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追放貴族エルンストの受難~たぬきが聖剣を抜いてしまいました~  作者: あらまき


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例え何度倒れようとも


 その小さな魂が思考と呼べる程度に深く考えられるようになったのは、【契約】を行ってから。

 それまでのことは靄がかかったように曖昧で、それゆえに、自分が主の何を奪ったのかに気づくまでに大分時間を要した。



 彼の中にある最も古い記憶は、気まずさを感じている時のものだった。

 集落にて仲間たちと共に平穏な暮らしをしていた頃。

 決して悪い目に遭っていたわけではない。

 むしろ、振り返って考えたら相当良くしてもらっていたとわかる。


 けれど、ずっと違和感があった。

 自分だけが違うというような、そんな違和感。


 だから彼は、誰にも言わず住処を飛び出した。

 自分のいるべき場所が、違和感のない世界がどこかにあると信じて。


 そうして彼は広い世界に出て――その洗礼を受けた。


 確かに、世界は彼が思うより何倍も広かった。

 そして同時に――残酷だった。


 彼はずっと仲間たちに守られていた。

 自分で思ってより何倍も愛されていた。


 世界の残酷さと、仲間の愛。

 その二つを理解したのは、何もかもが手遅れとなった後だった。


 彼の敵は、ただの子供だった。

 何の力もない、単なる人間の子供たち。


 それは悪意でさえなかった。

 ただ彼らは、大人を真似て手作りの弓でごっこ遊びの狩りをしただけ。

 目的も、恨みもなければ欲望もなく、本当に、それだけだった。


 全身至るところに矢が刺さったまま、飽きて忘れられ、放置されて。

 痛くて、苦しくて、悲しくて。

 だけど、納得していた。


 世界とはそういうものなんだと。

 そんな状態で、彼は見つけられた。


 静かに、目があった。

 けれど、彼は何も望まなかった。

 人間に何かを望んでも意味がないと、つい先ほど知ったばかりだった。


 だが――結果として言えば、彼は助かった。

 あと数分もせず終わるはずだった小さな命は、まるで時間が巻き戻ったかのように無傷な姿となっていた。


【オーバーロード】


 その力の大半を治療に使ったがゆえの、限りなく奇跡に近い現象。

 けれど、彼はそんなことを知らない。


 ただ、目の前の人間が【主】になったこと。

 少しだけ頭が良くなったこと。

 そしてほんの少しだけ、この人間の気持ちがわかるようになったということ。


 その時彼が気づいた変化なんて、その程度のことだった。




 数日ほどして、主は旅に出て彼はついて行った。


 その時は、どうしてそうなったのか考えてさえいなかった。

 けれど長く一緒にいるうちに、彼の悲しみや寂しさに触れて、そこでようやく理解した。


 彼は、独りぼっちになったのだと。


 だから、仕方がないから一緒にいてやろうと思った。

 主だから仕方がないと思って……。


 その数日後に、彼はもう一つの真実に気づく。


 主は、集落の期待を裏切ったから捨てられた。

 主は、凄い力があったのにそれを台無しにした。


 主は、凄い力をちっぽけな命を救うために使ってしまった。


 そう……主が独りぼっちになったのは、自分に【凄い力】を使ってしまったせいだった。


 今までそんなこと、考えたことがない。

 誰かの人生を台無しにしたらどうすればいいかなんて、彼にわかるわけがなかった。


 それでも、考えた。

 この気持ちが罪悪感だとさえわからず、頑張って考えた。


 考えたけど、わからなかった。


 ならばせめて役に立とうとも考えた。

 だけど……駄目だった。


 自分が駄目な存在だと気づいたのは、割とすぐだった。


 なんてことはない。

 自分なんて、いない方が良かった。

 ただそれだけのことだった。


 役立たずで、足手まといで、主を独りぼっちにしてしまった。

 そんな悲しみだけが、彼の中に宿っていて――。


『家族』


 そう、主は言ってくれた。

 主従じゃない。

 奴隷じゃない。


 主にとって自分は、家族だと。


 心が伝わるから、それが本気だとわかってしまう。

 それが嬉しくて、申し訳なくて、だけどやっぱり嬉しくて……。


 だから……だから彼は立ち上がる。

 何度でも、どうしようもなくても。


 自分が役立たずだということは、誰よりも知っている。

 けれど……役立たずであることは、諦める理由にはならない。


 それを誰よりも、彼は知っていた。


 全身血まみれで、内臓は破裂して。

 それでも今度は、自分の意思で立ち上がる。


 こんなの、大したことじゃない。

 主がいなかったあの日に比べたら、傷のうちに入らない。


 遠くで、主の慟哭が聞こえる。

 悲しんでいるのがわかる。


 大丈夫だよ。

 一人じゃないよ。

 僕は何もできないけど、それでも、ご主人様のために頑張るよ。


 ふらふらした体を起こし、壁を叩く。


 かっ、かっ、かっ。

 肉球に突き刺さった剣の破片が、その度に突き刺さる。


 かっ、かっ、かっ、かっ、かっ……。

 何度も、何度も壁を叩く。


 ここからご主人様を出してあげるんだ。

 ご主人様が逃げられるようにするんだ。


 そして、ご主人様が楽しいと言っていた旅をまたするために、だから――。


『だからお願い――届いて――』


 かっ。


 それは、小さな、ほんの小さな傷。

 境界を打ち破るような力などなく、数秒もすれば修復される、無意味かつ無駄な一手。


 だけど、その一手が……その無駄な足掻きが、今この瞬間だけ、意味を紡いだ。




 ぴしり。

 ありえない音が聞こえ、リシャールは笑うのを止めた。


 じっと、その無駄なことをする獣を見つめる。

 破れるわけがない。

 届くはずがない。


 あれが真の聖剣の使い手ならば、その可能性もあるかもしれない。

 だが、鍛えてもいない獣の、それも剣の破片にそんな力はない。


 けれど、確かに聞こえた。


 再び、ぴしりと割れる音が響き、そして――。


 一瞬で、外周の黒すべてに目で見えるほどの巨大な罅が入る。

 直後、すべての壁が同時に、ガラスのように割れ散った。


「届いたよ。君の頑張りが」

 その女性は、小動物を優しく抱きかかえた。


 エルンストの目に、輝きが戻る。

 失ったと思ったものが、そこにあった。


「お待たせ」

 そう言って、たぬもちを抱きしめながらリディアは微笑んだ。


ありがとうございました。

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