15 天才少女エリザベータ・フォン・ダンストン
エリザベータにフク式簿記の概念を説明したところ、侍女のアビゲイルも揃ってたちどころにその真髄を理解したようだ。やはり持つべきものは天性の才能を持つ家族。これほど頼りになる存在はいないと言えよう。
「すばらしいですわお兄様……この記帳法なら、確かに否応なく利益を利益として計算せざるを得ませんわ……」
「確かに、この記帳法は従来のものと比べて、『解釈』が入り込む余地がかなり小さく抑えられます。納税額を誤魔化そうとする商店や組合、ギルドからすれば悪夢でしょう……」
エリザベータは文字通り算術の天才だ。
暗算の速度や正確性はさることながら、算盤を使った複雑な計算もお手の物である。
今や母上の記帳作業を手伝うまでになっており、その計算の速度と正確性は、熟練の会計担当者をも凌ぐ。
「お兄様、このフク式簿記は世界を変えてしまいかねませんわ……貸借対照表に損益計算書……この2つの組み合わせで、そのものがどれだけの資産を持ち、どれだけの負債があり、どれだけの収益を上げているのか、いやでも理解できてしまいます」
そう、それこそがこのフク式簿記の狙いだ。
数字の解釈の違いとやらを言い訳に、何とかして収益をごまかそう、税金を減らそうなどと考える不逞の輩は後を絶たない。
だが、この記帳法を用いれば、フク式簿記を理解するものならば10人が見て10人全員が同じ結果に行き着くのだ。
伝統的な記帳法では、どの数字をどう組み入れるかは記帳するものの判断や思想、信条に大きく左右される。が、フク式簿記ではその『思想』や『信条』というものの立ち入る余地がない。
「本来、そうであるべきなのだ。10クローネで仕入れたものを12クローネで売ったのなら、2クローネが利益。だが店の従業員の給料に仕入れ値の他の費用、店の設備を売って得られる臨時収入、そういったものを正確に計算に組み入れるための統一的な基準がなかった。そう! 規格がなかったのだ! ここでも、個人の裁量などというくだらんものが介在していたのだ! あってはならん、そのようなこと、断じてあってはならん!」
「そのとおりですわお兄様!」
「わたくしもそう思いますわ、ダニエル。それにエリザベータ」
声の方向へ視線を向けるとセバスチャンに見知った顔の女を連れた母上が立っている。
嬉しそうな顔で私と妹へ目を向けると、すぐ後ろの女を前へ歩み出させた。
「わが公爵家の会計を担当する執事の一人、マリアベルは知っていますね? そのフク式簿記の概念をマリアベルにも教えなさい。彼女は会計と算術においてはエリザベータの師でもあります。そのような重要なものであるならば、マリアベルが理解しないわけはいかないでしょう」
「願ってもないことです母上! ありがとうございます! ではマリアベル、貴様にもこの闇の組織ショー・コーカ・イギショの奥義、フク式簿記の概念を授けてやる」
「はい、坊ちゃま。お嬢様も、よろしくお願いいたします」
さすが天才の二人は、飲み込みが恐ろしく早かった。
私が理解に2週間を要したフク式簿記の概念をわずか2日で理解すると、その後は凄まじい勢いで帳簿の様式の作成まで進めていった。
「確かに、この帳簿は恐ろしく効率的……例えばこの売掛金元帳を使えば、誰に対してどれくらいの債権があるのか、ひと目でわかります」
「それに、この帳簿を分割するという方法は画期的ですわ……これなら債権を管理する担当、現金を管理する担当、国際ギルド銀行の口座を管理する担当と、会計の規模が大きくなっても分業が容易ですわ」
「さすがエリザベータお嬢様です、そこに着目されるとは……私もそこは気になっておりました。公爵家の会計担当者は10人おりますが、すべてをひとつの帳簿で管理することに限界を感じていたのです。これならば担当を分けて、決算のときにその帳簿を『総勘定元帳』に記して集計することで、すぐに損益を計算することができる……恐ろしい記帳方式です。ダニエル坊ちゃまがこのような仕組みをお考えになっていたとは」
さすがの私も会計の専門家であるマリアベルには、会計知識では敵わない。だが、彼女の反応を見るに、やはりこのフク式簿記は画期的であるようだ。
「どうだ親方、そちらの会計担当は理解できているか」
やたらと小柄な女は、目を丸く見開いてしきりに頷いている。
リット・メトルという女はキロの娘であるようだ。そういえばキロ・メトル法を定める話し合いの中で『容積の単位にリットというものを使いたい』と申し出があったが、親方め、ちゃっかり自分の娘の名を組み込んでいたか。
「す、すばらしいのです……このような会計方法、私は見たことも聞いたこともないのです! この方法なら、工房の会計の仕事も比較にならないほど早くなるのです!」
「そうか。ではエリザベータ、マリアベル。このリットも含めた3人でフク式簿記のルールを作って欲しい。それから、我が公爵領でのいきなりの導入は難しいからな。エリザベータも父上から予算を与えられているのだろう。エリザベータの収支計算にこのフク式簿記を取り入れてみるんだ。それに親方の工房では、ぜひリットにフク式簿記での記帳を試させろ。人手が足らんなら雇う金は試験期間に限り私が出す」
「あ、ありがとうございますです!」
親方であるキロよりも先に、リットが立ち上がって頭を下げてきた。
会計の現場を知る者にとって、この記帳方式はよほど有用なのだろう。
「ふふん、素晴らしいぞ……良いか、貴様らには私の共犯になってもらう。このフク式簿記は、禁書『勇者の書』にあった、ショー派の勇者が書き残した手記にあったものだ。これが何を意味するか、わかるな?」
「ゆ、勇者の書……? その、禁書というのは、一体なぜそのような?」
マリアベルが不安げな顔を向けてきた。
それもそのはずだ。禁書などというものは、本来ならば持っているだけでも投獄されるような代物。その内容を読み解くなど王家への冒涜、神をも恐れぬ所業とすら言われている。
「クククク……良いだろう、聞かせてやる。なぜこの勇者の書が禁書とされたのか、その真の理由をな」
顔の筋肉が笑みを浮かべるのを止められない。
さぁ聞くが良い、悪徳の禁書、勇者の思想をな。




