一人と一匹の贖罪の旅
薬草までの道のりは、これまで通ってきた道とは違い非常に険しいものだった。
おおよそ人が通ることを想定していないと言い切っても良いだろう。
川の流れる湿地混じりの森は、人の手が入っていない完全なる自然。
平衡感覚を狂わせる迷いの森は、生い茂った木々に囲まれ、沼地に足を取られ、油断すればヒルや蛇に襲われる。
そんな場所を苦労して森を越えた先、今度は険しい渓谷なんて光景が広がった。
なるほど、確かにここなら動物も多いだろう。
ありえないくらいに自然豊かである。
森の中では蛇くらいにしか襲われていないが、正直何が出てきても驚かない。
そしてここまで来て、一つの疑問が生じる。
リシャール達は、どうやってあの巨大な獣を街まで運んだのだろうか。
森はまあ、木々をへし折っていけば強引に通ることもできるだろう。
けれど、今目の前に広がっているのは、深い断崖絶壁の谷底。
更にその奥見える岩肌むき出しの険しい山である。
どうあがいたって、荷車は通らない。
とはいえ……彼らは自分のような無能と違い、優秀な冒険者だ。
そのくらい、なんとかする術があったのだろう。
そう、エルンストは思うことにした。
ふと、何かの気配を感じエルンストは警戒態勢に入る。
気配の方角を見ると、そこに大きな獣がいた。
それは、巨大なイノシシだった。
大体目線くらいの高さがあり、ほとんどクマに近い体格をしている。
また、限りなくイノシシに近いのに、その顔立ちはどこかおかしい。
獰猛な気配や殺気の感覚、そして顔立ちと牙の形状。
なんとなくだが、肉食獣であるように感じられた。
それが、もう一頭反対側から現れる。
二頭はエルンストを囲むように立ち、そして同時に突撃してきた。
「ふむ、食ったらまずそうだな」
呟き、周囲を見る。
他にも獣の気配はあるが、このタイミングで襲ってくる様子はない。
この二頭のなわばりにでも入ったのだろう。
前後からの同時突撃で、左側面は谷底。
だから必然的に右方面に逃げるしかないが……。
「いや、右に逃げたら追い込まれるな、これ」
エルンストは冷静に、右手でロープを取り出し、投げ縄の要領で高い位置の木にくくりつける。
そして引っ張りながらジャンプし、跳び箱のように右手をイノシシの背に当て、宙返りながら飛び越えた。
ついでとばかりに、その手にはいつの間にやらナイフが握られており、イノシシの背を貫いていた。
「ぶごっ!」
背にナイフを突き立てられたイノシシは、短い悲鳴を上げて急停止する。
相方の変化に驚いたのかもう一頭も足を止め――その瞬間を狙い、エルンストはナイフを剣に持ち替え、無傷のイノシシを背から切り裂いた。
そのまま、残り一頭の顔面にナイフを投げつけながら側面に回り、下段から切り上げ、その身体を斬り裂く。
エルンストの血払いとほぼ同時に、二頭はどおんと大きな音を立て、倒れた。
剣を仕舞い、刺さりの浅いナイフを回収しながら、エルンストは顔を顰める。
「……随分と鈍ったな。どうやら、リディアに頼りすぎていたらしい」
そう、苦しそうな顔で呟く。
その左腕には、たぬもちが常に抱かれていた。
丸太を斬って橋を作り、急斜面である岩山を、ロープ一本を片手に登っていく。
このルートをクリキが教えた理由が、嫌がらせであることは最初からわかっている。
さすがにここよりはマシな道があったはずだ。
それでも、エルンストは迷わずこの道を進んでいる。
例え嫌がらせであったとしても、この道が直線最短ルートであることは、間違いのない事実であるからだ。
回り道をする時間的余裕は、彼にはなかった。
それでも、あまり嫌がらせの成果はなく、エルンストは大した苦労もなくさくさくと手際よく進んでいた。
その片腕に、常にたぬもちを抱きかかえながらであっても。
エルンストの職業適性は、極めて盗賊に近い。
それは祝福の支配を誰にするか決定していなかったため、誰でも支援できるよう万能的に能力を強化したことに加え、俊敏性やスタミナの純粋な強化に勤しんだからである。
それでも、今の進行速度は異常と言わざるを得ないだろう。
片腕がふさがった状態なのだから、なおさらにだ。
本人は大したことなんてなく、この程度誰でもできると思っているが、そんなわけがない。
ちょっと考えれば無茶してるとわかるし、今までの慎重なエルンストならこんな場所をたぬき連れで通ろうなんて思わない。
そのくらい、今のエルンストは冷静さを失っていた。
(できたら、お留守番してほしかったんだが……)
エルンストはちらりと、左腕に抱く小動物を見る。
何を考えているのか、エルンストにはまるでわからなかった。
今までは、見れば何を考えているか大体わかったのに……。
(俺の所為か)
なんとなく、見限られたような気がして、エルンストは苦笑した。
ロープをより高い木に順に飛ばしていき、ロッククライミングの要領で斜面を登っていく。
外から見たらかなり無茶をしているようにしか見えないが、これでもある程度の安全マージンは取っている。
もちろん、自分のためではなくたぬきのために。
もしもたぬもちがいなければ、壁のような斜面をダッシュで最短かつまっすぐ駆け上がっていただろう。
大体一時間くらい登ったあたりで、空は青から赤になり、冷気が辺りに漂いだす。
その辺りで、エルンストは洞窟に目を付けた。
奥行きが十数メートルほどしかない、浅い洞窟。
見る限り、動物がいる形跡もない。
と言っても、斜面に近い山という環境的に考えたらは当然のことだが。
エルンストは洞窟を天然の小屋として、入口をふさぎ、簡易の宿にする。
本音を言えば、夜になっても進みたい。
けれど、たぬもちを巻き込んでそこまでリスクの高い行動をとるわけにはいかなかった。
簡単な夕食を用意し、エルンストはさっさと眠りに付いた。
明日朝日の出と共に出発するため、少しでも体力を温存するように。
隣を見ると、既にたぬもちがお腹を餅のように膨らませて寝ていた。
何があっても、そしてどこでもぱっと眠れる。
こういうところは、正直羨ましかった。
たぬもちを微笑ましい目で見ながら、エルンストはゆっくりと息を吐く。
感情が高ぶって、すぐに眠れそうにない。
ずっと、イライラしていた。
自分の情けなさと、どうしようもなさが、この不甲斐なさがとにかく腹立たしい。
自分が死ねばリディアが助かるというのなら、迷わず頼み神に感謝を捧げるだろう。
また、イライラは環境の所為でもあった。
警戒で、感情がピリピリする。
この山に来てから、ずっとだ。
何かに見られているような、不快な感覚が続いている。
それは決して敵意はない。
けれど、そんなことは何の保証にもならない。
獣は、狩れると思うその瞬間まで敵意と殺意を秘めるのだから。
つまり、この山の獣達は、エルンストを推し量っていた。
狩人なのか、獲物なのか。
そのどちらにもなるつもりのないエルンストは、ただ余計な茶々が入らないことを願うほかなかった。
ありがとうございました。




