終
思わず暙桜の肢体を抱きしめた総司は、嬉しくて弾んだ声音で謝った。
「突然ごめんね」
それは何に対しての謝罪だったのか、だれにも分からないが、耳元で嬉しそうなその声音を聞いた少女は、考えることをやめた。
耳朶に響く甘い吐息はひとが生きている証。それが妙に嬉しく感じる。
「沖田さんは、どうしてわたしを屯所につれもどしたいんです?」
ふとよぎったそんな疑問に総司は簡単に答えた。
「君が居ないと、屯所がつまらないんだよ。近藤さんも、君の事を気にかけてる。だからみんなで探していたんだ。簡単でしょう?」
悪戯が成功した子どものようにあどけない青年を暙桜が見上げた。自分より頭二つ分ぐらい高い青年の顔は、そこらで遊んでいる子どものように嬉々として輝いている。
それがとても眩しく見える。
「………はい」
頷いた暙桜は、その顔に華がほころぶような笑顔を見せた。
総司は凛として屯所の中を見回した少女を思い出した。大人数相手に啖呵をきって、自分の前、否一対一になると豹変したように小心者になる。それが妙に愛おしく感じたのだ。
総司は我知らず少女の肢体を強く抱きしめていた。それは呼吸ができなくなるほど苦しいはずなのに、求められる嬉しさがある。
暙桜はおずおずと彼の背中に腕を回した。服が僅かに伸びる感触と、小さな手が一生懸命彼に答えようと縋るように緩くつかむ。まどろみの中で幸せに浸る少女の表情は総司からは見えない。同じように暙桜からも青年の顔は見えない。
互いの表情を見なくとも、似たような行動をとる。それがすこし気恥ずかしい。
「……沖田さんは………」
陶然と呟く少女の声音は、ぞっとするほど艶っぽい。
「とっても……、暖かいひとですね………」
幸せそうに。それが至上の喜びのように総司に縋る少女の顔が不意に持ち上げられる。
目の前いっぱいに広がった総司の顔に思わず暙桜は何が起きたか分からなかった。
目の前に広がる総司の顔。閉じられた瞳のまつげは男の人とは思えないほど綺麗で長い。唇に当たっている暖かい感触がぴくりと動いた。
「……っ」
暙桜はようやく何が起こっているのか理解した。
口付けを、されているのだ。
深くなる口付けに呼吸がままならなくなる。酸素を求めて唇を開くとさらに深くなる。酸素を求めたはずなのに、すべてを喰らい尽くすようなその口付けに体をゆだねてしまいそうになった。
「……っ、ぉき……た……さ…っ」
唇から僅かに漏れるその声音にはっと我に返った総司は勢いよく体を離した。
呼吸が乱れている暙桜の姿を見た瞬間、自責の念に苛まれた総司は、くるりと踵を返してそのままさってしまった。
道端に残された暙桜は孤独感ではなく、あつい熱がまだ体の中に残っており、動くことができなかった。屯所へ行けば顔を合わせるであろう青年を思い浮かべるだけで顔に熱が集中する。
思わず頬をつめたい手で押さえると、自分の手と同じぐらいの温度の風が体を叩いた。
「……っ…、屯所へ…、いくん、だよね…?」
誰にともなく確認するように呟くと、暙桜はゆっくりと立ち上がった。
一時の気の迷いだろうと決め付けるには、嫌に濃厚な口付けだった。唇に残る感触が生生しくて、しばらく彼と顔を合わせることはできないだろうと思いながら暙桜は一歩を踏み出した。
冷たい風が頬を撫でる。高い位置で結ばれた髪が風に煽られて揺れる。
小さい背は、何より頼りなく見えるけれど、きっとなにより力強い。
「…………、玉依姫か…」
夕焼けを眩しそうに見つめた暙桜はぽつりと呟いた。
逃れられない宿命。
逃れたくない宿命。
すべてを背負うと決めたのならば、逃げたくないと何かが叫ぶ。
「………」
総司につかまれた腕。抱きしめられた肢体。
「しらな、かった…」
腕をつかんだ力強い男の人の手のひらは、自分とは比べ物にならないほど大きくて。暖かかった。暙桜の知らない力強さは、彼女の思いを一変させた。
しらなかったから、言えていた。
武田に言った一言。今はもうきっといえない。
―――……それで、わたしを殺してくれる………?
殺してなんて、もういえない。死にたいなんて、もう思えない。
それは今が充実しているからじゃない。
大切なものが、できたから。
大切なひとが、できたから。
それはけっして消えることのない一つの想い。具現されそうなその想いは、はかないほど脆く、消えやすいと分かっていても、
けれど、それは酷く強いものにもなりうると暙桜は心のどこかで感じていた。
いままで感じたことのない強い思いと弱い心心根。
それは人間らしさをみつけた、最初のできごと。
少女がつづる物語。
果てのない宿命と思いは何よりも捨てがたいたった一つの至宝。
人間らしさ、とは何か。
常に自問すべきと、そこに綴られる――――。




