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追放された貧乏伯爵家の在庫係、余り物に触れると『次の持ち主』が見えるので倉庫から領地を救います  作者: 花守りつ


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ノエルの月印は、本人が港へ来た証拠ですか

白霧港の雨上がりは、石畳のくぼみにだけ夜を残していた。


ミラは濡れた旧入港帳の写しを、胸の前で押さえて歩く。


王都救済準備室の使者印。


旧棚卸印の写し。


そして、丸の中に小さな月を刻んだ、ノエルの確認印。


三つの印が同じ紙に並んでいるだけなら、港役人はすぐに言うだろう。


本人が来た。


本人が受け取った。


ならば本人が持ち出した。


「違います」


ミラは、まだ誰にも言われていない言葉に首を振った。


印が港へ来たことと、人が港から帰れたことは、同じではない。


ノエルは臆病な少年だった。


伯爵家の倉庫で夜番をする時も、戸締まり札を一枚では済ませなかった。


表の扉に一枚。


裏の荷車口に一枚。


「見たもの」と「見ていないもの」を、彼は必ず分けて書いた。


だからこそ、本人が港へ来たなら、月印の隣にもう一つ、帰着札があるはずだった。


ない。


それが、いちばん大きな声だった。


「ミラさん」


カイが、港の荷車置き場を指さす。


雨水で薄くなった轍が、検疫所の裏口から外門へ伸びていた。


荷車の車輪幅は細い。


伯爵家の粉袋を運ぶ大きな車ではない。


使者用の小さな箱車だ。


「これ、さっきの帳簿にあった荷箱の車ですか」


「たぶん。でも、車輪だけでは閉じません」


ミラは轍の脇にしゃがみ、落ちていた黒い糸くずを拾った。


王都使者の外套に使う、濡れても色落ちしにくい黒糸。


そしてその横に、白い蝋の欠片が一つ。


旧棚卸印を入れていた木箱の封蝋に似ている。


ミラが触れると、欠片の奥で短い景色がはじけた。


小箱。


濡れた布。


誰かの手が、月印だけを布に包む。


その手の先に、ノエルの顔は見えない。


見えたのは、伯爵家裏門の小さな灯りと、閉じられていない帰着札の紐だった。


「本人じゃない」


ミラは息を吸った。


「少なくとも、この印が見せている次の持ち主は、ノエルさん本人ではありません」


「じゃあ、誰かが印だけ持ってきたんですか」


セナが、薬箱の鍵を握り直す。


「その可能性があります。でも、ここで大事なのは犯人名ではありません」


ミラは青札を三枚取り出した。


一枚目に、こう書く。


ノエル月印、本人到着未確認。


二枚目。


夜勤半日賃金、本人受取未完了。


三枚目。


帰着先未確認。犯人欄記入不可。


港の荷車番が、露骨に顔をしかめた。


「そんな札を増やすな。月印があるなら、そいつが来たんだろう。夜勤者一人の話で港の処理を止められるか」


「夜勤者一人の話ではありません」


ミラは、荷車置き場の壁にかかっていた賃金控えを指した。


白霧港臨時夜勤賃金帳。


雨の夜に使った者だけが、朝に半日分を受け取る帳簿だ。


そこにも、閉じた言葉があった。


処理済み。


けれど、受取人欄は空白だった。


「ここにいる夜勤者の方で、昨夜の帰り賃をまだ受け取っていない人はいますか」


誰も答えない。


答えれば、港役人に目をつけられる。


ミラは待った。


カイが一歩前に出る。


「リオ。お前、北門まで歩いて帰ったって言ってたよな」


荷車の陰から、細い青年が顔を出した。


肩に縄の跡が残っている。


「……荷箱を外門まで押しただけだ。名前を書くほどの仕事じゃないって言われた」


「帰り賃は」


「処理済みだって」


「受け取りましたか」


青年は首を横に振った。


ミラは彼の前へ青札を差し出す。


「名前を書けますか」


「書いたら、ノエルって人の仲間にされるんじゃ」


「違います」


ミラは、三枚目の札を青年にも見える高さへ持ち上げた。


「名前を書くのは、誰かを犯人にするためではありません。帰れたか、賃金を受け取ったか、次の仕事に同意したかを、本人の言葉で止めるためです」


リオの喉が動いた。


彼は濡れた指で炭筆を握り、ぎこちなく書いた。


荷車押しリオ。北門帰着、夜明け後。半日賃金未受領。


小さな行だった。


けれど、その行が入った瞬間、賃金帳の「処理済み」は嘘になった。


港役人が机を叩く。


「勝手に未完了へ戻すな」


「処理済みを、生活到着条件へ戻しているだけです」


ミラは答える。


「荷箱が外門へ着いても、押した人が名前で賃金を受け取り、帰ったことを確認されるまで、夜勤は完了ではありません。ノエルさんの月印も同じです。印が港へ着いても、本人の帰着先がないなら、本人到着の証拠にはなりません」


セナが、リオの札に証人として名前を書く。


カイも続いた。


港役人は顔を赤くしたが、三人の名前が並んだ札を、もう紙屑とは呼べなかった。


「リオさんの半日賃金は保留ではなく、本人未受領として港金庫から切り分けてください。帰り賃もです。ノエルさんの欄は、犯人欄ではなく帰着先未確認へ移します」


「ノエルが見つからなければどうする」


「見つからないからこそ、閉じません」


ミラは、旧入港帳の写しを広げた。


滲んだ月印の横に、かすかな数字が残っている。


荷車番号、四七。


その番号を見た瞬間、カイが眉をひそめた。


「これ、港の番号じゃない。王都の救済荷車です」


「知っているんですか」


「昨日、返還倉庫予定地の売却図面を運んだ車に、同じ四七がありました。黒い札で隠してたけど、角が見えた」


ミラの手の中で、青札が少し湿った。


ノエルの月印は、港へ来た証拠ではなかった。


誰かが夜勤者の名前を借り、旧棚卸印の写しを運び、さらに返還倉庫予定地の図面へ同じ荷車番号を残した証拠だった。


「次は、四七番車の帰着先を数えます」


ミラは月印の横に、もう一行を書き足した。


荷車四七、返還倉庫予定地図面へ接続。生活到着未完了。


ノエルの名前も、リオの賃金も、返還倉庫の場所も。


まだ、処理済みにしてはいけない。

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