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あたりまえの夕日  作者: 半田南都


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第4話 宴の夜に


健司と話したあと、勝手口から厨房に戻った奈美は小さく息を吐いた。

夕食の時間が近づき、準備は少しずつ慌ただしさを増していく。


今日は六組、十五人分の夕食を用意しなければならない。普段の倍近い。父も母も休む間もなく動き続けていた。


奈美も盛り付けを手伝いながら席を整え、座布団を並べて客を迎える準備を急ぐ。

料理が仕上がるたびに厨房と広間を行き来して運び込む。刺身や天ぷらなど、鮮度や揚げたてが命のものはあとで出すが、小鉢や宝楽焼きの土鍋は先にそれぞれの席へ据えていく。


ひと通りは揃った。そろそろ客を呼ぶ時間だ。


一部屋ずつ声をかけて回る。最後に健司の部屋の前で、奈美は一瞬だけ足を止めた。小さく息を整えてから軽くノックをする。


「夕食の準備ができましたので広間の方へどうぞ」


「わかりました。ありがとうございます」


中から返事があり、静かにその場を離れた。奈美は階段を降りながらふーっと息を吐き、自分が緊張していることを不思議に感じていた。





広間に客が集まり、食事が始まった。各組ごとにテーブルは分けているが衝立はなく、人数も多いため間隔はそれほど広くない。健司は一人客としてひとつのテーブルに座っていたが、ぽつんと浮くような感じではなく、他の席の流れの中に自然に収まっていた。


健司のほかには、夫婦が三組、親を連れた夫婦の組、そして友人同士のグループがいた。その中には毎年のようにこの宿を訪れる常連客の姿も混じっている。


食事が始まってしばらくすると、席の距離の近さもあって、あちこちで自然に会話が生まれ、笑い声が混ざり合い、広間は宴のような雰囲気になっていった。


夕食の時間はこうして賑わうことが多いが、時にはグループごとに淡々と食事をすることもある。

それでも今日は打ち解けるのが早く、広間はいつもより温かな空気に包まれていった。


奈美は客の間を行き来しながら飲み物を運び、空いた器を下げていた。健司の方に目を向けると、まるで最初からグループで来たかのようにその場に馴染み、楽しそうに会話をしている。


その様子を見て、奈美は健司への違和感をまだどこかに残したまま、それでもなぜか少しほっとしていた。


下げた器を載せた盆を手に厨房へ戻ると、父が真剣な顔で魚をさばいている。


「今日は桜鯛やね」


「おう。今日のもええで」


父は手際よく舟に盛り付けていく。奈美は忙しさも忘れ、思わず手を止めて見入った。いつものことだから父も母も何も言わない。

このひとときが、奈美は好きだった。


桜鯛の姿造りを中心に、今が旬の刺身が周りを固めていく。舟盛りが完成すると奈美はいつも思わず笑みがこぼれる。

これを客の前にドーンと出す瞬間が好きだ。豪華な舟盛りに皆が喜ぶ姿を思い浮かべる。


いろいろな思いを抱えながらも、ここで働く中にも嬉しいことや楽しいこともある。これはそのひとつだった。


「お待たせしました。桜鯛の舟盛りです」


母と一緒にそれぞれのテーブルの中央へ父の舟盛りを運ぶと、パッと歓声が上がった。


「うわー!」

「すごーい!」


目を輝かせて舟盛りに顔を近づける人や、カメラを構えて写真を撮る人もいる。


そうそうこれこれ──そう思いながら奈美が微笑むと、その様子を見た母も自然と笑顔になる。奈美以上に嬉しそうな顔だった。


そこへ父が残りの舟盛りを両手に抱えて厨房から出てきた。


「はい、お待ちどおさん!」


健司の前に舟盛りを置くと彼は目を丸くして驚いた。


「えっ! 僕のもあるんですか?」


「一人分やから小さめやけどな」


そう言いながらも健司の嬉しそうな反応に、父は少し得意げな顔を見せた。


舟盛りは二人前からの提供とする店や宿も多い。一人前なら皿で出すことが一般的だ。しかし、うしお荘には一人で来る客も少なくない。そのため周りのテーブルには舟盛りが並ぶ中、自分だけ皿に盛られた刺身では少し寂しく見えることもあり、何より客に喜んでもらいたいという思いから、小さめの舟を用意している。小ぶりの魚を使い同じように舟盛りとして出しているのだ。


「うわ〜……」


手に取って喜ぶ様子を見て、父だけでなく奈美も思わず満足げな表情を浮かべた。


嬉しそうに眺めていた健司は、ふと動きを止め桜鯛の周りに並ぶ刺身を見て父に尋ねた。


「……これ、サワラの炙りですよね」


その言葉に父は少し驚いたように顔を上げすぐに嬉しそうな表情を浮かべた。


「おっ、お兄さん。若いのによう知っとるなぁ」


そこへ近くに座っていた女性客も話に加わった。


「えっ、これサワラなんですか? 生でもいけるんですね。焼くイメージでした……西京焼きとか」


その言葉を聞くと父は待ってましたと言わんばかりに話し出した。


「サワラいうのはな、『足が早い』魚でな。せやから普通は西京焼きやら塩焼きにすることが多いんやけど。この辺やと、鮮度のええもんが入るから、刺身でもいけるんよ。特に今の時期のはええで」


そう言いながら、舟盛りの中のうっすら焼き目のついた切り身を指した。


「ほらこれ。軽く炙ってるだけやけどな。食べてみて。やわらかくてすっと口の中でとろける感じやで」


父は添えられた新玉ねぎのスライスにも視線を向けた。


「これも今のやつや。淡路の新玉ねぎ。水分多くてな、甘みが全然違うねん。生でそのままいけるんよ」


「ほんとだー!」

「おいしい!」


あちこちで声が弾む。


「こっちはメバルや」


父は透明な刺身を指で軽く示した。


「……あ、メバルかあ。そうか」


健司が少しだけ頷くように言うと、父が横目で見て笑った。


「お兄さん、魚よう知ってんな」


すると健司は少しはにかむような表情で言った。


「実家が焼津なんで。静岡の」


「おー、焼津かぁ! ええとこやなぁ。あそこも魚うまいもんなぁ。お父さん、漁師なん?」


「いえ、漁師ではないんですけど、家が市場に近くて。小さい頃からよく行ってて」


「そうかぁ。あそこはな──」


父が話を続けようとしたところに母が割って入った。


「お父さん、そろそろ厨房戻って。次の料理出さな」


「あー、そうか、そやな。ほなお兄さん、またあとで」


「まだ喋り足りひんの?」


周りがドッと笑う。


「すんませんねぇ、ほんまに魚の話になったら止まらん人やから」


「いやいや、親父さんの話はいつ聞いても面白いし、もっと聞いていたいけど忙しいだろうからね」


常連客の男性がそう言うと視線が自然と奈美へ移った。


「奈美ちゃんは今大学生? 休みで手伝ってるの?」


その言葉に奈美は一瞬だけ間を置いたあと、笑顔を作る。


「いえ、今年高校卒業して、今はここで働いています」


「手伝っている」とは言わなかった。

その言葉は少しだけ自分の立ち位置を軽くするような気がしたからだった。


「そう。偉いねえ。若い人は島離れするって聞いてるけど、奈美ちゃんが残って親父さんも喜んでるでしょ」


母の方を見て言う客に母は手元を動かしたまま少し目を伏せた。


「ええ、まあ」


そう短くだけ答える。


そこでまるで空気を切り替えるように健司が奈美に話しかけた。


「あー、娘さんなんだ。大人っぽいから、僕とあまり変わらないと思ってました。高校出たばっかりなんですね」


奈美が年下だとわかると少しだけ言い方が柔らかくなる。


「え、おいくつなんですか?」


「僕、二十三。あ、ごめんね。いきなり年の話なんかして」


「いえ、大丈夫ですよ」


そこへさっきの客が口を挟んできた。


「奈美ちゃんくらい若かったら、年の話くらいいいでしょ。でもこの人には聞いたらだめだよ」


そう言って連れの中年の女性を指すと場がドッと笑いに包まれた。


「いやいや、聞いていいのよー。私、二十歳だから」


女性の言葉にさらに笑いが広がる。


健司は話題を変えようとしたわけではなかっただろうが、彼の言葉がきっかけで場の流れが変わった。


奈美も母も一緒になって笑い、広間には和やかな空気が満ちていった。


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