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空蝉物怪録 ―うつせみもっけろく―  作者: 暮色 ―Boshoku―
第九章:トライアルウィーク 篇
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1 棒付きキャンディー


――ここ、どこ? あるじ、ことせ、ひとりさみしいよ


 真っ暗な空間の中を一人彷徨っていた木歳(ことせ)。途端主である馨を思い出して涙を流した。だが、彼は主人に仇なした罪により『黄泉送り』されてしまった身。馨との契約も強制的に破棄され、二人が会うことはもうできないのだ。


「……坊や、お主も『黄泉送り』となったのか?」

「……だあれ?」


 ふいに視界が開ける。木歳のいる場所は真っ暗な空間ではなく荒廃した神社のような場所であった。


 壊れて色褪せた鳥居、ところどころ石畳が剥がれた参道、横たわった石灯籠、歪な岩に腐食した大木、千切れたしめ縄に破れた紙垂、明かりがなく薄暗い空間に漂う瘴気。不気味の一言では事足りないこの空間こそ『黄泉』だ。


 跡形もなく崩れた神社の本体に腰を下ろしている人影に木歳は近づいていく。その者は、背中から濡羽色(ぬればいろ)に輝く二対の翼が生えていた。腰にまで届くブロンドの長い髪は乱れており、纏っている着物の裾は大きく割け、まるで激しい戦いを終えたかのよう。


「お姉さん、だあれ?」

「お姉さんではないが、まあ良かろう。私の名は『茴(うい)』。お主と同じ『黄泉送り』となった者だ」


「ずっと、ひとりだったの?」

「いや、時折訪れる者がいたが、皆あそこに誘われてしまってなあ」


 茴は木歳の背後を指差した。振り返った彼が目にしたものは、語るのも憚られるほど悍ましく広がる闇。一度足を踏み入れたら戻ってはこられない、そう直感せざるを得ないほどに。


「お主は行くでないぞ」

「行かないよ。いきたくないもん」

「それで良い」


 木でできた小さな体を動かして木歳は崩れた階段に腰かけている茴の隣に座った。


「ここはなにもない空間だ。どのくらい時間が経ったのかもわからない。耐えられるか?」


「わからない」

「……そうだな。お主はまだなにも知らないまま生を終えたこどもだ。惨いことよ」


 木歳の小さな頭に手を乗せた茴は、ブロンドの瞳を閉じつつ憐れむように俯いた。



   ◇



「澪!」


 神威学園の廊下を馨と綸と並んで歩いていた澪に背後から抱きついたのは、陰謀が渦巻く一族から澪を人知れず守っていた男・光穂(こうすい) 冬唯(とうい)。彼がなぜ学園にいるのか、それは非常勤講師だからである。


「と、冬唯お兄ちゃん、学園では声かけへん約束……」

「んー、そんなの忘れたわー」


 長い前髪と口当てによって表情は見えないものの、雰囲気から困り果てている様が伺える澪に助けが入る。澪に抱きついていた冬唯が一瞬にして剥がされたのだ。


「ふむふむ『予兆録(ノストラダムス)』によると、冬唯くんは澪くんに嫌われる、と」


 冬唯を剥がした人物は本を片手に呟く。着物の下には立襟シャツ、行灯袴、頭には丸帽といわゆる書生スタイルの男。おまけに緩やかに上がった口角と糸目といういかにも妖しい雰囲気を醸し出している。


 名を『弓庭(ゆば) 煌(かがや)』(28)。通称『ユバコー』だ。


「くそ、ユバコーめ。離せ!」


 抵抗を見せた冬唯だったが書生スタイルの男に呆気なく連れ去られていった。


「……な、なんだったんだ?」


 胸を撫で下ろした澪の隣で動揺を見せている馨に答えたのは綸。


「非常勤講師の光穂 冬唯先生と、同じく非常勤講師弓庭 煌先生です。私と澪くんは体術訓練で弓庭先生に教わりました」


 綸の言葉にうなずく澪。体術訓練とは、馨がえくぼの悪魔『真幌(まほろ)』に投げ飛ばされたあの地獄特訓のことである。


「じゃあ、ノストラダムス?ってのは?」


「弓庭先生の創式妖術のようです。『予兆録(ノストラダムス)』本を開くと白紙のページに未来が書き記されるとか」


「未来予知ってこと!? 創式妖術の幅って広いなぁ」

「未来予知ってすごすぎますよね」


 だが、実は制度は低めという残念仕様なのである。まだ生徒には秘密らしいが。


 そして気になる馨と綸の関係なのだが、再び付き合うという展開にはなっていない。あくまで今まで通り、だが呼び方だけが“綸”“馨くん”に自然と戻っていた。故に周囲はもどかしさを感じているみたいだが、茶化すことはせず見守っていこうと結論着いたらしい。

 



「黎明祈祷祭も無事終了し、お待ちかねの夏休みがやってくるわけだが、もちろんただの夏休みではありません。夏休みには一週間の合宿が行われます。芽吹きプロジェクトでは職場見学だったね。だからこの合宿では職場体験へとアップグレードされます。その名も『トライアルウィーク』」


 担任である吟丸の話を真面目に聞いている初羽なのだが、やはり緊張感は漂っていた。なんせ芽吹きプロジェクトで強敵に襲われたり、死にかけたり、人の死に触れたりとハードな経験をしたからだ。次は見るだけでなく実践が伴う。それに期間も一週間と長い。


「実際に組織の一員として仕事を体験してもらうわけだが、今君たちに足りていないものがひとつあります。それが『弐対(につい)』だ」


 『弐対』とは二人組の呼び方である。空蝉では必ず二人組で仕事を行わなければならない。妖の能力等で一人が正気を失った際、もう一人が直ちに屠るためだ。


「中間試験の結果や個人の特性、相性を踏まえて教師陣によりこのように決定されました」


 黒板に張り出される紙。


『弐対』

・斑鳩 陸斗 ―― 鼓 丈

・兎田 焚 ―― 篷 市露

・霄 トト ―― 七々扇 綸

・光穂 澪 ―― 那珂町 馨

・佐野 恒心 ―― 銘苅 乃々子

・蛍藺 綴 ―― 泉井 來


「納得いかない!!」


 貼り紙を見た途端立ち上がって声を荒げた陸斗。彼の弐対は丈なのだが、中間試験で二人の間には確執ができてしまっていた。陸斗は拳を握り締め吟丸を睨みつける。


「いくら訴えても変更はされないよ。学園を卒業するまで、もしくは退学となるまでこの弐対が解消されることはない。みんなも覚えておくように」


 言い切った吟丸に「クソッ」と悪態をついた陸斗は渋々席に座り直す。丈はスケッチブックに筆を走らせることもなくただ俯いたまま。この組み合わせに丈は喜んでいた。だが同時に拒絶したい気持ちも溢れてきており、彼は唇を噛みしめる。


「綸ちゃん、よろしくね」

「あ、はい。トトさん」


 馨は綸とトトという組み合わせに心底驚いていた。綸と組むとしたら乃々子だと思っていたからだ。そんな乃々子も綸ではなく恒心であることに驚きを隠せずにいた。


 乃々子は以前より大幅に改善したものの男性恐怖症を患っているのだ。顔を俯かせたまま彼女はおもむろに通路を挟んで隣の席にいる恒心へと手を伸ばした。こんな自分を変えたい、そんな彼女の勇気の一歩である。


 握手を求めるような手ぶりに目を丸くしている恒心。


「……ふふ、よろしく姉さん」


 だが、少しの沈黙後小さく笑った彼は彼女の手に、なぜか自分の手ではなく右の二の腕に巻かれている黒い襷を置いた。明らかに震えている彼女の手を見た恒心なりの配慮だ。


 勢いよく顔を上げた乃々子は恒心の顔を見やる。朗らかに微笑んでいる恒心の顔を見て不意に涙が込み上げてきた乃々子は顔を逸らし、返事とばかりに黒い襷を強く握った。




 放課後、馨は寮に向かう途中学び舎の屋根の上で梟と戯れている夕柊を見つけて声をかけた。夕柊は気が付くと梟と別れを告げ、背から生やした翼で降りてくる。


「夕柊、君は合宿に行かないの? と、いうか夕柊って初羽なのに初羽じゃないみたいだよな」


 自分でも何を言っているんだと首を傾げてしまう馨に、夕柊は無表情のまま翼から羽を一枚取り唱えた。


「変化『キャンディー』」


 羽は煙を出すと棒付きキャンディーへと姿を変える。それは二人が初めて出会ったあの日に夕柊が馨にお詫びとして上げたキャンディーだ。


 渡されたキャンディーを素直に受け取った馨は仄かに口角を上げる。「懐かしいなこれ」と封を開けようとした馨の手からふわりと消えたキャンディー。


「ぷ、騙されてやんの」

「……ムカつくっ!」


 飛びかかってくる馨をはためかせた翼で難なく避けていく夕柊。彼はいつだって馨をからかって楽しむことを忘れない。



 ひとしきり騒いだ後、並んで空を見上げる二人。空は彼の名のように夕日色へ変わり始めていた。


「……綸に話した。全部。すごく泣いてた。まだ会えたばかりなのに、って」


「……そっか。でも諦めてないだろう?」

「まあね。でも、怖くなる」


 普段飄々としている夕柊から漏れ出る弱音。


「髪の色も目の色も、もう原型がない。翼だって今までは自分で出し入れしていたのに、最近は勝手に生えていたりする。……自分が段々と烏天狗になっていっていることが分かる。あとどのくらい時間が残っているかわからない。まだやりたいこと、やらなきゃいけないこといっぱいあるのにね」


 感情を押し殺したように淡々と告げる夕柊が見ていられなくなり顔を俯かせた馨。だが、彼は震える唇で言葉を紡いだ。


「……一人じゃないから。俺がいる。綸だっている。吟丸先生も、初羽も、神様だってみんな夕柊の味方だ。だからきっと大丈夫」


 馨は夕日を受けて淡い茶色に見えるブロンドの頭に優しく手を置いた。これが彼のできる精一杯だった。


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