どうぞたぬきの気のむくままに
憂鬱な表情で、エルンストは足を止め、背後を振り返る。
視界の果てまで続く巨大な防壁と、防壁の外からも見える大きな建造物たち。
百万を超える人口を誇る、人間世界第三位の巨大都市ミストラウル。
エルンストの、生まれ故郷。
小さな溜息が零れた。
いつかは旅に出るつもりだった。
勇者とは言わずとも、人類の英雄となるために、ミストラウルの希望の子として。
けれど現実は……。
鎮痛な表情のまま、エルンストは前を向く。
そこには、とてとてと満足気に駆け出すたぬきがいた。
おそらく、人類史上初めてのことだろう。
待ちわびた勇者が、『たぬき』だったというのは。
そして同時に、勇者の見送りがゼロ人だということも。
そう……誰も、見送りに来なかったのである。
勇者にも、エルンストにも。
追放される前のエルンストは、広い交友関係を持っていた。
多くの友人や仲間、学友や同士。
けれどその誰もが、この場にいない。
とはいえ、エルンストは彼らを恨むつもりはまったくない。
自業自得でしかないからだ。
それに、ここまで腫物扱いされたらもうしょうがないとしか言えない。
ただでさえ、サヴァリオンという名門貴族の一族を追放されたというのに、たぬ勇者なんて事案も起きている。
腫物過ぎて誰一人関わろうとしない。
エルンストも、他人事だったら自分も絶対に関わらないという自信があった。
自嘲気味に、エルンストは己が手にある聖剣に目を向ける。
鞘に納められた、伝説の聖剣ミストルテイン。
それを鞘から解き放つことが出来る存在はただ一人……いや一匹。
そう、このたぬきだけが――。
こてんと、たぬきはその場に倒れ込む。
そして『疲れてもう動けません』とでも言いたげな表情で、ちらちらとエルンストを見上げてきた。
ちなみにだが、まだ走り出して一分も経っていない。
「……はえぇよ」
呆れ顔で溜息一つ。
そしてエルンストは、頭の上にたぬきを乗せたまま、故郷を後にした。
本来なら、この場にはあと二、三人の同行者がいるはずだった。
勇者の旅には幾つもの『制約』と『目的』が定められており、その中には旅の人数すら含まれているからである。
けれど、常識的に考えてそれは不可能だった。
想像してみて欲しい。
明日を夢見る希望溢れる冒険者に向かって、「たぬきが勇者になったんだけど、その旅についてきてくれない?」などと言って、まともな返事が返ってくるだろうか。
そもそも、同行者が気軽に見つかるようなら見送りゼロ人勇者なんて不名誉な実績を得ることはなかった。
少なくとも、悪評が轟ききったこのミストラウルでは、同行者が見つかる可能性は欠片もない。
よって当面の目的は、各地を転々としていけに……同行者を探すこととなる。
正直、見つかる気は欠片もしないけれど。
ふと、頭の上のたぬきが何かを訴えるように突然ぺしぺしと頭を叩き出す。
なんとなくだが、エルンストには言いたいことがわかった。
どうやら、行って欲しい場所と違うらしい。
「ゆ!」
そう叫び、頭の前脚でびしっと前を指す。
良く見えないけど、そっちに行けということなのだろう。
「俺の役職は『馬車代わり』と『聖剣運搬係』のどっちがマシなんだろうな」
呟きながら、エルンストはたぬきの指示に従い道から大きく外れ、道なき道を進む。
過酷な旅となるだろう。
徒労の旅に終わるだろう。
勇者の責務など果たせるはずもなく、そもそも過程さえもまともにこなせない。
こんな、まともな祝福を持たぬ追放者と単なる畜生では。
それでも、たった一つだけ良いことがある。
同行者がいないこと。
誰にも期待されず、一人と一匹の旅。
それはなんとも気楽な旅だった。
肩の荷が下りすぎて笑えるくらいに。
ありがとうございました。




