第21話 違う景色
祐介の車へ向かいながら、奈美はまとめていた髪をほどいた。
お団子にしていた髪が背中に落ちる。腰まで伸びた髪を手ぐしで整え、ひとつに束ね直す。
「相変わらず髪、長いな」
「ん? ああ、切りそびれて伸びてもうた」
「前もそんなこと言うてたよな」
「はは。そうやな」
奈美は束ねた髪を軽く整えると、助手席に乗り込んだ。
「考えたら、ゆう君の運転で出かけるん、初めてちゃうかな」
「そやった?」
「うん。だって免許取ってから、久美子とばっかり出かけてたやろ?」
「あ、そうか」
元カノの名前を出しても、嫌なムードにはならない。なんでも言い合える、そんな関係に戻った気がした。
車が走り出す。
「明神岬、久しぶりなん?」
「いや。こっち戻るたびに行ってるで」
「へぇ」
──ほんまにここの夕日が好きやねんな。
「奈美は? 明神岬。最近行った?」
「えっ……あ、いや、まあ、一年振りかな」
「一年か」
「あー、でも、夕日を見るんはもっと久しぶりやな」
「そっか」
何で自分は今、明神岬に向かっているんだろう。しかも、祐介と。
行きたかったのは健司とだった。
でも、それはもう叶わない。
岬に立ったら、自分はどんな気持ちになるんだろう。
「奈美?」
「え?」
「ぼーっとしてたやろ」
「してへんよ」
「してたって」
祐介が笑う。
「まあええけど」
奈美も小さく笑った。
「もうすぐやで」
「うん」
やがて車が細い道へ入る。
「ここ、相変わらず細いなぁ」
祐介は慣れた様子で車を進める。坂を下りきると、古びた石碑が見えてきた。
「着いたで」
「うん」
車を止め、二人は外へ出た。
海から吹いてくる風が頬を撫でる。去年と同じ場所だった。
けれど、隣にいるのは健司じゃない。
「お参りしよか」
「せやね」
二人は並んで石段を上り、小さな社殿の前で手を合わせた。
──イザナギさん、イザナミさん、お久しぶりです。
二神が祀られているこの西濱神社も伊弉諾神宮も、あれから訪れていない。
挨拶を済ませると、境内を抜けて海の見える場所へ向かう。
細い下り道に差しかかった時、奈美の足が岩の上で少し滑った。
「わっ」
「大丈夫か?」
「うん。平気」
「気ぃつけや」
「うん」
祐介はそれ以上何も言わず、先に進んだ。
奈美も後に続く。
去年はここで健司が手を差し出してくれた。
『手、貸すよ』
あの時触れた指先の感覚が、ふいによみがえる。
胸がどきっとした。
奈美は思わず自分の手を見た。
もう一年も前のことなのに、あの時の感覚だけはまだ残っている気がした。
細い道を下りていくと、木々の向こうに海が見えてきた。やがて視界が開け、岩場の向こうに播磨灘が広がる。
去年と同じ景色。
「夕日まで、まだちょっとあるな」
「ほんまやね」
祐介は海の向こうを眺めた。
「まあ、ゆっくり待とうや」
「うん」
二人は海を見渡せる岩場に腰を下ろした。
日が沈むまで、もう少し時間がある。しばらく二人とも何も言わず、海を眺めていた。
波の音だけが、静かに聞こえている。
「なあ、奈美」
「ん?」
「奈美、変わったな」
「……そう?」
「うん」
祐介は海を見たまま続けた。
「昔の奈美やったら、こんなん誘ってもついてこんかったやろ」
「……そうかな」
「そうやって」
奈美は少し考えてから、海へ目を向けた。
「……そうかもな」
「前は夕日なんてどこで見ても一緒やって言うてたのにな」
「言うたな」
「それがこんなとこまで来てる」
祐介は奈美を見た。
「なんかあったんやろな」
奈美は返事をしなかった。
祐介はそれ以上は聞かなかった。
けれど奈美には、なんとなくわかった。口には出さなくても、祐介が何を聞きたいのか。
好きな人ができたんか。
そんなふうに聞かれている気がした。
奈美は海を見つめたまま、何も言わなかった。
やがて、水平線の近くが少しずつ色づいてきた。
夕日が、ゆっくりと海へ傾いていく。
海に沈む夕日は、ここに住んでいれば、いつでも見られる。
この明神岬からの夕日も、何度か見たことがある。
それなのに、今日はいつもと違って見えた。
健司と一緒に見たら、きっとまた違って見えただろう。
そう思うと少しだけ胸が痛んだ。
昔から見てきたあたりまえの景色。
何度も見てきた島の夕日。
──こんなに心に残るもんやったんやな。
あの時生まれた気持ちも、この夕日も、きっと全部自分の中に残っていく。
──それで、ええやん。
奈美は沈んでいく夕日を静かに見届けた。
「暗くなる前に戻ろか」
祐介が立ち上がった。
「うん」
奈美も立ち上がると祐介が岩場の先を指差した。
「せっかくやし、胎内くぐりしていこか?」
奈美は祐介が指す岩穴を見つめた。
ここを通ると、生まれ変われる。
去年、健司と一緒にくぐった時は、胸がどきどきしていた。
岩穴を抜けた時、本当に生まれ変わったような気がした。
でも──
奈美はしばらく岩穴を見つめ、顔を上げた。
「ううん。もう、ええわ」
「そう?」
「うん」
奈美は海の向こうへ目を向けた。
もう、生まれ変わる必要なんてない。
今の自分のままで、この先へ行けばいい。
「行こか」
「うん」
夕日がゆっくりと沈んでいく中、二人は来た道を戻り始めた。




