表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された貧乏伯爵家の在庫係、余り物に触れると『次の持ち主』が見えるので倉庫から領地を救います  作者: 花守りつ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/13

古毛布七枚は、冬支度の未受領です

処分市は、夜明け前から始まる。


 伯爵家の裏庭には、まだ雨の匂いが残っていた。荷馬車の車輪が泥を噛み、商会の男たちが箱を開けては、値札をつけていく。


「古毛布七枚。虫食いなし、染み少々。まとめて銅貨三十枚」


 商会番頭の声が、朝の冷気に乾いて響いた。

 わたしは裏門の影で、濡れた棚卸し札を握りしめる。隣では薬師のテオさんが、診療鞄を肩にかけたまま息を潜めていた。


「ミラ、本当に戻るのか。きみは昨日、追い出されたばかりだ」

「戻るのではありません。未配送分を回収しに来ただけです」


 処分箱の上に、古毛布が七枚、紐で縛られていた。

 灰色の布。端に伯爵家の織り印。冬支度用の油紙に包まれていたはずのものが、いまは裸のまま冷たい木箱へ押し込まれている。


 わたしが指先で一枚目に触れた瞬間、水面が開いた。


 ――隙間風の入る部屋。

 ――二人で一枚の布を引っ張り合う、小さな手。

 ――「今日は窓側の子を先に」と、かすれた声で言う院長。


 次に二枚目。


 ――咳をする男の子の肩。

 ――夜番の少女が、自分の布を年少組へ譲って、膝を抱える姿。


 七枚は、七枚の値段ではなかった。

 七つの夜を、朝までつなぐ数だった。


「やはり孤児院です。冬支度台帳の未受領分」

「でも帳簿上は、余剰品なんだろう?」

「いいえ」


 わたしは胸元から、昨日テオさんの診療所で写した受領欄の控えを出した。

 孤児院冬支度、毛布七枚。配送予定日は三日前。受領印は空白。

 その横に、伯爵家の倉庫台帳では赤い処分印。


 同じ品物が、受け取る側では「届いていない」、売る側では「余っている」ことになっている。


「空白を、余り物の証拠にしてはいけません」


 わたしは処分箱へ歩き出した。


「おい、何をしている」


 伯父――家令のラドムが、帳面を抱えたままこちらを振り向いた。目が合った瞬間、彼の眉が吊り上がる。


「ミラ。おまえに倉庫へ触れる権利はもうない」

「倉庫へは触りません。未配送予約分へ触れます」

「言葉遊びをするな」


 ラドムは商会番頭へ顎をしゃくった。

 番頭が古毛布の紐を引き、商会札を重ねて結ぶ。伯爵家の織り印が、黄色い買付札の下へ隠れた。


「貧乏伯爵家に、善意で寝かせておく布などない。使っていないものを金に換える。それが管理だ」

「使っていないのではありません。使う場所へ届いていないのです」


 わたしは一歩前に出て、毛布の端をめくった。

 内側に、薄い青糸で縫われた小さな印がある。孤児院の冬支度品だけにつける、雪割草の印。


「この織り印は、伯爵家の一般備品ではありません。孤児院向けの防寒支給品です。こちらの配送札、三番目の穴が切れているでしょう。これは『年少寝室へ優先』の印。処分市へ出す品なら、穴は切りません」


 番頭の手が止まった。


「……そんな細かい印、買付側が知るはずない」

「知らないなら、買う前に確認してください。知っていて買うなら、未配送品の横流しです」


 ラドムの頬がわずかに歪む。


「受領印がない。孤児院が受け取っていないなら、伯爵家の在庫だ」

「受領印がないからこそ、まだ届ける責任が残っています」


 わたしは控えを番頭の前へ置いた。


「処分品として買うなら、まずここへ署名してください。『孤児院冬支度未受領分と知ったうえで買い受ける』と」


 番頭が喉を鳴らした。

 商人は安い品が好きだ。けれど、後で責任ごと高くなる品は嫌う。


「……家令殿。これは、話が違う」

「余計な真似を」


 ラドムがわたしの腕を掴もうとした瞬間、テオさんが間に入った。


「診療所として証言します。昨夜、青い保存瓶も同じ処分箱から出ました。受領印の空白が連続しているなら、冬支度品の流れを止めている者がいる」


 その言葉に、裏庭へ集まっていた使用人たちがざわめいた。

 誰も、孤児院の毛布を売った人間にはなりたくない。


 番頭は黄色い買付札を外し、舌打ちと一緒に箱を押し返した。


「商会は、この七枚を買わない。受領先が決まっているなら、うちの荷馬車に載せる筋合いはない」


 勝った、とは思わなかった。

 まだ届いていないだけのものを、やっと出発線へ戻しただけだ。


 わたしとテオさんは、古毛布を二枚ずつ抱え、残りを古い台車へ積んだ。裏門を出るとき、ラドムの声が背中に刺さる。


「その毛布で借金が消えると思うなよ」

「思いません」


 わたしは振り返らなかった。


「でも、今夜、子どもが一人で眠れます」


 孤児院は、丘の下にある。

 朝の鐘が鳴るころ、わたしたちは扉を叩いた。院長のマルタさんは、わたしの腕の毛布を見るなり、言葉を失った。


「それは……届かないものだと思っていました」

「届きました。いえ、遅れました。受領印をお願いします」


 マルタさんの手は震えていた。

 でも判子を押す音は、はっきりしていた。


 七枚の毛布は、すぐに部屋へ運ばれた。

 一枚は窓側の寝台へ。一枚は咳をしていた男の子へ。一枚は夜番の少女の肩へ。残りは年少組の寝床を二つずつ包むように重ねられた。


「……今日は、布を取り合わなくていいの?」


 いちばん小さな子が、毛布の端に頬をつけて聞いた。


「いいのよ」


 マルタさんが答える前に、わたしは膝をついた。


「これは、あなたたちの冬支度です。余り物ではありません」


 子どもは、安心したように目を閉じた。

 その一息だけで、銅貨三十枚より重かった。


 受領台帳に、七つの印が並ぶ。

 空白だった欄が、生活へ戻っていく。


 けれど、最後の一行でわたしの指が止まった。


 水車用歯車一つ。

 粉挽き小屋、朝焼きパン用。

 受領印、空白。

 処分予定、明日正午。


 荷札に触れると、水面の向こうで、水車が止まっていた。

 粉袋を抱えたパン屋の女将が、冷えた窯の前で唇を噛んでいる。


 そして黒塗りの受け取り先の下に、今度は商会印ではなく、伯父ラドムの個人印が薄く浮いていた。


「次は、歯車です」


 わたしは台帳を閉じた。


「明日のパンを、余り物にさせません」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ