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第9話 壊れたなら、こうはならない



 翌日の朝、俺は昨日の臨海工業地区へもう一度行くことになった。


「現場復帰初日から同じ場所に二回って、地味に嫌だな」


「向こうも同じこと思ってるだろ」


 助手席の早瀬さんが、コンビニコーヒーの蓋を押さえながら言った。


「昨日『問題ありません』って帰った機構が、翌朝また来るんだから」


「俺たち、問題ありませんとは言ってなくない?」


「残留危険なし、な。現場の人からしたら似たようなもんだ」


 それはそうかもしれない。


 昨日搬送された作業員――森岡さんの症状と、会社から提出された能力使用記録が噛み合わない。


 今のところ分かっているのは、それだけだった。


 一回しか能力を使っていないという記録。


 それに対して、医療側から見た反動が少し重い。


 だから追加確認。


 別に犯罪捜査が始まったわけじゃない。


「今日、俺たち必要?」


「最初に現場見てるからな。設備の位置と、昨日から動いてる物がないか見るだけ」


「それなら分かる」


「勝手に推理始めんなよ」


「しないって」


「昨日宮野さんにも言われてたろ」


「何で知ってんの?」


「同じ班だから」


 情報が早い。


 後部座席から、小さな笑い声がした。


「鳴海さん、そういうことしそうなんですか?」


 振り返る。


 藤崎灯里が工具ケースを膝へ載せて座っていた。


 昨日、俺のハーネスを使用停止にした技術員だ。


「しないよ」


「早瀬さんと宮野さんの評価と割れてますね」


「二対一を多数決に使わないで」


「私はまだ入れてません」


「じゃあ一対二にできる」


「何で私が鳴海さん側なんですか」


 違うらしい。


 今日藤崎が来る理由は、現場の作業記録端末と安全警告装置の確認だった。


 昨日の医療照会を受けて提出されたデータの一部に、技術側でも確認したい点があるらしい。


 詳しいことは聞いていない。


 聞いても多分分からない。


「それより」


 藤崎が前の座席の間から顔を出す。


「新しいハーネスどうでした?」


「よかった」


「終わり?」


「何を求めてるの」


「当たり方とか、走った時とか」


「昨日訓練で使った。前より右の金具が当たらない」


「走りました?」


「階段搬送」


「能力なし?」


「なし」


「じゃあ今日、現場で使わなかったら後で動作確認させてください」


「何で俺の予定にもう入ってるの?」


「装備の調整したので」


「仕事熱心だな」


「違います。合わなかったら二度手間になるからです」


 そっちだった。


 車が臨海地区へ入る。


 昨日と同じ倉庫群が見えてきた。


 天気も似ている。


 違うのは、今日は入口に消防車がいないことくらいだった。


 現場管理の緒方さんが待っていた。


「昨日に続いてすみません」


「いえ。こちらこそ確認増えてすみません」


 早瀬さんが応じる。


 緒方さんの顔には疲れが見えた。


 昨日より少しだけ髭が伸びている。


「森岡さんは?」


「まだ入院です。命に別状はないって聞いてます」


「よかったです」


「本当に」


 緒方さんは一度だけ倉庫の中を見た。


「本人、昔から無茶するところあるんで。今回も休めって言ったんですけどね」


 早瀬さんが返事をする前に、藤崎が工具ケースを持ち直した。


「作業記録端末と安全警告装置を見せてもらえますか?」


「ああ、はい。こっちです」


 昨日見た作業区画へ入る。


 吊り上げ途中だった金属部材は、もう床へ下ろされていた。


 工具も片づいている。


 壁の勤務管理端末だけは同じ場所にある。


 画面には今日の勤務者が表示されていた。


「昨日から端末交換してませんよね?」


「してないです」


「電源落としました?」


「夜に通常終了はしてます」


「分かりました」


 藤崎が端末の前へしゃがむ。


 俺と早瀬さんは少し離れて立った。


「俺たち何すればいい?」


「昨日と配置変わってるものあったら言え」


「金属部材が下りてる」


「見りゃ分かる」


「じゃあ特にない」


「早いな」


 昨日の作業台を見る。


 スポーツドリンクは片づけられている。


 人も少ない。


 昨日休憩していた若い作業員の姿はなかった。


「藤崎さん」


 緒方さんが端末を覗く。


「何かありました?」


「まだです」


「医療から、使用回数がおかしいんじゃないかって話なんですか?」


 藤崎の手が止まった。


「私はそれを判断する立場じゃないです」


「でも端末見てるってことは」


「記録機器が正常だったか確認しに来ています」


「そうですか」


 緒方さんはそれ以上聞かなかった。


 少しして、藤崎が立ち上がる。


「こっちの端末は一回持ち帰って解析します」


「故障ですか?」


「まだ分かりません」


「昨日も普通に動いてましたけど」


「画面が映ることと、内部記録が正常なことは別なので」


 語尾は柔らかい。


 でも、さっきまで俺と話していた時より少しだけ言葉が固い。


「安全警告の方はどこです?」


「奥です」


 緒方さんが案内する。


 倉庫の隅に、小さな制御盤があった。


 作業者の能力使用申告や休憩時間と、重量物作業の予定を照合して、条件次第では警告を出す設備らしい。


 俺も存在は知っていた。


 詳しい仕組みまでは知らない。


「これ、開けますね」


「どうぞ」


 藤崎が保護カバーを外す。


 工具を一本取り出した。


「鳴海さん」


「何?」


「そこ立たないでください」


「邪魔?」


「影になります」


「はい」


 一歩横へずれる。


「もう少し」


「厳しいな」


「見えないので」


 さらに動く。


 早瀬さんが笑っている。


「完全に使われてるな」


「早瀬さんも邪魔です」


「俺も?」


「はい」


 二人で下がった。


 藤崎だけが制御盤の前に残る。


 数分間、ほとんど喋らなかった。


 端子を確認し、写真を撮る。


 一度カバーを閉めかけて、また開ける。


 指先で一本の配線に触れた。


「……長谷部さんにこれ送ります」


 独り言みたいに言って、端末で写真を何枚か撮った。


 緒方さんが近づく。


「何か壊れてます?」


 藤崎はすぐには答えなかった。


 写真を送信してから、配線をもう一度見る。


「警告出力のコネクタが外れてます」


「外れてる?」


「はい」


「それで昨日鳴らなかったってことですか?」


「それはまだ分かりません」


「でも外れてるんですよね」


「外れてます」


 緒方さんの眉が寄る。


「故障ですか?」


「故障という言い方は、今はしません」


「何で?」


 藤崎が顔を上げた。


「壊れたなら、普通はここがこうはならないので」


 制御盤を指す。


 俺には違いが分からない。


「コネクタが抜けてるだけです。端子側に焼けもないし、線も切れてません」


「振動で抜けたとか」


「可能性は確認します」


 否定しない。


「ただ、固定爪があるので、自然に抜けたと断定もできません」


 緒方さんが黙った。


 早瀬さんが口を挟む。


「いつからこの状態だったか分かりますか?」


「現場では無理です」


 藤崎は即答した。


「ログと機器を持ち帰ります。交換履歴も必要です」


「履歴なら出せます」


「お願いします」


 そこで会話は終わった。


 俺は制御盤を見る。


 コネクタが一本抜けている。


 それだけ。


 誰かが抜いたとは限らない。


 いつ抜けたかも分からない。


 森岡さんが倒れたことと関係あるかも、まだ分からない。


 でも昨日より、「分からない」の数だけは増えた。


「鳴海」


 早瀬さんに呼ばれる。


「昨日、これ鳴ってた?」


「聞いてないです」


「警告音自体知ってる?」


「似た設備なら」


「昨日ここ来た時は?」


「鳴ってない」


「了解」


 それ以上聞かれなかった。


 緒方さんが近くの作業員を呼ぶ。


「昨日、これ警告鳴ってたか覚えてる?」


「え?」


 呼ばれたのは若い男だった。


 昨日休憩していた人とは別だ。


「安全盤。森岡が作業してた時」


「……俺、午前は別区画だったんで」


「午後は?」


「鳴ってないと思います」


「思いますじゃなくて」


「緒方さん」


 早瀬さんが止めた。


「こちらで必要なら正式に確認します。今ここで答え揃えなくて大丈夫です」


「あ……すみません」


 緒方さんはすぐ引いた。


 若い作業員が少しだけ肩の力を抜く。


 俺は何も聞かなかった。


 聞いたところで、今の俺には質問の仕方すら分からない。


 調べる人が調べればいい。


 その後、昨日の現場から大きく変わったものがないことを確認し、俺たちは作業区画を出た。


 藤崎だけは制御盤の前へ残った。


「先戻っててください」


「一人で平気?」


「技術の人、もう一人来ます」


「そう」


「あと鳴海さん」


「何?」


「今日ハーネス使いました?」


「車乗って現場歩いただけ」


「じゃあ動作確認はまた今度でいいです」


「予定から消えた」


「私も暇じゃないので」


「知ってる」


 藤崎がもう制御盤へ向き直る。


 仕事中の背中だった。


 俺たちは車へ戻った。


 早瀬さんが運転席へ座る。


「どう思う?」


「何が」


「コネクタ」


「外れてた」


「それだけ?」


「それ以上分かんないし」


「珍しく正しい」


「普段も正しいよ」


「それはない」


 エンジンがかかる。


 俺は助手席でシートベルトを締めた。


 昨日見た勤務記録は、一回。


 医療側は、その一回と症状が少し噛み合わないと言っている。


 今日見た警告装置は、壊れてはいなかった。


 ただ、鳴らない状態になっていた。


 そこまで。


 車が敷地を出る直前、倉庫の入口が見えた。


 緒方さんが一人で立っていた。


 スマホを耳に当て、誰かと話している。


 俺たちの車を見た気がした。


 でもすぐに視線は外れた。


 拠点へ戻る途中、業務端末に連絡が入った。


 送り主は宮野さん。


『東四区の元データ、昨日現場で見た表示と一致』


 続けてもう一件。


『ただし、編集履歴の確認が必要になった。現時点で判断不要』


 早瀬さんに画面を見せる。


「判断不要だって」


「お前向けに太字で書いてほしいな」


「しないって言ってるだろ」


 端末を閉じる。


 何かがおかしいのかもしれない。


 何もおかしくなくて、偶然が重なっているだけかもしれない。


 今の俺に分かるのは、そのくらいだった。


 ただ昨日まで「事故」としか呼ばれていなかったものに、今日は確認する項目が一つ増えていた。

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