表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あたりまえの夕日  作者: 半田南都


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/14

第12話 見送りの朝


ピピ、ピピ──


眠気の残るまま、奈美は目覚ましを止めた。もう一度目を閉じ、布団の中で小さく息をつく。


昨夜のことが頭から離れない。

気恥ずかしさもある。けれど、不思議と心は少し軽かった。


健司のこと。

祐介とのこと。

そして、健司が今日この島を離れること──


胸の奥が落ち着かないまま、奈美は布団から起き上がった。支度を済ませ、厨房へ向かう。


「お母さん、おはよう。あれ? お父さんまた漁行っとるん?」


父の姿が見えず聞くと、母は笑いながら答えた。


「そやねん。ゴールデンウィーク中は宿が忙しいからやめとく言うとったのに、結局全部行くんやろな」


「マグロと一緒やな。止まったら死ぬんやわ」


「上手いこと言うなぁ」


そんな話をしながらも、奈美は健司のことを考えていた。

今朝も市場へ行ったのだろうか。


気にはなったが、母に聞くのはなんとなく気が引けた。

昨夜、遅くまで健司と話していたことなど、なおさら言えるわけがない──


「昨日、遅うまであのお兄さんと話しとったんやて?」


「え!? なんで──」


奈美は思わず目を丸くした。


「五時前に眠そうな顔して降りて来てな。また市場行きはったわ。あんたと話せて楽しかった言うとったで」


「あ……」


「何を話したかまでは聞いてへんけどな」


母はそう付け加えた。

気を遣ってくれているのだろう。


けれど奈美は、昨夜の会話や自分の言動を思い出して、余計に恥ずかしくなってしまう。


平静を装うように冷蔵庫を開けると、赤くなった顔を隠すように中を覗き込みながら、奈美はさりげなく口を開いた。


「あのお兄さん、今日も頑張って早よ起きはってんな」


「今日帰らはるしな」


母の言葉に、奈美の動きが止まる。


たった三日。

時間にしたら、ほんの数時間一緒にいただけなのに。

思えば、最初から何となく気になる人だった。


それは、自分が憧れていた都会の匂いがしたからなのか。それとも、自分と同じように人に言えないものを抱えていたからか。


だけど昨夜、彼と話して、自分の中で何かが大きく変わったことだけは確かだった。

このまま、また何も言えない自分に戻りたくなかった。


「お母さん、あの、ご飯、ちょっと多めに炊いていい?」


「ん?」


「ゆう君、午前中に帰るって……。哲ちゃんと一緒に車で。だから、あの……」


「ああ、ええよ。おにぎりこさえるんやな」


「うん」


母は何でもお見通しだ。


「ゆう君、何時に出るって?」


「わからんけど、あんまり早くても寝てたら悪いし。九時頃持っていく。その頃やったらちょっと抜けても大丈夫かな」


「かまへんよ。間に合わんかったらあかんから早めに行きな」


「うん。わかった」


祐介の家は、走れば五分ほどで着く。


会って──謝ろう。


「あ、お父さん帰ってきたんちゃう?」


外から話し声が聞こえる。窓を見ると、昨日の朝と同じように、父と健司がそれぞれ発泡スチロールの箱を抱えて歩いている姿があった。


奈美は健司にどんな顔で挨拶したらいいのか、わからなかった。


それは、昨夜の自分の言動が恥ずかしいからなのか。

今日、彼がこの島を離れてしまう寂しさからなのか。

それとも、別の感情なのか──自分でもわからなかった。


戸惑いながらも二人を迎えるために勝手口を開ける。


「おはようございます」


健司に対して少しはにかみながら挨拶をしたつもりだったが、彼よりも先に父が口を開いた。


「おう、奈美。昨日遅うまでこの兄さんと話してたて?」


「え……?」


──もう! 何でお父さんにまで言うんよ!


思わず心の中でそう漏らす。昨夜のことは、二人だけの秘密みたいに思っていたのに。


ほんの少し拍子抜けした。


せっかく自分の中で特別な空気のように感じていたのに、という気持ちはある。

だが、それならそれでいいとも思えた。


変に意識しなくていいのなら、その方がずっと楽だ──そう思った瞬間、胸の奥の緊張がふっとほどけた。


「奈美ちゃん、おはよう」


勝手口から入ってきて、厨房の台に魚の入った箱を下ろす健司。


その動きに、奈美はふと目を止めた。まるで、以前からここで働いている人みたいだった。


「ちゃんと起きれたんですね」


「うん。頑張ったよ」


箱の上に手を置き、少し得意げに胸を張る健司を見て、奈美はくすっと笑う。


すると健司は奈美のそばに寄り、小声で言った。


「お父さんとお母さんには、奈美ちゃんと魚の話をしてたって言っといたよ」


優しい目でそう言われて、奈美はまた小さく吹き出す。


「魚の話って……」


ほかに言いようがあったやろ、と心の中で突っ込みながらも、その不器用さが妙におかしかった。


やっぱり昨夜のことは、二人だけの秘密のままだったのかもしれない──そんな気がして、少しだけ嬉しくなった。





健司が厨房をあとにすると、奈美たちは朝食の準備のため慌ただしく動き回った。


泊り客に食事を運び、片付けをしているうちに、気づけば時計は八時半になろうとしている。


祐介は、まだ家を出ていないだろうか。電話をして確認するのも、何だか気が引ける。

会えなかったら、その時はその時──そう思った瞬間、勝手口が開き、聞き慣れた声が耳に飛び込んだ。


「すみませーん……」


いつもと違う、どこか遠慮がちな声だったが、祐介の声に間違いない。


まさかと思いながら、奈美は勝手口を振り返る。


彼のほうから会いに来るとは思っていなかったものだから、心の準備が追いつかなかった。


「おう! 祐介。どないしたんや、こんな朝早ように」


父は戸惑う奈美には構わず、明るい声を上げた。


「今日、あっちに帰るんで……その、奈美に、ちょっと……。すんません、忙しい時間に」


「おう、ええで。奈美、別れ惜しんどいで」


そう言って、父は顎でしゃくり、外へ行けと合図をした。


別れ惜しんどいで、って──


粋な計らいなのか、逆に空気を読んでいないのか、奈美にはよくわからなかった。


とりあえず祐介に外で待っていてもらうよう声をかけ、慌てて用意していたおにぎりを包む。


ちらっと母を見ると、何も言わずに小さく頷いた。


──お母さんは完全に空気読んでるな。


少しぎこちない笑顔を返し、奈美は外へ出た。勝手口を開けると、腰に手を当てて背を向けていた祐介が振り返る。


「あ……」

「あ……」


同時に口を開き、すぐに二人とも口を閉じた。


一瞬、気まずい沈黙が流れる。


だが奈美は一歩前へ出ると、手にした包みを差し出した。


「これな、おにぎり。しらすの。哲ちゃんと食べて」


祐介はしばらく奈美の差し出した手を見つめ、それから顔を上げて照れたように笑った。


「サンキュー。途中でどっかで昼飯食おう思ってたから、助かるわ」


そしてまた沈黙。


それでも、先に口を開いたのは奈美だった。


「これ渡しにな、ゆう君ち行こ思ててん」


「そうなんや。いや……奈美、俺に会いたくないかもと思てんけど、やっぱり、その、昨日の……あの、あのままやったら、その……」


しどろもどろの祐介を見て、奈美は、自分の言葉が思っていた以上に彼を悩ませていたのだと気づいた。


──ゆう君、何も悪ないのに……。


少しだけ迷うように視線を落としてから、奈美は静かに口を開く。


「昨日な、こっからライトアップ見てん」


「え?」


急にそんな話をし始めた奈美に、祐介は戸惑った表情を見せた。


「ゆう君、橋のライトアップのこと言うてたやろ。でもな、私、前から時々見てたんよ」


「けど……こっから見えんやろ?」


「橋はな。でも空の色でわかるねん」


「知らんかった……そうなんや」


しばらく、また沈黙が流れた。


「今度な……今度はちゃんと橋も見に行くわ」


祐介をまっすぐ見て、奈美はそう言った。


彼は少し驚いたような顔をして、それから小さく笑った。


その表情を見た瞬間、奈美は「昨日はごめん」と言いかけた言葉を飲み込む。

もう、言わなくてもいいとわかった。


祐介もまた、何かを言いかけて、それをやめる。


代わりに、小さく頷いた。


言葉にしなくても、お互いもう十分伝わっている気がした。


「あ……ほな、行くわな。弁当、サンキューな」


祐介はおにぎりの包みを抱え直し、体の向きを変えた。


「うん。来てくれてありがとう。哲ちゃんによろしく」


「おう」


片手を上げて歩き出す祐介。


「あ、あと、久美子にもよろしく言うといて。仲良うな。今度は一緒に帰っといでな」


「おう。わかった。奈美も彼氏できたら教えてや」


「はいはい。そのうちな」


奈美は軽く笑って手を振った。


以前なら、そんなことを言われれば、「こんなとこで出会いなんかあるはずない」と、少なからず嫌な気持ちになっていたと思う。

けれど今は、不思議と素直に笑えている。


ちゃんと、分かり合えた気がする。

そんなふうに思えたのは、きっと健司のおかげなのだろう。


少しずつ遠ざかっていく祐介の背中を見送りながら、奈美は少しだけ寂しさを感じていた。

その時、ふと健司の顔が頭に浮かんだ。


健司とも、あと少しで別れることになる──


奈美は一度だけ空を見上げると、勝手口のドアノブに手をかけた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ