第8話 一回だけ、のはずだった
臨海工業地区から戻った頃には、限定定食どころか昼休みそのものが終わっていた。
「だから出る前に食っとけばよかったんだよ」
早瀬さんがコンビニ袋を机へ置く。
「十五分しかなかったじゃん」
「お前なら食えた」
「何を根拠に」
「現場で判断速いから」
「咀嚼速度と関係ないだろ」
袋の中からおにぎりを一つ取る。
鮭。
俺が選んだ明太子は早瀬さんの手元にあった。
「それ俺の」
「俺が朝シフト代わった」
「昨日の借りを昼飯で回収するな」
「焼肉より安く済んでるぞ」
そう言われると返しにくい。
仕方なく鮭の包装を剥がした。
午後三時を少し回った機構の執務区画は、普通に忙しかった。
誰かが無線を受け、誰かが報告書を書いている。
俺たちがさっき見てきた現場も、その中の一件でしかない。
能力者の作業員が倒れた。
消防が二次危険を止めた。
機構が異能由来の残留危険を確認した。
なし。
現場返却。
それで終わるはずだった。
「鳴海」
端末へ三行目を書いたところで、少し離れた席から呼ばれた。
宮野さんだ。
管制と情報整理を担当している人で、現場から見ると大体いつもモニターの向こうにいる。
「東四区の件、ちょっといい?」
「はい」
「現場入った時、勤務管理端末見た?」
「見ました」
「内容覚えてる?」
「能力使用が九時四十二分。休憩が九時四十五分から十時十五分。午後は使用なし」
宮野さんの指が止まった。
「よく覚えてるね」
「目に入っただけです」
「それを覚えてることを言ってる」
「三行しかなかったので」
「なるほど」
納得したのかしていないのか分からない顔で、宮野さんは画面をこちらへ向けた。
会社側から提出された記録だった。
俺が見たものと同じ。
『能力使用 09:42』
『休憩 09:45〜10:15』
『午後使用なし』
「合ってる」
「そっか」
「何かあったんですか」
「医療側から補足照会」
宮野さんが別の画面を開く。
「搬送された作業員、森岡さん。急性処置のあと反動医療側へ移ってるんだけど、申告された使用履歴と今の機能低下が少し噛み合わないらしい」
「噛み合わない?」
「私に聞かないで。医療の話だから」
それもそうだ。
「現場の暑さとか、通常作業だけで負荷が上がる条件がなかったか確認したいって」
「暑かったです。倉庫の中」
「どれくらい」
「温度は測ってない」
「消防記録見る」
宮野さんが勝手に調べ始める。
「他には?」
考える。
吊られた金属部材。
工具。
作業台。
スポーツドリンク。
「森岡さんの名前が書いてある飲み物が三本ありました」
「水分取ってた?」
「多分。空でした」
「それは記録に入れて」
「関係あるんですか」
「分からない。だから入れる」
もっともだった。
俺は自分の席へ戻り、報告書へ一行追加する。
――作業台上に森岡氏名記載の空容器三本。
書いてから、少し馬鹿みたいに見えた。
倒れた人間が水を飲んでいた。
それだけだ。
でも俺が勝手に削る話でもない。
おにぎりを食べ終わる前に、業務端末へ追加照会が届いた。
送信元は反動医療センター。
担当者名に見覚えがある。
『白瀬由良』
「今日あっち勤務なんだ」
独り言が漏れた。
早瀬さんが横から覗く。
「誰?」
「昨日の医療スタッフ」
「ああ、お前の飼育員」
「違う」
即答した。
白瀬から来ているのは俺個人への連絡ではない。
東四区対応班宛ての正式な照会だ。
『現場環境について確認。
・高温環境の有無
・搬送前の通常作業内容
・能力使用後に重量物作業を継続していた可能性
・転倒/外傷を示す痕跡の有無』
その下に、
『現在の症状のみから追加使用を断定するものではありません』
とわざわざ書いてあった。
白瀬らしい。
分からないものは分からないまま送ってくる。
「俺たち着いた時、本人もういなかったですよね」
「そうだな」
早瀬さんがお茶を飲む。
「作業内容も管理者から聞いた範囲しか分からん」
「じゃあそれ書きます」
「そうしろ」
分からない欄へ「不明」と入力する。
全部埋めたくなるけど、埋める材料がない。
送信。
五分ほどして、白瀬から返信が来た。
『ありがとうございます。現場判断の追加は不要です。以降はこちらと労務側で確認します』
終わり。
「短い」
「業務連絡なんてそんなもんだろ」
早瀬さんが言う。
「もっと怒られるかと思った」
「何でお前が怒られるんだ」
「白瀬さんだから」
「普段何してんだよ」
説明すると長くなるのでやめた。
夕方までに報告書を出し、今日は珍しく定時に近い時間で上がれることになった。
出動で《後払い》も使っていない。
右足の違和感も、昼頃にはほとんど消えている。
帰りに限定カップ麺を探そう。
そんなことを考えながらロッカーへ向かっていると、宮野さんにまた呼び止められた。
「鳴海、ちょっと」
「まだ何か?」
「現場映像、確認したい」
「俺の?」
「ボディカメラ」
管制席へ戻る。
俺の今日の記録が画面に出ていた。
現場へ入るところ。
緒方さんから説明を受けるところ。
作業区画。
映像で見ると、思っていたより俺はあちこち見ている。
「ここ」
宮野さんが止めた。
勤務管理端末が映っている。
時間は十四時四十七分。
表示内容も読めた。
『能力使用 09:42』
『休憩 09:45〜10:15』
『午後使用なし』
「これ欲しかったんですか」
「うん」
「提出データと同じですよ」
「表示内容はね」
「他に何かある?」
「今、会社側から元データ一式が届いた」
宮野さんが別ウィンドウを開く。
「私もまだ中身見てない。これは担当が確認する」
「じゃあ何で呼んだんです?」
「画面に出てた記録が、現場到着時点で既にこの内容だったことだけ確定したかった」
「なるほど」
俺の映像が証拠になるらしい。
と言っても、俺が何か見つけたわけじゃない。
たまたま端末へ顔を向けていただけだ。
「俺、もう帰っていいですか」
「いいよ」
「何か分かったら?」
「必要があれば共有する」
「ですよね」
「自分で調べようとしないでね」
「しませんよ」
「現場の人、たまにやるから」
「俺、報告書で限界です」
「それは知ってる」
どこまで評判が広がっているんだ。
今度こそロッカーへ戻る。
着替えている途中で、業務端末が一度震えた。
機構内の案件更新通知だった。
東四区。
『追加確認中』
それだけ。
俺には関係ない。
今日は帰る。
靴を履き、外へ出る。
駅前のコンビニで限定カップ麺を見つけた。
残り二個。
二個とも買うか迷って、一個だけ籠へ入れる。
レジへ並んだところで、また端末が震えた。
今度は宮野さんから個別の業務連絡。
『さっきの件、一つだけ確認』
『現場で見た勤務端末、誰か操作してた?』
思い出す。
俺たちが入った時、端末の前には誰もいなかった。
『見てないです』
送る。
すぐ既読がついた。
『了解。ありがとう』
そこで終わった。
気にならないと言えば嘘になる。
でも俺が考えたところで、増えるのは推測だけだ。
スマホをポケットへ戻し、会計を済ませた。
その頃、俺が見た勤務記録がいつ入力されたものなのかを、別の人たちが調べ始めていたことを、俺はまだ知らなかった。




