【呪い】
エルンストには、リシャールの苦しみは理解できなかった。
どれだけ申し訳なく思えたところで、その行為にあまり意味はない。
理解できないという事実に、変わりはないのだから。
ただ、剣士としてのプライドを傷つけたのだということだけは、なんとなく把握できた。
確かに、あの時聖剣はたぬもちが抜いてしまった。
だから、リシャールにはチャンスすらなかったのだろう。
そしてエルンストとしても、最も勇者に相応しい男は誰かと問われれば、リシャールだと思っている。
そう――エルンストは、誰よりもリシャールが勇者に相応しいと知っていた。
まんべんなくほどほどに何でもやってきた自分と違い、リシャールは剣一本のみを極めてきた。
近接戦闘を行えば百回やっても百回負けるだろう。
ならば、彼がチャンスを得るのは、当たり前のことに過ぎない。
エルンストは鞘を持ち、聖剣をリシャールへ差し向けた。
「……なんのつもりだ?」
睨みながら、リシャールは尋ねる。
「抜けるか試せば良い。俺としても……リシャ、あんたに持っていってほしい」
「――っ!? なれなれしく呼ぶな! 無能の分際で!?」
睨みながらも、リシャールは聖剣の柄を掴んだ。
直後、リシャールの殺意が消える。
完全に、聖剣へ集中しているのがわかった。
静かに息を整え、握る手に力が入る。
そして――。
「……残念だ。あんたなら、と本気で思ってたんだがな」
そう、エルンストは呟く。
聖剣は、微動だにしなかった。
しばらく、リシャールは立ち尽くしていた。
その表情からは、何も読み取れない。
伽藍洞のようにも見え、虚無のようにも見えた。
「……リシャール? 離してくれないか?」
鞘を持ち、ぐっと引っ張る。
けれど、鞘は動かない。
リシャールは、聖剣を握ったままだった。
「どうして……」
「ん?」
「どうして……お前なんだ! 何故お前が……お前が聖剣に選ばれた!?」
「いや、俺じゃないんだよな。俺も抜けないし」
「ふざけるな!? 何故貴様が使えない!? それも、あんなふざけた小動物如きが認められたなどと……認めない! 俺は絶対に認めないぞ!」
「ああ。俺も認めてないさ。何とかしたいと思ってる。良かったら協力してくれ。相応しい奴に渡したいんだ」
「…………は?」
「俺としては、あんたこそと思ったんだけどな」
そう言って、エルンストは微笑んだ。
仲直りしたいわけじゃない。
そこまで期待しているわけでもない。
今の自分は、落ちこぼれの追放者。
リシャールのような、希望に溢れた英雄とは違う。
ただ、事実を言っただけだ。
聖剣がなければ、たぬもちも自分も平穏な道へ戻れる。
どこか山奥に籠もり、静かに余生を暮らす――そんな平穏な道へ。
相応しき者に持って欲しい。
だけど……いや、真実だからこそ、その言葉はリシャールにとって残酷だった。
まっすぐ受け止めることができないほどに。
エルンストは知らなかった。
リシャールが、エルンストを恐れていたことを。
化物のように思っていたことを。
そしてそいつが追放され、ようやく恐怖が消えたということを。
落ちぶれて、屑となって、それで貴様はどう生きる?
誰を恨み、誰を呪う?
劣等感に苛まれる気分はどうだ?
才能ある奴に嫉妬するのはどうだ?
俺と同じように堕ちて、お前も妬み苦しめ。
そう、思っていた。
けれど相変わらず、エルンストは誰も恨んでいなかった。
何もかもを失っても、それでもなお、まっすぐに生きていた。
だからきっと、そういう奴こそが本当の勇者と呼ぶにふさわしくて――。
『俺としては、あんたこそと思ったんだけどな』
彼の言葉が、脳裏に焼き付く。
決して消えぬ傷となり、何度も繰り返される。
かさぶたを剥がすように。
切り傷をえぐるように。
消えない。消せない。
何気ない一言だからこそ、エルンストにとって真実であったからこそ……。
ああ……だからこそ……リシャール・サヴァリオンにとって、その言葉は【呪い】だった。
エルンストの腹部に、強い衝撃が走る。
次に、その光景が目に入った。
リシャールが、自分を蹴り飛ばしていた。
聖剣を、その手に持ったまま。
聖剣を奪われ、壁に背を打ち付けるエルンスト。
リシャールはエルンストが動くより早く、聖剣を背中に背負って腰から剣を抜いた。
「ちょっ!? リシャール!? それはさすがに不味いって!?」
クリキは叫び、リシャールを止めようとする。
けれど、止まらない。
その表情を見れば理解できる。
憎悪の底から這いずってきたような、その表情を見れば。
(……結局、俺には理解できなかったな)
恨むほどの関係性ではないと思っていた。
だが、どうやら恨みを積み重ねてしまっていたらしい。
エルンストはようやくに、リシャールという男の歪みに気づく。
リシャールにとって、エルンストという追放者は不俱戴天の仇であり、同じ世界に生きることさえ許されない存在のようだ。
「おい! 落ち着けって! こんな奴どうでも良いだろ!? なあ!? 殺したら不味いって!」
クリキは必死に叫び、落ち着かせようとするものの、リシャールに止まる様子はない。
逃げようと思えば、逃げられただろう。
けれど……その気が起きなかった。
そこまで憎まれているなら仕方ないという気持ちと、追放され、逃げて、嫌われて――もう疲れたという気持ち。
二つが、エルンストの足をその場に釘付けにする。
クリキをはねのけ、リシャールが剣を構えた。
切っ先をこちらへ向けた、殺意すら乗せたような鋭い構え。
エルンストはまっすぐ、向けられる切っ先を見つめた。
まるで、自分の運命を受け入れているかのように。
「そういうところが――気持ち悪いんだよ!」
リシャールの剣を握る手に、躊躇いはなかった。
鋭い突きが、襲い掛かる。
瞳を閉じたエルンストが最後に思い浮かべたのは、名前すら付けてやっていない小動物と、騒動に巻き込んだ彼女。
(悪いことをしたな)
そして――衝撃が走った。
しばらく待っても、痛みは襲ってこない。
ただ、突き飛ばされたような衝撃だけ。
それと……温かさ。
目を開けると、そこには先ほど思い浮かべていた彼女がいた――。
リディアは何も言わず、微笑んでいる。
いや、何も言えなくなっていた。
リシャールの剣に、貫かれて――。
ありがとうございました。




