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第11話 交換するだけのはずだった



 東四区へ着いたのは、八時五十七分だった。


 予定より三分早い。


 なのに、俺たちより先に作業を始めている人がいた。


「あれ、外してません?」


 助手席から降りた俺が言うと、早瀬さんも倉庫の入口を見た。


「外してるな」


 昨日、藤崎が調べていた安全警告装置。


 その制御盤の前に、見覚えのない作業服の男が二人しゃがんでいる。片方はドライバーを持ち、もう片方は床へ新しい機器の箱を置いていた。


「藤崎さん」


「見えてます」


 後ろの車から降りてきた藤崎灯里が、工具ケースを持ったまま歩く速度を上げた。


 その隣には長谷部さんもいる。


「すみません、それ止めてください!」


 藤崎の声に、作業員が振り返る。


「え?」


「その機器、今日は交換じゃなくて保全です。まだ外さないでください」


「いや、うちは交換依頼で来てるんですけど」


 一人が胸ポケットから端末を出した。


「九時から。東四区、安全警告装置一式。動作不良で交換」


「依頼自体は知ってます」


 長谷部さんが藤崎の横へ出る。


「昨夜、保全対象に切り替わりました。連絡がそちらまで回ってないみたいです」


「聞いてないな……」


 作業員がもう一人を見る。


「俺も」


 悪いことをしている人間には見えない。


 本当に仕事をしに来ただけらしい。


 長谷部さんが先方の端末を確認し、どこかへ電話をかけ始める。


 俺と早瀬さんには、今のところやることがない。


「俺たち必要?」


「昨日も聞いたな、それ」


「二日連続で必要性を感じてない」


「何も起きないなら、それが一番だろ」


 正しい。


 装備を着けて立っているだけで給料が出るなら悪くない。


 藤崎は既に制御盤の前へしゃがんでいた。


「昨日、ここ外れてたの覚えてます?」


「俺に聞いてる?」


「鳴海さん以外に誰がいるんですか」


「長谷部さん」


「長谷部さんは写真でしか見てないので」


 近づく。


 昨日、藤崎が指していたコネクタを見る。


 今日は繋がっていた。


「あれ」


「ですよね」


「昨日は外れてた」


「はい」


「誰か直した?」


「それを今から確認します」


 藤崎が写真を開く。


 昨日撮ったものと、目の前の制御盤を交互に見る。


「固定爪は同じ。部品交換もされてない」


「差し直しただけ?」


「見た感じは」


「それなら動くようになったんじゃない?」


「たぶん動きます」


 藤崎は電源表示を見る。


「だから余計に、交換する理由は確認したいです」


 後ろから声がした。


「おはようございます」


 振り返る。


 緒方さんだった。


 昨日より少し疲れているように見える。


「朝からすみません」


 早瀬さんが頭を下げる。


「いえ。こっちも仕事止めてもらってるんで」


 緒方さんは制御盤を見る。


「交換、まだでした?」


「一旦止めています」


 長谷部さんが電話を終えて戻ってくる。


「昨夜の保全通知が外部業者の現場班まで届いてなかったみたいです。先方にも確認取れました」


「じゃあ今日は交換しないんですか」


「元の機器はこっちで回収します。必要なら代替機だけ設置します」


「分かりました」


 緒方さんは素直に頷いた。


 それから、少し離れた作業区画を見た。


「午前の作業、どこまで止めます?」


「安全装置に関係する重量物作業は保留をお願いしています」


 早瀬さんが答える。


「その他は会社側の安全管理判断です」


「全部止める必要はない?」


「機構から全停止を求めてはいません」


「助かります」


 緒方さんが息を吐いた。


「日給の応援も入ってるんで。こっちの都合で一日飛ばすと、説明するの俺なんですよ」


 昨日、記録の話をしていた時とは少し違う顔だった。


 管理者なら事故だけ見ていればいいわけでもないらしい。


「ただ」


 緒方さんは安全盤を見る。


「これ、昨日から壊れてたってことですよね?」


「そこがまだ分からないです」


 藤崎が答えた。


「昨日は出力側のコネクタが外れていました。でも装置自体の故障は確認できてません」


「だから交換なんじゃ?」


「交換申請の理由は『動作不良』です」


「はい」


「昨日、私が見た時には少なくとも本体の自己診断に異常表示はありませんでした」


 緒方さんが少し考える。


「でも警告は鳴らなかったんですよね」


「それはコネクタが外れてたので」


「じゃあ故障みたいなもんじゃないですか」


「……現場でそう判断する人はいると思います」


 藤崎は否定しなかった。


 でも納得もしていない顔だった。


「緒方さん」


 俺は口を挟んだ。


「昨日、これ普通に動いてたって言ってませんでした?」


 緒方さんが俺を見る。


「端末の方?」


「安全盤。藤崎さんが『故障ですか』って聞いた時」


「ああ」


 緒方さんはすぐ思い出したらしい。


「画面が点いてたって意味です。中まで正常だったかは分かりませんよ、俺も専門じゃないんで」


「なるほど」


 それなら成立する。


 俺も装備のランプが点いていれば、壊れていないと思うことはある。


「鳴海さん」


 藤崎に呼ばれた。


「はい」


「聞いたことは覚えててもいいですけど、勝手に詰めないでください」


「詰めてないよ」


「今ちょっと刑事みたいでした」


「俺も思った」


 早瀬さんまで乗ってきた。


「質問しただけじゃん」


「そのうち宮野さんに怒られるぞ」


「もう怒られてる」


 緒方さんが少しだけ笑った。


 場の空気が一度緩む。


 その間に、外部業者は交換用の新しい装置だけを降ろし、古い機器には触れずに待機することになった。


 藤崎と長谷部さんが回収作業を始める。


 電源。


 配線。


 固定具。


 一つずつ写真を撮ってから外していく。


 俺は横で見ていた。


「鳴海さん」


「何?」


「暇なら箱押さえてください」


「俺、保全支援で来てるんだけど」


「支援してください」


「そういう意味か」


 大きめの保護ケースを押さえる。


 藤崎が外した部品を長谷部さんへ渡す。


「これ、廃棄予定だったんですか?」


 藤崎が外部業者へ聞いた。


「旧品? そうですね。一回うちのセンター戻して、再利用不可なら処分です」


「返却後の分解記録は?」


「通常交換なら細かくは残さないですよ。型番とシリアルくらい」


 藤崎の手が止まった。


「長谷部さん」


「聞いてる」


 長谷部さんも少し顔をしかめた。


 俺には理由が分からない。


「何?」


「今日普通に交換されてたら」


 藤崎が制御盤から外した小さな記録ユニットを見せる。


「これも業者側へ持っていかれてた可能性があります」


「それ駄目なの?」


「通常なら別に」


「今回は?」


「今は確認したいことがあるので困ります」


 長谷部さんが横から補足した。


「廃棄されたら絶対復元不能ってわけじゃないけど、保全状態としては悪くなる」


「なるほど」


 証拠を消そうとした。


 そう考えるには早い。


 交換申請が出たのは、俺たちが正式な保全を決めるより前だ。


 壊れていると思って交換を頼んだ。


 普通にそれだけかもしれない。


「誰が交換申請出したか分かります?」


 藤崎が聞く。


 緒方さんが端末を操作した。


「ちょっと待ってください」


 画面を見る。


「現場保全の共通アカウントですね」


「個人名は?」


「申請者欄は作業主任。昨日の朝なら……」


 緒方さんが一覧を開く。


「俺を含めて三人のどれかです」


「緒方さん自身も出せる?」


「出せます」


「覚えてます?」


 今度に藤崎が聞いた。


 緒方さんは少し考えた。


「俺じゃないと思います」


「思います?」


「昨日の朝、事故対応で病院と本社に連絡してたんで。交換依頼まで自分でやった記憶はないです」


「分かりました」


 藤崎はそれ以上追わない。


 記憶がないことを、そのまま記録するだけだった。


 回収作業は三十分ほどで終わった。


 取り外した装置は、その場で封をする。


 長谷部さんがシリアル番号と時刻を読み上げ、藤崎が確認する。


「九時四十二分。封印完了」


「確認」


 地味だ。


 でもたぶん、こういう地味な作業の方が後で重要になる。


「現場側、代替機入れていいです」


 長谷部さんが外部業者へ伝えた。


 緒方さんが腕時計を見る。


「重量物作業、午後から戻せそうですか」


「代替機の試験が通れば」


「分かりました」


「緒方さん」


 早瀬さんが呼び止める。


「昨日夜、このコネクタ差し直した人について確認お願いします」


「誰かやってるんですよね」


「少なくとも昨日の確認時と今朝で状態が違います」


「分かりました。夜勤に聞きます」


「口頭だけじゃなく、作業記録があればそっちも」


「はい」


 緒方さんは嫌そうな顔をしなかった。


 むしろ早く片づけたいように見える。


 帰る前、自販機へ寄った。


 藤崎が俺の横で財布を出す。


「それ買うの?」


 思わず聞いた。


「何ですか」


 藤崎が押そうとしているのは、薄緑色の炭酸飲料だった。


 商品名の下に、


『塩メロンソーダ 夏季限定』


 と書いてある。


「絶対おいしくないでしょ」


「飲んだことあります?」


「ない」


「じゃあ分からないじゃないですか」


「名前でかなり分かる」


「そういう決めつけよくないですよ」


 ボタンを押した。


 缶が落ちる。


 開けて一口。


 藤崎の顔が止まった。


「どう?」


「……思ってたより塩です」


「ほら」


「でも飲めます」


「それ褒めてない」


「鳴海さんも一口いります?」


「いらない」


「決めつけよくないですよ」


「今飲んだ人の感想聞いたから」


 俺は普通の水を買った。


「全部飲むの?」


「買ったので」


「無理しなくても」


「飲めます」


 頑固だ。


 能力も仕事も関係ないところで、妙に意地を張っている。


 藤崎はもう一口飲んで、やっぱり少し変な顔をした。


 拠点へ戻る車では、藤崎たちとは別になった。


 俺と早瀬さんだけ。


「午前、何も起きなかったな」


 俺が言う。


「何か起きてほしかったのか?」


「いや」


「じゃあいいだろ」


「機器回収しただけだった」


「仕事なんてそんな日ばっかだよ」


 早瀬さんが信号で車を止める。


「お前、能力使わない日を外れみたいに言う癖あるよな」


「そこまで言ってない」


「顔」


「白瀬さんみたいなこと言うなよ」


「分かりやすいんだよ」


 信号が青になる。


 俺は窓の外を見た。


 午前中、本当に何も起きなかった。


 誰も逃げない。


 誰も暴れない。


 装置を一台回収して帰っただけだ。


 拠点へ着いたのは十一時前。


 俺はそのまま通常勤務へ戻った。


 昼過ぎまで別件の報告書を書き、十三時十五分頃、宮野さんから呼ばれた。


「鳴海」


「今度は何です?」


「今日回収した機器、技術から速報」


「もう見たんですか」


「ローカル履歴だけ先に」


 宮野さんの画面には、数字が何行か並んでいた。


「これ見ても分かんないです」


「分からなくていい」


「じゃあ何で呼んだの」


「昨日見た時刻と照合したかっただけ」


 宮野さんが一行を指す。


『12:29 保守扉開放』

『12:33 保守扉閉鎖』


 その下。


『12:31 警告出力応答なし』


 俺は黙った。


 十二時三十一分。


 昨日の会議で見た数字を思い出す。


「森岡さんの二回目の入力」


「同じ時刻」


「でも、その入力は消されてる」


「四分後にね」


 宮野さんが画面を閉じた。


「保守予定は?」


「今確認した限り、その時間の予定作業はない」


「じゃあ誰か開けた?」


「そこから先はまだ」


「ですよね」


「うん」


 いつもの答えだった。


 でも昨日までとは少し違う。


 たまたま入力された二回目。


 たまたま外れていたコネクタ。


 その二つの間に、初めて同じ時刻が入った。


「これから?」


「会社側へ正式に確認する。労務と安全管理にも共有」


「俺は?」


「午後の仕事して」


「了解」


 立ち上がる。


 宮野さんに呼び止められた。


「鳴海」


「はい」


「今日、回収間に合ってよかったね」


「普通に交換されてたら持っていかれてた?」


「多分」


「廃棄も?」


「通常手順なら、その可能性はあった」


「……そうですか」


 それだけ聞いて席を離れた。


 俺の午後の予定は、交通事故対応の装備点検と、昨日途中だった報告書。


 誰が十二時二十九分に保守扉を開けたのか。


 それを調べるのは俺の仕事じゃない。


 ただ、昨日まで事故だったものについて、今度は「誰が」という質問が一つ増えた。

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