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第19話 必要なら使います



 翌朝、右足の違和感はほとんど消えていた。


「ほとんど、って何ですか」


 白瀬が聞く。


「九割八分」


「残り二分は?」


「気にしたら何となく違う気がする」


「それを医療で九割八分って言わないでください」


 朝の再評価。


 目を閉じたまま指示された位置へ右足を出す。


 一回目。


 問題なし。


 二回目。


 少し内側。


 三回目。


 問題なし。


 白瀬は記録を確認してから、


「現場復帰可です」


 と言った。


「今日は早いな」


「昨日の反動が軽度だったので」


「これで東四区呼ばれても行ける」


「何で行き先まで決めてるんですか」


「最近よく行くから」


「呼ばれない可能性の方が高いですよ」


「それはそれで助かる」


「じゃあ最初から言わないでください」


 白瀬が次の患者用の端末を取りに行く。


 俺は椅子から立った。


「白瀬さん」


「はい?」


「昨日、倉橋来た?」


「来ましたよ」


「反動?」


「本人に聞いてください」


「やっぱ教えてくれないか」


「他人の医療情報なので」


「知ってる」


「なら聞かない」


「会話の流れで一応」


「そういう一応いりません」


 今日も厳しい。


 拠点へ戻る途中、ちょうど本人に会った。


 倉橋は訓練着で、原田と一緒に階段を下りてくるところだった。


「あ」


「おはよう」


「復帰したんですか」


「今」


「足は?」


「ほぼ戻った」


「ほぼ?」


「白瀬さんと同じところ突くなよ」


「必要なので」


「今日は反動ゼロ」


「了解です」


 そのまま通り過ぎようとして、倉橋が一度止まった。


「昨日、東四区から外れてたんですね」


「聞いた?」


「私たちが代わりに行ったので」


「昇降機」


「はい。能力使わなくても普通に終わりました」


「早瀬さんから聞いた」


「ならいいです」


「何が?」


「別に」


 倉橋は原田に呼ばれて階段を下りていった。


 何だったんだ。


 午前中は本当に東四区へ呼ばれなかった。


 代わりにやったのは、車両点検と資機材の補充。


 使った救助テープを補充。


 担架の固定具を確認。


 非常食の期限を見る。


「地味だな」


 俺が言う。


「昨日も言ってたぞ」


 早瀬さんが箱の数を数えながら答える。


「毎日思うから」


「地味な仕事やらずに現場だけ行きたいなら、ヒーローショーでも転職しろ」


「能力使える?」


「知らん」


「給料は?」


「もっと知らん」


 転職候補から消えた。


 十時四十三分。


 業務端末が鳴る。


「ほら」


 早瀬さんが言った。


「お前が東四区の話するから」


「今日してない」


「朝考えただろ」


「そこまで俺の責任?」


 通知を開く。


『臨海工業地区・東四区』

『搬送ライン安全停止』

『吊り荷あり・負傷者なし』

『現場安全確認支援』


 そして割り当て。


 俺。


 早瀬さん。


「まただ」


「もう向こうで机もらえ」


「嫌だよ」


 出動準備を始める。


 片桐さんから追加説明が来た。


「向こうから、前回対応者が可能ならって要望が入ってる」


「前回対応者?」


「鳴海」


 俺は自分を指した。


「俺?」


「東四区側が現場分かってる人間の方が話早いって」


「早瀬さんも行ってる」


「お前の名前が出た」


 早瀬さんが笑う。


「人気者」


「嬉しくない」


「先方から個人指定は受けてない。たまたまお前が今空いてるから入れるだけだ」


「了解です」


 別に緒方さんが俺に会いたいわけじゃないだろう。


 昨日、救助したところを見ていた。


 それだけだ。


 東四区へ着くと、緒方さんが搬送区画の入口で待っていた。


「ああ、鳴海さん」


 本当に最初に俺を見た。


「昨日ぶりです」


「今日は大丈夫なんですか」


「何が?」


「反動」


「今は何もないです」


「よかった」


 答えが早かった。


 そのまま早瀬さんにも頭を下げる。


「すみません、またお願いします」


「状況から」


「はい」


 搬送ラインの途中で、大型部材を載せた吊り治具が止まっている。


 高さは二メートル弱。


 下に人はいない。


 前後の区画も閉鎖済み。


「荷重検知が異常出してライン停止しました」


 緒方さんが説明する。


「落下は?」


「今のところなし。固定も入れてます」


「作業員は全員退避済み?」


「はい」


 早瀬さんが周囲を見る。


 俺も見る。


 昨日みたいに今すぐ誰かが危ない状況ではない。


「技術側は?」


「保守会社を呼んでます。到着まで三十分くらい」


「じゃあ待つ?」


 俺が言う。


 緒方さんが少し驚いた顔をした。


「待つんですか」


「今落ちる危険がないなら」


「でも、鳴海さんなら何かできません?」


「何を?」


「昨日みたいに」


 昨日。


 振れたフレームから作業員を引いた時のことだ。


「あれ、人が危なかったので」


「今回もこれが止まってるせいで作業全部止まってるんですよ」


「それは分かりますけど」


 吊り治具を見る。


 俺が能力を使っても、安全センサーの故障原因は分からない。


 荷物を無理に動かすことはできるかもしれない。


 でも、そうする理由がない。


「人が危ないなら使います」


「今は?」


「待てるので使わないです」


 緒方さんが黙った。


 嫌そうではない。


 ただ、少し計算が外れたみたいな顔だった。


「お願いしたら使ってもらえるものじゃないんですね」


「内容によります」


「早く終わるだけじゃ?」


「使わないです」


 早瀬さんが横で口を挟む。


「能力使ったら、その分後の稼働落ちるんで。通常手段で問題ないならそっちです」


「なるほど」


 緒方さんが頷いた。


「すみません。俺、そこまで分かってなかったです」


「普通はそうだと思います」


 現場側から見たら、能力者が来たなら能力で何とかすると思うのかもしれない。


 結局、俺たちは保守担当が来るまで区画の安全確認をした。


 十五分。


 二十分。


「昼ずれるな」


 俺が言う。


「また飯か」


「大事だよ」


「今日は何」


「食堂の限定、冷やし担々麺」


「帰る頃残ってるか?」


「やめて」


 嫌なことを言う。


 二十五分を過ぎたところで、保守会社の車が到着した。


 作業員二人がセンサーと制御盤の確認に入る。


 俺たちは下がる。


「検知部のズレかも」


「機械の?」


「たぶん」


 早瀬さんが言う。


「これで帰れるかな」


 そう思った時だった。


 金属の鳴る音がした。


 大きくはない。


 カン、と一回。


 保守担当の一人が顔を上げる。


「待って!」


 吊り治具の左側。


 固定具が一つずれている。


「離れて!」


 全員が下がる。


 吊り荷が数センチ傾いた。


 まだ落ちない。


 でも保守担当の一人が、工具箱を置いた位置が悪かった。


 逃げる方向に箱がある。


 男が後ろへ下がり、踵を引っ掛ける。


「危ない!」


 転ぶ。


 その上で吊り荷がさらに傾く。


 待てない。


 走る。


 今度は考えるまでもなかった。


 距離は六メートルほど。


 身体位置と運動制御。


 一瞬だけ後へ回す。


 請求は夕方。


 足を置く。


 工具箱を飛び越える。


 転んだ男の作業着を背中から掴む。


 引く。


 出力は借りない。


 自分の力で足りる。


「っ!」


 男を滑らせるように安全側へ動かした。


 俺も一緒に下がる。


 吊り荷が落ちる。


 完全落下じゃない。


 片側の固定具で止まり、床から数十センチのところで大きく揺れた。


「全員離れろ!」


 早瀬さんの声。


 区画から出る。


 安全扉が閉まる。


 保守担当の男性が座り込んだ。


「大丈夫ですか」


「はい……すみません」


「足」


「大丈夫です」


「頭打ってない?」


「打ってないです」


 早瀬さんが確認する。


 俺は端末を出した。


「使った?」


「うん」


「何時」


「十一時三十二分」


「支払い」


「十六時半前後」


「昨日と似てんな」


「分かりやすいから」


 入力。


 送信。


 顔を上げると、緒方さんがこっちを見ていた。


 昨日と同じ顔だった。


「今のは使うんですね」


「人いたので」


「危ない時なら?」


「必要なら」


「なるほど」


 緒方さんは落ちた吊り荷を見る。


「早く終わるかどうかじゃない」


「そうですね」


「人が危ないとか、待てない時」


「だいたい」


「……そうですか」


 それだけ聞いて、緒方さんは保守担当のところへ行った。


 事故の確認。


 作業停止。


 会社への連絡。


 すぐに仕事へ戻る。


 俺もそれ以上気にしなかった。


 昼前には現場を離れた。


 限定の冷やし担々麺には間に合わなかった。


「最悪」


「人一人助けた後の第一声がそれ?」


「助かったのはよかった。でも担々麺は別」


「明日食え」


「今日限定」


「じゃあ諦めろ」


 コンビニのおにぎりになった。


 午後は拠点内勤務。


 昨日と同じように、十六時半前後には反動が来る予定だ。


 今日も東四区から何か要請があれば、その時間以降は俺が外れる可能性が高い。


 別に緒方さんへ教えたわけではない。


 でも、あの人は昨日も今日も、それを目の前で見ていた。


 能力を使う前は普通に動く。


 危険があれば、一瞬だけ異常に速く動く。


 そして後から、その分だけ現場から消える。


 現場を回す人間なら、俺より先にその違いを覚えてもおかしくないのかもしれなかった。

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