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追放された貧乏伯爵家の在庫係、余り物に触れると『次の持ち主』が見えるので倉庫から領地を救います  作者: 花守りつ


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旧棚卸印の写しは、誰の手に渡ったのか

ミラは、白霧港の規則書を閉じなかった。


閉じれば、作成者欄の青い保留札まで、ただのしおりになってしまう。


そこに押されていたのは、伯爵家の古い棚卸印の写しだった。


余剰確認済。


生活到達未記載。


かつてミラが、捨てられる瓶や毛布を守るために使っていた注意書きである。


「その印、ミラさんのものなんですか」


セナが、冷棚の鍵を胸の前で握ったまま聞いた。


「私の考え方で作った印です。でも、これは私が押したものではありません」


ミラは規則書の端に指を置く。


「私が押す時は、必ず次の欄を書きます。誰の棚へ届くか。いつ使うか。受け取る人の名を誰が確認したか」


カイが、自分の袖につけた青札を見る。


搬送者カイ。網小屋確認後、帰着賃金未確認。渡し賃保留。


字は曲がっている。


けれど、そこには人がいた。


規則書の作成者欄には、人がいない。


印だけがいる。


「印は、物と違って触っても見えないんですか」


「見えます」


ミラは小さく答え、作成者欄の複写印へそっと指先を当てた。


冷たい紙の感触の奥に、短い景色が浮かぶ。


伯爵家の旧倉庫。


雨の夜。


棚卸印を入れていた木箱が、帳簿棚の下段から引き出されている。


誰かの手袋。


黒い縁取りの袖。


そして、扉の外に立つ夜勤者が一人、雨具の裾を握ったまま、何か言おうとして言えない顔をしていた。


名前が、見えない。


ミラは眉を寄せた。


「夜勤者がいました」


「泥棒ですか」


「違うと思います。見張っていた。あるいは、渡された」


港役人が鼻で笑った。


「印の写し一つで大げさな。王都救済準備室が正式に承認した規則だ。棚卸印の出どころなど、港には関係ない」


「あります」


ミラは、規則書の裏面を港の机に広げた。


「この印があるせいで、薬箱は回収台へ戻されかけました。カイさんの賃金は帰り道ごと空白へ流されかけました。印は飾りではありません。誰かの夜薬と、誰かの帰宅賃を動かす責任です」


「責任なら王都の承認欄にある」


「いいえ。承認欄だけでは、生活に届きません」


ミラは青札を一枚、半分に切った。


一つを規則書の作成者欄へ。


一つをカイの袖札の隣へ。


「旧棚卸印写し、使用経路未確認。白霧港仮規則の生活影響に接続。確認が終わるまで、この規則で現場欄を上位補完へ送らない」


「そんな勝手な札が通るか」


「通らなくても、ここに置きます。空白を動かす時は、動かした人の名前が必要です」


セナが、震えた息を吐いた。


「薬係セナ、確認中、と書きます」


彼女は自分の札に、もう一行を足した。


旧棚卸印写しのため、夜薬予備は青札保留。


カイも、濡れた袖を机に近づける。


「搬送者カイ。帰着賃金、印の経路が分かるまで未完了」


港役人が顔をしかめた。


「賃金まで印のせいにするな」


「印のせいにしているのではありません」


カイは小さな声だったが、逃げなかった。


「印のある規則で、帰り賃が後回しになったんです。なら、印のことが分かるまで、おれは帰れていないままで数えてください」


ミラは、その言葉に胸の奥を突かれた。


帰れていないままで数える。


それは、在庫係がずっと守ろうとしてきたことだった。


瓶が届くまで、瓶は余りではない。


毛布が眠る子へ渡るまで、毛布は処分品ではない。


運び手が名前で賃金を受け取り帰るまで、配送は完了ではない。


そして、印が誰の手で生活を動かしたか分かるまで、職能は返却済みではない。


「港の夜勤帳を見せてください」


ミラが言うと、役人は眉を跳ね上げた。


「今度は夜勤帳だと?」


「この規則が届いた夜、誰が受け取ったかを見ます。港に来た王都使者の印、受取人、荷箱番号。それと、伯爵家で旧印箱が出た夜の夜勤者名を照合します」


「伯爵家の夜勤帳など、ここにはない」


「でも、港の受取帳はあります」


ミラは机の端に積まれた薄い冊子を見る。


検疫物受取帳。


回収台搬入帳。


夜間使者入港帳。


どれも、上に小さな丸い穴が開いていて、紐でまとめられるようになっている。


在庫係には分かる。


よく使う帳簿は、紐穴の周りだけ紙が少し白くなる。


夜間使者入港帳だけ、そこが新しかった。


取り替えられている。


「その帳簿、最近写し替えましたか」


港役人の視線が、一瞬だけ右へ逃げた。


「水濡れでな」


「水濡れした帳簿は、捨てましたか」


「処理済みだ」


処理済み。


ミラは、その言葉を机の上で止める。


「では、水濡れ帳簿の処理先を見せてください」


「ない。読めない紙屑だ」


「読めない紙屑なら、誰の入港名も閉じられません」


セナが、薬箱の青札をぎゅっと押さえた。


カイが、外の雨上がりの道を見る。


港役人は、長く黙った。


やがて、舌打ちをして、机の下から小さな木箱を引きずり出した。


「焼却待ちだ。見ても無駄だぞ」


木箱の中には、湿って波打った紙束が入っていた。


夜間使者入港帳、旧冊。


文字は滲んでいる。


けれど、在庫係は、読めるところから読む。


ミラは紙束を一枚ずつめくった。


日付。


追放日前夜と同じ夜。


入港時刻、三つ目の鐘。


使者印、王都救済準備室。


受取荷箱、封蝋つき小箱一。


受取人欄は、滲んでいる。


だが、欄の端に残った一画だけは、はっきりしていた。


「……ル」


カイが身を乗り出す。


「名前ですか」


「最後の字だけです」


ミラは紙を光へ透かした。


その下に、もう一つ、押し跡が残っている。


伯爵家の古い倉庫で使っていた、夜勤者の確認印。


丸の中に、小さな月。


ミラは知っている。


追放の日の前夜、倉庫の夜番だった少年。


ノエル。


臆病で、いつも確認札を二枚書く子だった。


「ノエルが、港で受け取ったことになっている」


「その人が犯人ですか」


セナが聞く。


ミラは首を横に振った。


「まだ、そう閉じません」


ノエルは、伯爵家の倉庫から出たことがないはずだった。


港へ来られる給金も、旅券も、彼にはない。


それなのに、港の濡れた帳簿には、彼の確認印だけが残っている。


本人が来たのか。


印だけが来たのか。


誰かが、夜勤者の名前を使ったのか。


「ノエル確認印、本人到着未確認」


ミラは青札にそう書いた。


「王都使者入港、旧棚卸印写し受取、生活影響未完了。白霧港では、ここまでを閉じません」


港役人が低く言う。


「それを持ち出すな」


「持ち出しません。写します」


ミラは濡れた帳簿のページを、その場で新しい紙へ写し取った。


セナが証人欄に名前を書く。


カイも、曲がった字で名前を書く。


港役人はしぶしぶ、検疫所保管印を押した。


それは全面勝利ではない。


濡れた紙はまだ読めないところが多い。


ノエルがどこにいるのかも分からない。


けれど、彼の確認印は、紙屑として焼かれなかった。


カイの賃金札も、帰り賃保留のまま閉じられなかった。


夜薬の二箱も、上位処理へ流されなかった。


ミラは、写しを青札で挟む。


「ノエルさんを、犯人にしないためにも、行きましょう」


セナが言った。


「どこへですか」


「夜勤者の名前が、港まで歩いた道です」


ミラは港の外を見る。


雨上がりの石畳に、細い荷車の跡が残っていた。


王都救済準備室の使者印。


旧棚卸印の写し。


ノエルの月印。


三つは、同じ濡れた帳簿に並んでいる。


「次は、ノエルの帰着先を数えます」


ミラは、閉じない写しを胸に抱いた。


「名前がここまで使われたなら、本人がどこへ帰るはずだったのかも、まだ完了していません」

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