第12話 その初期化、今やるんですか
東四区の件で、俺の仕事が増えた。
と言っても、捜査をするわけじゃない。
「これ、昨日も書いた気がする」
「気のせいじゃないな」
早瀬さんが隣の端末を見ながら答える。
「現場立入記録、装備使用、保全支援。昨日と今日で別案件扱いだから両方出せ」
「同じ場所なのに」
「お前、昨日と今日の昼飯まとめて一食でいいって言われたら納得する?」
「しない」
「そういうことだ」
「絶対違う」
それでも報告書は減らなかった。
昼過ぎの執務区画は静かだった。緊急出動もない。昨日まで何度も足を運んだ東四区についても、今日は労務と技術と安全管理が確認を進めている。
俺のやることはない。
十五時までに報告書を終わらせれば、帰りにゲームショップへ寄れる。
そう思っていた。
「鳴海、早瀬」
宮野さんに呼ばれた。
早瀬さんが椅子にもたれたまま天井を見た。
「言うなよ」
「何も言ってない」
「顔に『東四区だ』って書いてある」
「俺そんな分かりやすい?」
「分かりやすい」
宮野さんの席まで行く。
「東四区?」
「正解」
「早瀬さん、焼肉一回」
「何で俺がお前に払うんだよ」
宮野さんが俺たちのやり取りを無視して画面を見せた。
「昨日回収した警告装置とは別に、現場側に作業記録の中継端末が残ってるの覚えてる?」
「知らないです」
「だと思った」
「なら聞かないでください」
「現場の人は普通知らなくていいから」
壁の勤務管理端末とは別に、各設備の作動時刻や警告要求を一時保存してから社内サーバーへ送る機器があるらしい。
「サーバー側の記録があるなら、それ要るんですか?」
「通常はサーバー側で足りる。でも今回、一部の記録で送信時刻と現場側イベントの間に確認したいズレが出た」
「何の?」
「そこは解析中」
いつものやつだ。
「それで現物も保全することになったんだけど」
宮野さんが時計を見る。
十四時二十六分。
「十五分前に、その端末の交換作業が登録された」
「また?」
昨日も安全警告装置が交換されるところだった。
「今回は故障?」
「申請上は『通信不安定』」
「実際は?」
「だから確認しに行く」
早瀬さんが画面を覗く。
「保全通知は?」
「中継端末まで対象に追加したのが十四時十八分。交換依頼の登録は十四時十一分」
「七分先か」
「そう」
保全されると分かってから交換申請を出した、とは言えない。
むしろ交換の方が先だ。
「偶然じゃないですか」
「偶然かもしれない」
「じゃあ何で俺らが」
「技術側が現物を止めに行く。保全対象になったから、交換するにしても旧機器をそのまま外部へ持ち出せない。現場対応員は立会い」
「藤崎さん?」
「行ってる」
「もう?」
「技術区画から直接出た」
俺は自分の画面に残した報告書を見る。
あと三割。
「帰ってきたら書けるよ」
宮野さんが言った。
「俺の顔読んでません?」
「分かりやすいから」
早瀬さんと同じことを言われた。
東四区へ着いた時には、十五時を少し過ぎていた。
倉庫の作業そのものは動いている。
昨日と違い、重量物区画にも人が戻っていた。新しい警告装置が正常に動いているらしく、入口の表示灯が点いている。
「藤崎どこだ?」
「奥じゃないですか」
機構の車を降り、緒方さんへ連絡する。
すぐに返信が来た。
『設備室です』
場所を聞いて向かった。
小さな設備室の扉は開いていた。
中には藤崎と長谷部さん。
それから、灰色の作業服を着た外部業者が二人いる。
床には古い端末と、新しい端末。
もう外れていた。
「遅いです」
藤崎が言った。
「まだ十五時四分」
「交換作業が早かったんです」
外部業者の一人が困った顔をする。
「うちは十四時半開始って聞いてたんですけど」
「登録は十五時開始じゃないの?」
俺が聞く。
「本部側の依頼は十五時ですね。ただ現場から、できれば前倒しでって」
「誰から?」
早瀬さんが聞いた。
「ここの保全窓口です。名前まではちょっと」
業者は端末を開く。
表示されているのは会社名だけ。
個人名はない。
「共通窓口か」
早瀬さんが呟く。
「俺ら、外していいって確認取ってから始めてますよ」
「責めてないです」
長谷部さんが言う。
「保全対象へ追加された連絡が後から重なっただけなんで」
業者が少し安心した顔をした。
藤崎は床に置かれた旧端末の前へしゃがんでいる。
「これ、電源まだ入ってます?」
「はい。新しい方の接続試験終わったら初期化して返却予定です」
「初期化?」
藤崎の声が変わった。
「通常交換ならそうですよ」
「まだしてない?」
「まだ――」
短い電子音が鳴った。
床の旧端末。
小さな画面が点灯する。
『管理処理を受信しました』
文字が流れる。
藤崎が顔を近づけた。
「長谷部さん」
「見てる」
『設定情報を更新します』
続いて、
『ローカルデータ初期化』
「待って」
藤崎が端末へ手を伸ばしかけ、止めた。
「これ誰か操作しました?」
「してないです」
業者二人が同時に答える。
「ネット繋がってます?」
「旧機器もまだ通信線は生きてます。移行確認のために」
「長谷部さん、切っていいですか」
「切れ」
藤崎が通信ケーブルへ手を掛ける。
抜けない。
「固っ」
「藤崎、下の爪」
「押してます!」
俺には何をしているのか分からない。
でも画面の下に進捗表示が出た。
六%。
九%。
「鳴海さん」
「何」
「そのラック動かさないで押さえてください!」
「これ?」
「それ!」
旧端末は小さな金属ラックへ固定されている。
藤崎がケーブルへ力を掛けるたび、ラックごと動く。
俺は側面を両手で押さえた。
「これくらい?」
「動かなければ何でもいいです!」
「雑」
「今言わないで!」
十三%。
長谷部さんが反対側へ回り、別の通信線を確認する。
「そっちじゃない。上段の青」
「これ?」
「それ」
藤崎が爪を押し込み、コネクタを引いた。
抜けた。
画面の数字が十七%で止まる。
数秒。
『通信エラー』
表示が変わった。
藤崎が息を吐いた。
「……止まった」
設備室が静かになる。
俺はラックから手を離した。
「これ、普通の交換作業?」
業者の男性に聞く。
「いや……初期化自体は普通です。ただ」
男性は自分の作業端末を見る。
「普通はこっちから開始します」
「今してない?」
「してないです」
もう一人も首を振る。
「遠隔側から来たんじゃないですか」
長谷部さんが旧端末の画面を確認する。
「管理処理の送信元、後で取れる?」
藤崎もすぐ端末を操作した。
「履歴が残ってれば」
「初期化された分は?」
「十七%が何を消したか見ないと分かりません」
「全部消えてない?」
「多分」
そこで藤崎が俺を見る。
「『多分』です」
「まだ何も言ってないけど」
「鳴海さん、顔に出るので」
今日は全員それを言う。
早瀬さんが設備室の入口へ出て、無線を入れた。
「宮野さん。東四区、保全対象端末に遠隔初期化が入りました。技術側で途中停止。現場業者は操作否定。……はい」
向こうの返事を聞く。
「了解です。現物はこのまま封鎖します」
緒方さんがやって来たのは、その直後だった。
「何かありました?」
息が少し上がっている。
「端末の初期化が始まりました」
長谷部さんが答える。
「交換ならやるやつですよね?」
緒方さんの反応は早かった。
「通常は作業者側から開始します。今回は外から管理処理が入りました」
「外から?」
「社内側か、保守側か。まだ送信元は分かりません」
「じゃあ本社がやった可能性も?」
「あります」
緒方さんが旧端末を見る。
「データ消えたんですか」
「一部は」
「まずい?」
「それを確認します」
藤崎が端末から目を離さない。
緒方さんは少し黙った。
「昨日から何なんですかね、これ」
誰に聞くでもなく言った。
「森岡が倒れて、記録がおかしいって言われて、今度は機械まで」
苛立っているようにも見える。
単純に仕事を止められて困っているだけにも見える。
「今日の作業、また止まります?」
「この設備室周辺だけです」
早瀬さんが答える。
「現場全体の停止はこちらから求めません。ただ、この端末へ関係する機器には触れないでください」
「分かりました」
「あと、遠隔管理に使えるアカウントと担当部署の確認をお願いします」
「それは本社に聞きます」
「お願いします」
緒方さんは設備室を出ていった。
追いかける理由はない。
旧端末は電源も落とされ、その場で保全ケースへ入れられた。
今度は藤崎ではなく長谷部さんが封印する。
「鳴海さん」
藤崎が呼ぶ。
「はい」
「もうラック押さえなくていいですよ」
「知ってる」
「ずっと立ってたので」
「俺ほかに仕事ないから」
「じゃあ外で待っててください」
「追い出された」
「狭いんです」
早瀬さんと一緒に設備室を出る。
廊下の壁へ寄る。
「能力使わなかったな」
俺が言う。
「何で残念そうなんだよ」
「残念じゃない」
「ラック押さえてただけだぞ、お前」
「大事な仕事だった」
「藤崎さんがケーブル抜きやすくなった程度にはな」
「十分だろ」
「まあな」
少しして、設備室から外部業者が出てきた。
帰る準備をしている。
そのうち一人がスマホを見て足を止めた。
「あれ?」
「どうしました?」
早瀬さんが聞く。
「交換依頼、キャンセルされてる」
「今?」
「十五時十二分」
さっきの初期化が始まった直後だ。
「誰が?」
「申請元は同じ共通窓口ですね」
男は首を傾げた。
「せっかく新しいの持ってきたのに」
それ以上の意味はないらしい。
仕事が一件無駄になった顔をしているだけだった。
早瀬さんが時刻を控える。
「その画面、記録として見せてもらっていいですか」
「どうぞ」
俺は横から見なかった。
今までなら気になっていたかもしれない。
でも誰が送ったかなんて、俺が画面を覗いて分かる話じゃない。
一時間ほどで、現場支援は終わった。
帰りの車。
早瀬さんが運転。
俺は助手席。
後ろには藤崎。
長谷部さんは別車両だ。
「十七%、何消えてた?」
俺が聞く。
「まだ分かりません」
「即答だな」
「でも、一部のイベント記録は残ってます」
「イベント?」
「端末が何を受け取って何を返したか」
「十二時三十一分も?」
藤崎が一瞬黙った。
「それ聞いたんですか」
「宮野さんから」
「じゃあ言える範囲だけ」
藤崎が端末を見る。
「残ってました」
「何が」
「十二時三十一分。能力使用記録を受けて、安全側から警告生成要求」
早瀬さんが前を向いたまま聞く。
「警告は?」
「出力応答なし」
昨日、別の端末で見た記録と一致する。
「じゃあ、その時点でコネクタは外れてた?」
「可能性は高いです」
「断定は?」
「まだ」
「知ってる」
藤崎が少し笑った。
「学習しましたね」
「誰のせいだよ」
「周り全員じゃないですか」
否定できない。
窓の外へ目を向ける。
十二時三十一分。
森岡さんが二回目の能力使用を入力した。
安全装置は警告を作ろうとした。
でも出力されなかった。
その入力は四分後に取り消された。
そこまでは、かなり形ができてきた。
ただ。
誰がコネクタを外したのか。
誰が重複入力として処理したのか。
今日、誰が遠隔から初期化を掛けたのか。
まだ一人も分かっていない。
「鳴海」
早瀬さんが言う。
「何」
「帰ったら報告書追加な」
「……ゲームショップ」
「逃げねえよ」
「限定品だったら逃げる」
「仕事しろ」
俺は座席へ沈んだ。
今日の俺の一番大きな仕事は、金属ラックを十秒くらい押さえたことだった。
その十秒の間に、消えるはずだった記録が一つ残った。




