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03 勇者の思想

 今を(さかのぼ)ること400年、この世は魔王という存在の脅威にさらされていた。

 巨大な龍であるとも、黒衣をまとった死霊の王であるとも言われているが、現在魔王の姿について定まった学説はない。

 

 問題は、この魔王を封印するために異世界から召喚されてきたという『勇者』という存在だ。

 魔王の封印にこそ成功したものの、勇者達の言動や思想は、当時の王制や国家体制に対する重大な挑戦と見做された。

 とはいえ、人類共通の脅威である魔王封印の功績は絶大であり、勇者を追放することも無視することも出来なかった。

 かろうじて当時の王や貴族たちは勇者に領地を与え、慣れない領地運営や政治にその力を使わせることで不満の矛先を逸らす事に成功した。あとは勇者たちが老いて死ぬのを待つばかりだった。

 

 唯一の誤算は、勇者たちがニホンという国の思想や制度、法についての情報を書き残していたことだった。

 当時の王家や貴族にとって劇薬どころか毒薬にしかならない情報をまとめた書物は、世界中の国から『忌むべき禁書』として扱われ焼き払われた。

 奇跡的に残ったこの勇者の書は、さしずめ悪徳の書というところだろう。

 

「クククク……当時の王家や貴族が何を恐れたのか……分かってきたぞ」

「さすがです坊ちゃま、エルザは誇らしいです」

 

 紅茶を運んできたエルザは、何故かことさらに胸元を大きく開けて前かがみになり、目の前に紅茶のカップを丁寧に置いた。

 父上からは『女体について実地で学ぶのも帝王学のひとつ。エルザはお前の好きなようにしろ』と言われてある。まぁ今も徒手格闘や短剣術の訓練に付き合わせているし、眠る間の護衛もさせている。それこそ自分の時間など全く無いくらいにこき使っている。

 もう長いこと私の好き勝手に振り回しているが音を上げないところも、私にとって有能な従者たる所以(ゆえん)だ。

 

「お兄様、少々よろしくて?」

 

 まだ幼い妹、エリザベータがドアの向こうから声をかけてきた。

 エルザがドアを開け、可愛い妹を招き入れる。

 

「古文書の、勇者の書の内容が気になりますわ。わたくしにも教えて下さいませ」

「あぁ、良いだろう。エルザ、妹にも紅茶を」

「かしこまりました、坊ちゃま。ではお嬢様、こちらのお席へ」

 

 丁寧にエリザベータに席を勧めたエルザは、慣れた手つきで紅茶を淹れる。

 エリザベータの従者であるメイドは鋭い目でエルザの手元を凝視している。彼女はエリザベータの身辺警護も担っている。

 

 他家では身内同士での暗殺も日常茶飯事と聞く。

 実に愚かな事だ。身内同士で力を削りあって一体何の利益があるというのか。

 家を継ぐもの、権力を継ぐものが決まっているのならば、その家が持つ権力を最大化する義務を負うものに権力を集中すれば良いのだ。

 

「我が家は他家のような愚かな争いは起きないのが幸いだな」

「うふふ、お兄様がいらっしゃれば、そんな争いなんて起きようはずがありませんわ」

 

 わずか9歳にしては大人びた物言いだ。もっとも、10歳の私も人の事は言えない。

 

「お兄様、勇者の書にはどのようなことが書いてありましたの?」

「あぁ、アレこそ真の悪徳の書だ。王制を、貴族制を根本から否定するような内容だった」

「まぁ怖い」

 

 そう言いながらもエリザベータの目は大きく見開かれ、まるで幼い頃私にお話をせがんで来た時のようだ。

 

「例えば、どのような?」

「そうだな……恐ろしい話をするぞ? 心しておけ。勇者の国ではな、なんと愚民どもが自らの手で(まつりごと)を担う者たちを選んでいたそうだ……その者たちは立法府で法を作る。それに何よりも恐ろしいことに、勇者の国には貴族はおろか、王すらいない」

「まぁ、なんて恐ろしい……王がいない国など、国がまとまるはずがありませんわ。そんな国、他国から攻め滅ぼされるしかありませんわ……」

「そうだ。おまけに愚かな民が政治に関わるなど、悪夢以外の何物でもない。民には民の領分がある。我々には愚かな民を導き、国を豊かにするという崇高な役目があるというのに、その役目をろくに教育も受けていない、読み書きすらろくに出来ない民衆に担わせるというのだ」

「そ、そんな恐ろしいことを……勇者の国は混乱の極致なのではなくて? お兄様?」

「いや、それが不思議なことに一定の繁栄を享受していたようだ。それどころかかなり豊かな国であったと記されている。愚民ども全員が我々貴族と同じような教育と訓練を受けている、という前提がなければ到底あり得ない」

「有り得ませんわ。民衆がわたくしたち貴族と同じ教育を? そんな事到底考えられませんもの」

 

 勇者の国というのは、どこか狂っているのだろう。

 身分制度もなく、そして誰でもが好きな職につくことが出来るなどという話は、我々の創世神話をも根本から否定するようなものだ。

 創世神が我々人類をお作りになったときに、加護をお与えになった。

 その加護は現在は『ジョブ』と呼ばれ、その者がどんな職に就くべきか、どう生きるべきかを明確に指し示すものだ。戦士や騎士ならば戦闘に携わるジョブを、職人ならば職人のジョブを持つものがその道に進む。

 それを『誰でも好きな職に就ける』など、創世神への冒涜とも言える所業だ。

 

「……クククク、これこそが悪徳……神すら恐れぬ所業、さすがは勇者だ。そうでなくては面白くない」

「さすがお兄様ですわ! 勇者すら恐れない胆力、シビれますわ、憧れますわ!」

 

 可愛い妹だ。長ずれば母上のような聡明で美しいレディになることだろう。

 エルザのエリザベータを睨むような視線が若干気になるが、わが公爵家の女性達はいずれも仲が良い。素晴らしいことだ。

 

 さぁ、我がダンストン家とダンストン公爵領に革命を起こすであろう『勇者の書』、その真髄に触れようではないか。

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