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第10話 消した記録は、消えたことにならない



 東四区の件が正式に「要確認」から一段上がったのは、その日の午後だった。


 俺はその瞬間を知らない。


 知った時には、会議室へ呼ばれていた。


「何で俺まで?」


 扉の前で聞くと、宮野さんが端末を抱えたまま答えた。


「最初の現場映像持ってるから」


「映像なら提出したじゃないですか」


「提出した人間に確認したいことが出る場合もあります」


「俺、今日外回りなんですけど」


「片桐さんの許可取ってる」


「逃げ道ないな」


「仕事だからね」


 会議室には既に何人かいた。


 真壁先生。


 白瀬。


 昨日一緒に現場へ行った藤崎。


 その隣に、初めて見る三十代くらいの男。


 机の上には、東四区の作業記録と機器の写真が並んでいる。


「鳴海さん、こっち」


 白瀬に言われた席へ座る。


「患者さんどうです?」


「森岡さん?」


「うん」


「まだ入院中です。でも昨日より機能は戻ってます」


「よかった」


「ただし」


 白瀬が一枚の資料を見る。


「能力使用履歴については、本人申告と会社記録で確認を続けています」


「本人は何て?」


「そこは今の鳴海さんに共有する必要がないです」


「聞いただけなのに」


「答えられる範囲だけ答えました」


 昨日から変わらない。


 必要なことしか言わない。


 それでいい。


「始めようか」


 真壁先生が言った。


「鳴海さんは医療の議論に参加してもらうためじゃなく、現場で見た事実確認だけお願いします」


「了解です」


「藤崎さんも技術判断だけ。推測を事実として扱わないでね」


「はい」


「長谷部さんも」


「分かってます」


 藤崎の隣にいる男が頷いた。


 長谷部。


 昨日、藤崎が写真を送っていた相手だ。


 技術側の先輩らしい。


 宮野さんがモニターをつける。


 最初に表示されたのは、俺のボディカメラ映像だった。


 昨日の十四時四十七分。


 壁の勤務管理端末が映っている。


『能力使用 09:42』

『休憩 09:45〜10:15』

『午後使用なし』


「鳴海」


「はい」


「この表示を見た時、誰か端末を操作してた?」


「いません」


「画面が切り替わったりは?」


「見てないです」


「端末に触ってる人は?」


「少なくとも俺が見た時はいなかった」


「了解」


 映像が止まる。


 宮野さんが別の画面へ切り替えた。


「次、会社から提出された勤務記録」


 内容は同じ。


 九時四十二分、一回。


 休憩三十分。


 午後使用なし。


「ここまでは一致」


 宮野さんが言う。


「問題は編集履歴」


 画面の右側に、細かい時刻が並ぶ。


 俺にはほとんど意味が分からない。


 宮野さんが一行を拡大した。


『12:31 能力使用記録 追加』

『12:35 入力取消』


「十二時三十一分に、森岡さんの二件目の能力使用が一度入力されてる」


「二件目?」


「そう」


 四分後に消えている。


「誰が消したんです?」


「まだ特定できてない」


「ログあるのに?」


「端末側の入力と、承認側が別だから」


 宮野さんが表示を変える。


「作業員が自分のカードで使用を入力。その後、現場管理者が勤務記録として承認する仕組み。入力取消自体は、誤操作や重複入力なら普通にある」


「じゃあ間違って押した可能性もある」


「ある」


 即答だった。


「二件目が本当に能力使用だった証拠ではない」


 真壁先生も頷く。


「医療側も同じです。現在の反動が一回使用では説明不能、とは言えません」


 白瀬が続ける。


「森岡さんの能力は、その日の体調、出力、持続時間でも反動幅が変わります。一回でも今の症状になる可能性はあります」


「でも二回使っててもおかしくない?」


「それもあります」


「どっち」


「分からないです」


 白瀬は普通に言った。


 それで話が終わる。


 誰も、森岡さんが二回使ったと決めていない。


「取消操作は?」


 早瀬さんはいないので、代わりに俺が聞いた。


「誰がやったか分からないんですか」


「取消自体は森岡さん本人のカード操作」


「本人?」


「ただし」


 宮野さんが次を出す。


『12:36 管理者確認』

『理由:重複入力』


「取消理由を勤務記録として確定したのは管理者権限」


「管理者って緒方さん?」


「緒方さんだけじゃない」


 東四区では、その時間帯に管理権限を持っていた人間が三人。


 緒方さんを含めて三人。


 しかも管理承認は現場端末だけでなく、別の管理端末からもできる。


「だから、これだけで誰かが記録を改ざんしたとは言えない」


「なるほど」


 俺は画面を見る。


 二件目。


 入力。


 取消。


 重複。


 それだけなら、本当に間違えただけでも成立する。


「次、技術側」


 宮野さんが藤崎たちへ振った。


 藤崎ではなく、長谷部さんが先に口を開いた。


「安全警告装置については、昨日持ち帰った部品と現地写真を確認しました」


 モニターに、あの制御盤が映る。


「結論から言うと、装置本体に故障は確認できてません」


「じゃあ藤崎が言ってたコネクタ?」


「外れていたのは事実です」


 長谷部さんが拡大写真を出す。


 固定爪の付いた小さな接続部。


「この型は振動だけで外れる可能性は低い。ただ、ゼロとは言えない」


 藤崎が隣で頷く。


「昨日、私が見た時も固定爪自体は壊れてませんでした」


「誰かが外した?」


 俺が聞く。


 藤崎がこっちを見る。


「そう言いたくなるんですけど」


 一度、写真へ目を戻した。


「まだ言えないです」


「何で?」


「いつ外れたか分からないから」


 指で画面を拡大する。


「あと、ここ」


 固定爪の端に、細い擦れ跡があった。


「工具を使った跡にも見えます。でも保守点検で付いた可能性もある」


「点検履歴は?」


 真壁先生ではなく宮野さんが聞いた。


 長谷部さんが答える。


「取り寄せ中」


「じゃあ、ここも保留」


「はい」


 藤崎が少しだけ不満そうな顔をした。


「何」


 小声で聞く。


「何でもないです」


「言いたそうだけど」


「技術屋が『多分人が外した』って言って、あとで普通の保守跡だったら恥ずかしいので」


「恥ずかしいから言わないの?」


「間違ったこと言いたくないからです」


「そっちか」


「今、私のこと結構雑な人だと思いました?」


「ちょっと」


「ハーネス返してください」


「それは困る」


 長谷部さんが咳払いした。


「藤崎」


「すみません」


 怒られた。


 会議はそのまま続いた。


 森岡さんの反動。


 二件目の入力記録。


 四分後の取消。


 安全装置。


 今のところ、どれも単独では何も証明しない。


 ただ、確認しなければならないものが一つずつ増えていく。


 俺には少し面倒だった。


 昨日までは、


 森岡さんが倒れた。


 それだけだった。


 今は、


 何回能力を使ったのか。


 誰が記録を確認したのか。


 なぜ警告が出なかったのか。


 確認しなければ事故の中身が分からない。


「なので」


 宮野さんが最後に言った。


「東四区の勤務端末、警告装置、能力使用に関連するローカルログについて、正式に保全をお願いすることになりました」


「警察案件?」


「現時点ではまだ違う。まず労務、安全管理、機構側の確認」


「会社には?」


「今日中に通知」


「緒方さんにも?」


「現場責任者だから当然知る」


 隠れて調べるわけじゃないらしい。


「鳴海さん」


 真壁先生が俺を見る。


「ここまでで、現場で見たもの以外に思い出したことあります?」


 少し考える。


 昨日の倉庫。


 吊り具。


 作業台。


 スポーツドリンク。


 若い作業員。


 緒方さん。


「ないです」


「分かりました」


 それで俺の役目は終わった。


「帰っていい?」


「勤務中ですよ」


 白瀬が言う。


「会議室からって意味」


「ああ」


「何で普通に帰宅しようとしたと思ったの」


「鳴海さんなので」


 酷い。


 会議室を出る。


 藤崎も一緒に出てきた。


「鳴海さん」


「何」


「ハーネス」


「まだ言うの?」


「今日、動作確認する予定だったので」


「このあと現場戻るけど」


「じゃあ夕方」


「覚えてたんだ」


「自分で調整したものなので」


 藤崎は端末を見る。


「十七時半なら空いてます」


「俺の予定は?」


「空いてます?」


「確認してない」


「じゃあ確認してください」


「今?」


「後でもいいです」


 どっちなんだ。


「藤崎は今日ずっとこれ?」


「東四区だけじゃないですよ。午後、別の装備試験あります」


「忙しいな」


「普通です」


「昨日も普通って言ってたな」


「普通なので」


 エレベーター前で藤崎と別れる。


 俺は現場班へ戻った。


 その日は午後に小さな交通事故対応が一件。


 能力は使わなかった。


 十七時二十分に帰投。


 ロッカーへ装備を置いたところで、藤崎との約束を思い出した。


「危な」


 技術区画へ向かう。


 藤崎は作業台で、別の隊員のヘルメットを分解していた。


「来た」


「忘れてました?」


「十分钟前に思い出した」


「それ忘れてたって言うんですよ」


「間に合ったからいいじゃん」


「そういう考え方なんだ」


 工具を置き、俺のハーネスを見る。


「走りました?」


「事故現場で少し」


「能力は?」


「なし」


「じゃあ装着してください」


 腰へ巻く。


「前屈」


 曲げる。


「右捻って」


 捻る。


「走る時に当たった場所あります?」


「ない」


「違和感」


「ない」


「本当に?」


「何で疑うの」


「前回の鳴海さんが『これくらいなら使える』って傷んだ装備持ってたので」


「それと装着感関係ないでしょ」


「同じ人なので」


 藤崎が俺の右腰の金具を一度触る。


 間隔を確認してから、少しだけ笑った。


「じゃあこれでいいです」


「何か変えた?」


「二ミリ」


「分からん」


「分からなくていいです。結果当たってないなら」


「ありがとう」


「どういたしまして」


 俺がハーネスを外そうとした時、藤崎の業務端末が震えた。


「……え」


 画面を見た藤崎の動きが止まる。


「何?」


「東四区」


 俺も見る。


 表示されていたのは、機器保全に関する連絡だった。


『東四区・安全警告装置』

『現場側より交換申請あり』


「交換?」


「はい」


「壊れてないって言ってなかった?」


「私たちは」


 藤崎が画面をスクロールする。


「申請理由、動作不良」


「いつ申請?」


 藤崎が黙った。


 時刻を見る。


 今日の午前九時十八分。


 俺たちの会議より前。


「昨日確認した後に出したんじゃない?」


「それは普通にあります」


「じゃあ問題ない?」


「分かりません」


 またその答えだった。


 藤崎はすぐ長谷部さんへ連絡を入れる。


「長谷部さん、東四区の交換申請見ました? ……はい。今見ました。保全部品、まだ現地ですよね?」


 少し間が空く。


「……明日回収?」


 電話の向こうの声は聞こえない。


「分かりました。私も行きます」


 通信を切る。


「何かあった?」


「保全対象になる前に出てた交換申請なので、それ自体は止めてません」


「じゃあ明日交換される?」


「その前に機器を回収します」


「誰が?」


「技術側と」


 藤崎が俺を見る。


「多分、現場班も一緒です」


「何で俺を見るの」


「最初からいるから?」


「理由弱くない?」


「私が決めることじゃないです」


 それもそうだ。


 その十分後。


 片桐さんから俺の業務端末へ、明日の予定変更が届いた。


『09:00 東四区』

『証拠保全対象機器の現地回収支援』


 帰れると思っていた明日の午前に、予定が一つ増えた。

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