10 千日草 組:①捨て子たちの笑顔
――千日草にて
空蝉が管理している孤児院『千日草』には、綸・トト、乃々子・恒心の弐対が来ていた。
「ののこおねえちゃん、おひざのせてぇ」
両手を広げて乃々子に近づいた二歳ほどの男の子。彼女はたどたどしく「いいわよ」と両手を広げて迎え入れる。
「では絵本を読みましょうか。乃々子ちゃん、お願いしますね」
「え、えぇ? あたしが?」
綸に渡された絵本を渋々広げ、乃々子は頬を染めながら読み出した。
「乃々子ちゃん、だいぶ慣れてきたなぁ」
こども三人に絵本を読み聞かせている彼女を見て、男性が柔らかく微笑む。
キッチンで洗い立てのコップを拭っているが、同じコップをかれこれ3分は磨いていた。
「おい、イケメン。何サボってんだ?」
「あー、サボってんの『麦』に言っちゃおー」
背後から聞こえた幼さが滲む声に、コップを置き振り返った男性。
「言うてみぃ。こっちも君らが宿題してへんこと麦さんに言うてもええんよ?」
「おとなの“しょぎょう”じゃねぇな」
「くそダサイケメンめ!」
「それ、貶しとんのか、褒めとんのかどっちやねん」
男性はため息をついて呆れると、こどもたちを横目で見る。目を輝かせてうずうずしている彼らにもう一度ため息を零すと、彼は期待に応えるよう追いかけ始めた。
「うはあ! 捕まったー!」
「『識』、はやいってー」
こどもたちを捕まえ、プレイルームにそのまま寝転がった男性――識は朗らかに笑う。
「こりゃあ、ええサボりになるなぁ」
「お前、オレたちをサボりに使うなよ」
「こんどこそ麦に言いつけるからな」
「好きにせぇ。でも、抜け出せたらなぁ」
腕に力を込めた識。こどもたちは身をよじりながら楽しそうに笑う。
賑やかな笑い声が響くプレイルームに、洗濯物がこんもりと盛られたカゴを持った中年男性が姿を見せた。
意思疎通をしたかのように黙る三人。
そう。彼こそが『麦』だ。観音坂一族出身で、現在『千日草』の管理者を務めている。
頭にタオルを巻いた麦は三人を見つけると立ち止まり、顔を横に向けてまず識を捕捉した。
「……自分、それサボっとるわけやないねんな?」
「……。まっさかぁ。麦さんたら冗談うまいですわ」
笑顔で、だが笑っていない目で問われた識は、同じく笑顔を浮かべて返す。
「そうだぜ、識はサボり中だ」
「同じコップずっと拭いとった」
が、こどもたちは黙っていない。
「いらんこと言わんでええねん」
こどもたちを抱えたまま上半身を起き上がらせた識は、こどもたちの頬を軽く引っ張る。
「だって識、いつも言ってるじゃん。悪いと思ったことは正直に言えー、って」
「うん、うん」
正直なこどもたちに呆れた識は、にこやかに彼らの頭に手を置いて口を開く。
「せやんなぁ、俺が間違とったわ。……麦さん、こいつら宿題しやんと遊んどるみたいですよ?」
「あ! 裏切りやがった!」
「このクソイケメンめ!」
「先に裏切ったんは自分らやろう? てか、クソイケメンはもう誉め言葉ですやん」
やんや、やんやしている三人に青筋を浮かべた麦は大きく息を吸った。
「……お前ら、やることやってから遊びーや!!」
麦の怒号に肩を震わせたこどもたち。
「「はーい」」
渋々と立ち上がり、学習スペースへ移動していく。そんなしおらしいこどもたちを微笑ましく見つめている識にも怒号は飛んだ。
「識もや!」
「はーい」
立ち上がった識はこどもたちの背を追った。
「怒られてやんの」
「だっさー」
「君らに言われたないわ」
苦労人の麦は盛大なため息を吐き出すと、自分の仕事に戻っていく。
プレイルームの端で一部始終を見ていた綸と乃々子。
「……来て五日経ったけど、識さんって仕事できるのになんだかパッとしないというか……。基本ダサい?」
「はい。かっこいいのにちょっと残念。なんだか夕柊くんみたいですね」
「俺がなんだって?」
「「きゃっ」」
二人が寄りかかる壁に備え付けられている窓から顔を覗かせた夕柊。
「ちょ、ちょっと! いきなり現れないでよ!!」
窓から中に入ってきた彼は綸の隣に座った。彼女の腕の中で眠っている赤子を眺めて、僅かに顔を綻ばせる。
「おい、侵入者がいるぞ」
唐突に聞こえてきた声に顔を上げる三人。低めだがやや癖のある声だ。
「おや、夕柊じゃないかい」
ねんねこでこどもをおんぶしている女性が夕柊を見かけて近づいてきた。
「窓からはいるんじゃねぇ。この非常識が」
再び聞こえてきた癖のある声。
「騒ぐんじゃないよ、あんた。こどもが起きちまうだろう」
「妖の見えねぇ赤子にゃあ、俺の声は聞こえねぇよ」
声の出所はねんねこだった。ねんねこの上部に、やや鋭さのある二つの目とへの字の口が付いている。
「『桔梗』さん、『風里』くん、久しぶり」
袖に隠れた右手を上げて挨拶をする夕柊。
風里と呼ばれたねんねこは女性の背から離れると、夕柊の体に巻き付いた。
「……お前、ますます人間じゃなくなってきているな」
「ストレートだね。オブラート知らないの? このラグマットが」
「高尚な一反木綿様をラグマット呼びとは、随分肝が据わってんじゃねぇか」
ねんねこは角で夕柊の頬を叩くと、女性の背に戻っていく。
一反木綿は女性――桔梗の神使だ。
『一反木綿』
【変幻自在:任意のものに姿を変えられる】
孤児院にいるからか、彼が変幻するのは主に“ねんねこ”である。
「それじゃあ、なんかあったら言っとくれ」
桔梗は優しく微笑むと、夕柊を睨みつけている一反木綿と共に調乳室へ向かっていった。
くつろいでいる最中、
「あ!」
と窓の外から聞こえてきた慌てた声に三人は振り返る。
夕柊が入ってきたことで全開となっていた窓から、小さな風船が二つ中へ入ってきたのだ。
それもただの風船ではない。水がたっぷり入った風船だ。
咄嗟にこどもたちに覆いかぶさった綸と乃々子。
「変化『傘』」
が、彼女たちに水風船が降りかかることはなかった。
夕柊が創式妖術で創り出した傘に守られたからだ。
「ありがとうございます、夕柊くん」
窓に駆け寄ってきたトト。
「ごめんね、濡れてない二人とも」
全身が濡れていても爽やかな彼に少々苛立ちを覚えながら、乃々子は頷く。
「ごめんなさい! 濡れてない?」
外から聞こえてきた可愛らしい少女の声。トトは濡れた髪をかきあげて微笑むと、少女を抱き上げる。
「……私が投げたやつなの。ごめんなさい」
申し訳なさそうに眉を下げた少女は、トトの着物にしがみつきながらおそるおそる謝った。
「ううん、大丈夫ですよ」
赤子を抱えたまま立ち上がった綸は少女の頭を優しく撫でる。
笑顔になった少女は、手を振るトトと共に再び水遊びに戻っていった。
「……あのチャラ男、こどもの扱いに本当手馴れているわ。……はあ!? 嫉妬してんの? あいつにあたしが!?」
自分にツッコミを入れている乃々子に微笑んだ綸は、まだ腕の中で寝ている赤子の頬を指の腹で撫でながら呟く。
「……トトさんが、千日草にいたと聞いた時は少し驚きました」
「まあ自分のこと話さない奴だからね」
自身の黒い両翼を撫でながら夕柊も同意を示した。
「……千日草って一体なんなの? 空蝉が孤児院を所有する目的って何?」
「ええところに気付くやん、自分」
「「きゃっ」」
再び背後からかけられた声に短く悲鳴を上げた綸と乃々子。
反応して赤子は目を覚まし泣き声を上げる。綸から赤子を受け取った夕柊は立ち上がり、慣れた手つきであやした。
「麦さん、それやめてよ。驚くじゃん」
「すまんすまん」
(えー、あんたもやったでしょうに)
と思いはしたが、心の中だけで留めた乃々子。
窓から軽やかに中へ入ってきた麦は、彼らの前で胡坐をかいて腕を組む。
「なんのために空蝉に孤児院があるのか、やな? まあ単純なことや」
一度言葉を止めた麦は、重々しく呟く。
「……人材補充や」




