同じ目線、同じ過去、同じ想い
ぜぇぜぇと、荒い呼吸を必死に整え、エルンストは立ち上がる。
途切れかけた意識をつなぎ止め、霞む思考を無理やり研ぎ澄ませた。
大丈夫、まだ戦える。
そう自分に言い聞かせるように呟き、エルンストは随分と軽くなった剣へ視線を落とした。
取っ手だけとなった残骸を投げ捨て、聖剣を鞘ごと構えた。
「……ふむ。まあ、俺としてはどっちでも良いんだけどさ、らしくないじゃないか。エル」
リシャールは雑に剣を肩へ担ぎ、そう口にした。
「何の……話だ?」
「昔の君なら、“らしい”と思ったかもね。あの頃の君はまっすぐで、純真無垢なくせに前だけを見ていた。……ああ、まさしく勇者みたいだった。あの頃は反吐が出るほど嫌いだったけど、今にして思えば、あれはあれで可愛かったよ」
「本当……お前の言葉は何一つわからん」
「わからなくても良いさ。今の俺を知ってくれれば。ただ、俺の言いたいことは一つだ。諦めないなんて、“らしくない”じゃないか。生きることに怠惰な君らしくない」
まるで心配しているかのような口ぶりで……けれど、その瞳はどこまでも冷めていた。
そう、怠惰。
エルンストという男は、惰性でしか生きていない。
今のように圧倒的戦力差を見せつけられ、勝ち目のない状態で戦いを続けるなんてこと、絶対にしない。
こいつは、こんな目をする奴じゃない。
こんな……明日を見つめる、生きた目を。
リシャールはそのことが、疑問であった。
「どうでも良いだろ。そんなことは……よぉ!」
踏み込み、エルンストは鞘のまま聖剣を叩きつけた――けど、衝撃はこれまで同様リシャールに触れた瞬間、すっと消えた。
「残念。無駄なんだ」
リシャールは申し訳なさそうに笑い、剣を構える。
次の瞬間――斬撃が爆ぜた。
爆音と共に、衝撃波が襲い掛かる。
たった一振り。
それだけで、無数の剣戟がぶつかり合うような轟音が響き渡った。
けれど――今度は耐えられる。
地面をえぐる勢いで踏ん張り、聖剣を盾代わりに押し立てる。
全身を軋ませながらも、エルンストはどうにかその一撃を受け止め――。
「もしかして、聖剣があれば何とかなると思ってる?」
リシャールは微笑みながら、尋ねた。
エルンストは答えない。
けれど、そんな風に考えるわけでは決してない。
たとえ聖剣が万全に使え、リシャールがかつてのままであったなんてこちらに都合の良い状態で仮定したとしよう。
それでもなお、エルンストに勝ちの目はない。
それならば、何故戦っているのか。
リシャールの言う通り諦めてしまえば良いのに。
その理由は単純に、今死ぬわけにはいかないから。
今ここで死んでしまえば、彼女に薬草を届けることが――。
「ああ――逃げるためにか。あの子のために。なるほど。それなら納得だ」
リシャールは微笑を浮かべながら、そう断言した。
「な、なんで……」
「別に心を読めるわけじゃないよ。ただ、エルのことをずっと考えているだけ。……だけど、おかげでようやくわかったよ」
「……俺の何をわかったって?」
「どうしたら、エルが俺みたいに堕ちてくれるか」
何を――と、聞く必要はなかった。
相変わらず、リシャールの笑みは友人のように軽いもの。
けれど、彼ははっきりと、言った。
「そう――エルの大切なものを壊せば良いんだ」
どうしたら、エルンストは堕ちるのか。
追放されて、家族を失い、それでもなおまっすぐであったエルンストが壊れるのか。
邪悪となり、他者を妬み、憎み、ただそのためだけに非道に走る。
つまり自分と同じ。
見下げ果てた屑になり果てるにはどうしたら良いかを、リシャールは考え続け――そして、理解した。
今のエルンストには、まだ大切なものが残っている。
それをすべて失わせれば、きっと自分と同じところに――。
「逃げろ!」
エルンストは叫んだ。
それは力ある言葉だった。
理性ある限り使わぬと決めていた。
それでも、今はその誓いを破る。
自らの従僕に決して逆らえぬ強制的命令権。
それを、たぬもちは受けこの場を走り去った。
「……ふざけるな」
押し殺した声が、喉の奥から漏れる。
「ふざけるな! この期に及んで貴様は……」
リシャールは、エルンストの胸倉を掴み、睨みつけた。
抑えていた殺気が、憎しみが、すべて溢れ、エルンストを襲う。
「この後に及んで……何故聖剣ではなくあんなものを最優先にした!? お前の大切なものは……あんな、あんな何の取り柄もない……」
リシャールの声は、震えていた。
泣いていると、勘違いするほどに。
エルンストは小さく溜息を吐いて、憐れむような同情を見せた。
「お前には、わからないだろうさ」
ふるふると震えた後、リシャールはエルンストを投げ飛ばす。
そして倒れるエルンストに近づき、おもむろにその聖剣を奪い取った。
それだけではなく、リシャールは聖剣を横に持ち、抜こうとする。
抜けるはずがない。
それは、選ばれた者にしか抜けない。
だからこそ、その剣は、聖剣と呼ばれてきた。
そのはずなのに……リシャールの手によって聖剣は、鞘より完全に解き放たれ刀身を露わにしていた。
「……どうして……いや、やはりと言うべきか」
なんとなくだけど、エルンストはこうなる気がしていた。
「ああ! 俺はその資格を得た! 今の俺は勇者と呼ぶに相応しい。そうだろう!?」
そう言って、リシャールは聖剣を自慢げに持ち、構える。
お前の大切なものを奪ったぞと喜ぶその姿は、どこか好きな女の子にちょっかいをかける男の子のようだった。
けど……。
バチィッと激しい音が鳴った。
聖剣はリシャールの手を拒絶するように弾き、その反動で彼は聖剣を取り落とした。
その様子を見て、エルンストは鼻で笑った。
「どうやら、嫌われたらしいな」
これもまた、同時に予想できた結果。
白目が黒になって、血のように赤い瞳になった勇者がどこにいるというのだ。
勇者どころか、むしろその敵に堕ちたと思った方が正しいだろう。
なにせ、自らが底まで堕ちたと言っていたのだから。
エルンストに憎しみの目を向け、聖剣に怒りを向けて――。
リシャールは、地に堕ちた聖剣に向かい、全力で己が剣を振り抜いた。
さっきまでエルンストに向けていた、手加減の剣ではない。
自らの集大成を込め、今できるすべてを込めた、奥義とも呼べる一撃。
振り抜かれた剣は甲高い金属音を打ち鳴らす。
そして聖剣は、驚くほどあっさりと砕けた。
ありがとうございました。




