ。最後に……教えてくれないだろうか?」
ゆっくりと、吐血しながらリシャールは呟く。
傍で聞き耳を立てながら、エルンストは頷いた。
「お前が追放された後……。お前、貸していた金を回収していたな。あれは……なんでだ?」
その時のことを、リシャールは語る。
エルンストは大勢に貸していた金を、最後に一人残らず回収した。
返し渋る奴ばかりだったというのに、徹底的に絞り尽くした。
らしくもなく、『お前が返さないなら出ていかない』なんて脅迫紛いのことまでして。
最初、リシャールは旅のための必要資金だと思った。
小銭しか借りていない奴まで回収するなんて、せせこましいとは思うが、それならまあ納得出来る行動だろう。
けれど、違った。
エルンストは貸した金を、文字通りすべて、出ていく前に教会に寄付していた。
追放されるまでの最後の時間を使って、貸した金を回収した理由。
それは一体どんな恨みだったのか、どういう仕返しだったのか。
それ以前に、一体何が目当てだったのか。
リシャールには、その行動の理由に見当もつかない。
だから、最後の最後、命が潰える前に、その疑問を解消したかった。
理解出来ないエルンストを、それでも理解しようと努力していた。
エルンストは困惑した顔で頬を掻く。
まさか見られているとは思ってもいなかったし、そんなどうでも良いことを最後に聞きたがるとは思わなかった。
少し言いづらいことだが、最後の遺言を無碍にするつもりはなかったから、エルンストは正直に答えた。
「あー……。そう……だな。俺の所為で、そいつの信頼が消えるのが嫌だと思ったんだ」
ぽつりぽつりと、エルンストはその時のことを思い出しながら語る。
別に金を返してほしかったわけじゃない。
ただ、貸した相手が『借りた金を返さなくても何とかなる』なんて思うようになってほしくなかった。
そんな奴は、もう二度と誰からも信頼されなくなる。
金のやり取りというのは、信頼と信用そのものであるからだ。
それはもったいない。
自分なんかが追放された所為で、皆の人生が台無しになるなんてこと、許して良いわけがない。
だから、エルンストはすべての金を回収した。
徹底的に、金は借りたら返さないといけないと伝えるために。
相手の人生が、信頼に満ちたものだることを願うために。
「――って感じだな」
その言葉を聞いて、リシャールは目を丸くする。
そして、最後の言葉を絞り出した。
「やっぱりお前……気持ち悪いよ……」
そう、気持ち悪い。
いつだって誰かのためで、自分を蔑ろにして、それでいて平然とする。
不気味で、理解出来なくて、悲しくて、情けなくて。
もし、その気持ち悪さがなかったら……俺はお前と……。
「……すまん」
最後の嘆きに、エルンストはそう答えることしか出来なかった。
ありがとうございました。




