第7話 戻った日の仕事は、だいたい地味だ
翌朝の再評価で、俺は現場復帰可になった。
「条件付きです」
真壁先生が一枚追加した。
「午後に疲労が強く出たら自己判断で続けない。今日の出動で《後払い》を使った場合は、帰投後に再評価」
「了解です」
「それと」
「まだあります?」
「昨日の夜、足の位置感覚がずれていた時に転倒は?」
「してないです」
「ぶつけた?」
一瞬迷った。
「玄関の壁に肩を」
「何で最初に言わなかったの」
「怪我してないので」
真壁先生が黙った。
隣にいた白瀬が、端末から顔も上げずに言った。
「本人申告と実測に差あり、の人なので」
「それ昨日の記録まだ使う?」
「事実は一晩で消えません」
便利な言葉を覚えさせてしまった。
肩を確認され、異常なし。
結局、十時前に現場班へ戻った。
「おかえり、短期決戦兵器」
ロッカー室で早瀬さんに迎えられた。
「何その呼び方」
「昨日の朝シフト代わった俺が決めた」
「却下」
「じゃあ医務室常連」
「もっと嫌だ」
「注文多いな」
早瀬さんは笑いながら、自分の防護ジャケットのファスナーを上げた。
俺のロッカーには、新しい腰部ハーネスが入っている。
昨日、藤崎が交換したやつだ。
同型だけど、ベルトの端に小さなタグが追加されていた。
『調整済・F』
誰が付けたのかは聞くまでもない。
装着して身体を捻る。
前の物より腰の右側が少しだけ短い。
「変わった?」
早瀬さんが聞く。
「ちょっと」
「分かるもんなんだな」
「毎日つけてるから」
「俺、たぶん言われなきゃ分からん」
そのくらいの違いだ。
でも走った時、金具が骨盤へ当たりにくい。
端末が震えた。
出動通知ではない。
『十二時より合同搬送訓練。第三訓練棟』
「地味だ」
「復帰初日に犯罪者出てきてほしいのか?」
「それは嫌」
「なら喜べ」
早瀬さんに肩を叩かれた。
現場職に戻った初仕事は、患者役の人形を階段から運ぶ訓練になった。
第三訓練棟は、古い雑居ビルを模した施設だ。
狭い廊下。
段差。
曲がり階段。
途中に倒れた棚。
能力を使えば楽になる場面はあるが、今日は原則不使用。
普通の搬送訓練だった。
「鳴海、頭側」
「はい」
「俺、足」
早瀬さんと担架を持ち上げる。
人形は八十キロ。
別に持てない重さじゃない。
重いものは重いけど。
「一段」
「下ります」
「角」
「見えてます」
「昨日は見えすぎてたらしいけどな」
「今それ言う?」
「余裕あるうちに」
階段の踊り場へ入る。
真正面から、別チームが上がってきた。
「ちょっと待ってください」
先頭の女が手を上げた。
倉橋だった。
「そっち下り?」
「見れば分かるだろ」
「鳴海さんには聞いてません」
「何で俺だけ」
倉橋の後ろには原田という同じチームの男と、同じく担架。
人形が載っている。
階段ですれ違える幅はない。
「こっち一段戻ります」
倉橋が言った。
原田が後ろを見る。
「いや、下がる方がきつくない?」
「上に二人いる。鳴海さんたちは踊り場まで来てるから、そのまま下ろした方が早い」
「じゃ、戻る」
即決だった。
倉橋が先に一段上がる。
昨日の引っ掛かりは見えない。
俺は担架を下ろしながら聞いた。
「足戻った?」
「勤務復帰してるんだから戻ってます」
「質問に答えて」
「ほぼ戻ってます」
「ほぼ?」
倉橋が嫌そうな顔をした。
「朝一の急な方向転換だけ、少し違和感ありました。再評価では問題なし」
「言えるじゃん」
「必要な情報だからです」
「俺、今別チームだけど」
「昨日言ったでしょ。必要なら答えるって」
覚えていたらしい。
「鳴海さんは?」
「何が」
「今払ってる反動」
「ない」
「予定は?」
「今日はまだ使ってない」
「じゃあゼロ?」
「ゼロ」
倉橋が一度だけ頷いた。
「了解です」
「何か使う予定ある?」
「訓練で?」
「いや、今日」
「ありませんよ。予定して使うものでもないでしょ」
「俺は予定立てるけど」
「そこが嫌なんですよ」
昨日と同じ評価だった。
「おい」
早瀬さんが小声で言う。
「何」
「その会話、俺にも必要?」
「別に」
「じゃあ担架に集中しろ」
「はい」
下まで運び終える。
人形を規定位置へ置いたところで、上から倉橋たちも降りてきた。
原田が額の汗を腕で拭う。
「普通にやると重いな」
「普通にやる訓練だから」
倉橋が言う。
「お前は何でも最短で行こうとするからな」
「今日使ってないです」
「知ってる。だから言ってる」
原田は笑いながら給水へ行った。
倉橋もついていきかけて、俺の腰を見た。
「それ新しいです?」
「ハーネス?」
「はい」
「昨日交換された」
「また壊したんですか」
「またって何」
「医療室だけじゃなかったんですね」
「装備まで評判悪いの?」
「私は今知りました」
「じゃあ広めないで」
「内容によります」
どこかで聞いた返事だった。
訓練は昼過ぎまで続いた。
能力なし。
怪我なし。
反動なし。
報告書には特記事項なし。
こういう日も普通にある。
むしろ仕事の大半はこっちだ。
遅い昼休憩に入って、俺は早瀬さんと食堂へ向かった。
「今日平和だな」
「言うな」
「何で?」
「そういうこと言うと鳴る」
「迷信だろ」
早瀬さんの端末が鳴った。
二人で止まる。
「……お前」
「俺悪くないよね?」
「今日から禁止な」
通知を見る。
緊急出動ではなかった。
『臨海工業地区・東四区』
『能力使用を伴う作業現場にて作業員一名体調不良』
『救急搬送済み』
『異能由来の二次危険確認のため現場支援要請』
「事故?」
「みたいだな」
早瀬さんが内容を開く。
「消防が先。能力暴走なし。現場残留危険の確認」
「じゃあ俺らは補助か」
「たぶん」
食堂の入口まで来ていた。
早瀬さんが券売機を見る。
俺も見る。
今日の限定定食は唐揚げだった。
「……食う?」
「出動時刻、十四時十分」
「十五分ある」
「お前食うの早い?」
「普通」
「じゃあ無理だな」
「コンビニ」
「それで」
唐揚げ定食を諦めた。
機構の車で臨海工業地区へ向かったのは、その二十分後だった。
現場は物流倉庫と保守施設が並ぶ一角。
救急車はもういない。
入口には消防車一台と、作業服姿の人間が何人か立っていた。
俺たちを出迎えたのは、三十代半ばくらいの男だった。
「お疲れさまです。現場管理の緒方です」
「異能危機対策機構、早瀬です。こっち鳴海」
名乗る。
緒方は俺たちへヘルメットを渡しながら、建物の中を指した。
「搬送されたのはうちの作業員です。作業中に急に立てなくなって」
「能力使用は?」
早瀬さんが聞く。
「本人は午前中に一回だけって話です」
「能力は?」
「荷重分散系です。重量物を吊る時の補助で」
「反動の申告は」
「休憩取れば戻る程度だと」
緒方はよく答える。
必要な書類も用意していた。
現場を隠したい人間の態度には見えない。
俺たちは消防員から状況を引き継ぎ、作業区画へ入った。
床には工具と、途中まで吊り上げられた金属部材。
ただしクレーンは停止済み。
能力による残留現象も見当たらない。
「二次危険なさそうですね」
俺が言う。
「だな」
早瀬さんが吊り具を見る。
「固定もされてる」
緒方が後ろから答える。
「消防さんにも確認してもらいました。念のため機構にもってことで」
普通だ。
普通の事故確認。
俺は作業台の横を通った。
壁に、小さな勤務管理端末がある。
表示は消えていない。
本日の作業者名と、休憩記録。
搬送されたらしい男の欄には、
『能力使用 09:42』
『休憩 09:45〜10:15』
『午後使用なし』
と出ていた。
別に見る必要もない情報だ。
俺はそのまま通り過ぎかけた。
「あれ?」
「何」
早瀬さんが振り返る。
「いや」
端末を見る。
その横。
作業台の上に、空のスポーツドリンクが三本並んでいる。
一本だけ、ラベルに油性ペンで名前が書いてあった。
搬送された作業員と同じ名字。
時計は十四時四十六分。
「午前一回だけなんですよね」
俺は緒方へ聞いた。
「本人申告では」
「じゃあ別にいいか」
「何か?」
「いや。水分かなり取ってたみたいだから」
緒方もボトルを見る。
「ああ。今日は暑いですから」
「ですよね」
それだけだった。
俺はそれ以上聞かなかった。
荷重分散系の反動が何かも知らない。
水を飲むのが能力使用と関係あるかも分からない。
分からないものを、分かったことにはできない。
早瀬さんが安全確認を終えた。
「残留危険なし。通常の事故調査へ戻して大丈夫です」
「ありがとうございます」
緒方が頭を下げる。
帰り際、作業区画の隅で一人の若い作業員が休憩していた。
俺たちを見ると、すぐ視線を逸らした。
ただそれだけ。
車へ戻る。
「限定定食、もう終わってるな」
早瀬さんが言った。
「まだ気にしてたの?」
「お前もだろ」
「まあ」
「コンビニ寄るか」
「限定カップ麺あったら買う」
「仕事終わってからな」
「分かってる」
車が臨海地区を出る。
今日の出動では能力を使わなかった。
反動も増えなかった。
現場にも、特に異常はなかった。
少なくとも、その時の俺にはそう見えていた。




