昏い炎(後編)
剣先が建物の高さギリギリまで範囲を使った、全力の振り下ろし。
その剣は男を寸断する――はずだった。
「おおっ! なんと鋭い一閃でしょうか。恐ろしや、ああ恐ろしや……」
そう、男は繰り返し呟いた。
指二本で、リシャールの剣をつまみながら。
「なっ!?」
オーレルが目を丸くし驚く。
なまじ剣の才能があるからこそ、今行動が決して人間には出来ぬ芸当であると、理解できてしまった。
止めるだけなら、出来る人はいるだろう。
受け流すだけなら、オーレルだって同じことが出来る。
けれど、斬撃を殺すことだけは、不可能だ。
先のは例え止めても衝撃だけで床材が砕けるような、そんな勢いの乗った斬撃だった。
それを、無音で止めて衝撃をすべて殺してみせた。
そんてこと、人間には絶対に出来ない。
リシャールは剣を引き戻し、横に飛び数歩分距離を取って、構えながら思考を張り巡らせる。
どうすれば、この魔族を殺せるかを。
怯えも、不安も、押し殺す。
まっすぐ、ただ殺意を押し通すことだけに集中して――。
「見逃してぇ……くれませんかねぇ?」
男は、そんなことを口にした。
「……何の冗談だ、それは?」
リシャールは眉をひそめる。
"見逃してくれ"なんてのは、不利な側が口にする言葉である。
この状況で、どちらが決定権を握っているのかなど、わからないはずがなかった。
「あっしみたいな小物の命と、旦那がたのような偉大な方々の命。対等ではないでしょう? もし、あっしが抵抗して怪我でもさせたら、申し訳がなくて……ひひっ」
ゴマすりのような格好で、男は言う。
何もかもが嘘くさい。
なのに、何もかもが本当だと思ってしまう。
こいつは魔族ではなく、悪魔だったのだろうか。
そう、リシャールが思うくらいに、男の言葉には不思議な力があった。
「ならば、素直に殺されろ」
リシャールの不意打ちの一閃は、剣戟の音と共に弾かれる。
手応えも、音も、鋼のそれ。
けれど男は、何もその手に持っていなかった。
「あっしのようなもんでも、命は一つ。失うのは恐ろしくて……どうかご勘弁くだされ」
「……今ようやく、嘘だと確信できた。お前……死ぬのが怖くないだろ?」
リシャールは顔を歪め、嘲笑う。
堕ちて、妬んで、苦しんで。
その果てだからだろう。
リシャールは死というものを常に近くに感じ、それゆえに一つの答えが見える。
目の前の魔族は、死ぬことに恐れを抱いていない。
他は真実かどうかわからないが、それだけは真であるとリシャールは感じられた。
「……どうやら、立派な剣士とお見受けしましたが、違うようですね」
「なら、お前には俺が何に見える? 気狂いか? それとも痴れ者か?」
「いいえまさか――勇者ですよ」
即時、リシャールの沸点は頂点に達する。
最も望み、けれど絶対に手に入らないもの。
リシャールにとって、一番触れて欲しくない痛点。
それでも、リシャールの手は動かない。
煮えたぎった心の中にある、僅かな冷たい部分。そこが、衝動に身を任せた瞬間に死ぬと、そう判断していた。
「気が変わりました。気に入りました。一つ、提案を聞いて下さいませんかね? ひひっ」
「――俺は人間だ」
「ええ、ご存じですとも。素晴らしく、美しく、それでいて脆い、素敵な人間様。ひひ……ひひっ!」
そして、男は言った。
「勇者の力に、興味ございませんか?」
おどおどと身を縮めるその姿は、まるで小動物のよう。
おっかなびっくりと怯えながら、クリキはスラム街を忍び歩きで進んでいく。
十分な技量があり、隠密にも成功しているから、スラムの住民程度なら完全に撒ける。
それでもなお、ビビリ散らかすというのがクリキという男を示していた。
あいつら先に行きやがって、とか、俺がいないと何もできない癖に、とか、そんなことを内心でぶつぶつと呟く。
クリキは臆病者である。
ビビりの小心者と言っても良い。
同時に、高い自尊心も持っている。
だから、仲間に対しても恨み言しかない。
どのようなことをされようとも、恩義などというものを欠片も感じない。
そもそも、恩義という言葉を理解しているかさえ怪しかった。
そうして、目的の建物を見つける。
戸が開いていたから、足音を殺し、中に入った。
当然、すぐに逃げられるようにしながら。
そして、そこでリシャールを見つけ、クリキは駆け寄った。
感動してなどでなく、何かあれば即座に彼を盾とするために。
とはいえ、その必要はないだろう。
他に、誰もいないのだから。
「リシャール。待たせたな。と言っても、やっぱりいなかったんだろ? 魔族なんてさ」
そう言って、ケラケラと笑う。
魔族なんているわけがない。
そんなのは、ただ国が作ったプロパガンダだ。
そう、クリキは信じていた。
だから……クリキの失敗は、本当にそれだけだった。
ちゃんと魔族がいるかもしれないと思っていれば、自分の信じたくないものを信じるだけの度量があれば、もっと早くに、その惨状に気づいただろう。
「あれ? あいつらはどこに……」
そう言って周りを見て、気づく。
いや、むしろ何故今まで気づかなかったのだろうか。
その、むせ返るような血の臭気に――。
地面に倒れ、動かなくなっている二人にクリキが気づいた時には、リシャールの剣が、彼の胴を真っ二つに裂いていた。
ごろりと二つの肉塊となり、クリキは二人の仲間入りをした。
そんな彼が最後に見たのは、無表情で見下ろすリシャールの姿。
その瞳は、漆黒と深紅に染まっていた。




