第16話 一回の中に、何回ある
東四区の一部作業停止は、現場へ来るたびに少しずつ形が変わっていた。
最初は森岡さんが倒れた区画だけ。
次に、安全警告装置を使う重量物作業。
今日はそこへ、能力使用記録を即時確認できない班の高負荷作業まで追加されている。
倉庫の入口には、本来なら午前中に運び出されるはずの資材が並んでいた。
「邪魔だな」
俺が言うと、早瀬さんが横を見る。
「それ現場の人の前で言うなよ」
「言わないよ」
「顔に出すな」
「最近みんな俺の顔に厳しくない?」
「分かりやすいからな」
もう反論するのも面倒になってきた。
今日の俺たちの仕事は、技術と労務の確認中に現場側で何かあった場合の支援と、作業停止区画の安全確認。
犯罪者はいない。
能力暴走もない。
今のところ、使う予定もない。
入口付近で入館手続きをしていると、少し離れた場所から声が聞こえた。
「じゃあ今日も午後から?」
「まだ分かんないって」
「分かんないじゃ困るんだよ。こっち日給なんだから」
作業員が三人。
一人は派遣か短期応援らしい。
誰かに怒鳴っているわけではない。ただ、自分たちの勤務がどうなるか分からず困っている。
「午前分は出るって聞いてます」
現場側の職員が説明している。
「午後は作業再開の判断待ちです」
「帰っていいなら別の現場探すんだけど」
「もう少し待ってください」
男は納得していない顔で自販機へ向かった。
「止めれば安全、で終わらないんだな」
俺が言う。
「そりゃそうだ」
早瀬さんは普通に答えた。
「現場止めたら人も金も止まる」
「でも確認せず使わせるわけにもいかない」
「だから面倒なんだろ」
どっちか一つなら楽なのに。
「鳴海さん!」
管理棟の入口から藤崎が手を上げた。
今日は保護眼鏡を頭ではなく普通に掛けている。
その隣には長谷部さん。
「来たならこっちお願いします」
「俺?」
「荷物」
「また?」
机の上に小さな保全ケースが三つ並んでいる。
「私は端末持つので」
「俺は荷物持ちとして呼ばれたの?」
「現場支援ですよね?」
「便利な言葉だな」
「早瀬さんも一個お願いします」
「俺もか」
二人で持つ。
重くはない。
管理室へ入ると、労務担当と会社側の安全管理担当、それから緒方さんがいた。
「お疲れさまです」
緒方さんが頭を下げる。
「またすみません」
「いえ」
早瀬さんが返す。
「今日、どこまで止めてるんです?」
「能力作業は三班中二班です。残り一班は記録担当を一人増やして回してます」
「人足ります?」
「足りないですね」
緒方さんは苦笑した。
「だから荷物溜まってます」
俺が入口で見たものだ。
「午前中だけで出荷二便遅れてるんで、午後には何とかしたいです」
「確認終われば判断出ます」
労務担当が言う。
「分かってます」
緒方さんは言い返さなかった。
ただ、机の端を指で二回叩いていた。
「今日は何を見るんです?」
俺が聞くと、藤崎が椅子へ座りながら答えた。
「七月第二週のバックアップから出た四件と、昨日までに見つかってる三件」
「七件」
「今のところ」
長谷部さんが保全ケースから媒体を取り出す。
「現地の生ログには能力使用がある。でも会社提出側では一回分にまとまってる」
「消した人を探す?」
「今日はそこじゃない」
労務担当の女性が答えた。
「どういう処理をしたら、この形になるか確認します」
会社側の安全管理担当が、管理端末を操作した。
「実際に使っている集計画面を出します」
モニターに、見慣れない表が並ぶ。
作業者。
作業工程。
開始時刻。
終了時刻。
能力使用。
休憩。
俺には、これまで何度か見せられた勤務記録と大差なく見えた。
「七月十二日の森岡さんを例にします」
別の日だ。
生ログ側には、
『10:08 能力使用』
『11:21 能力使用』
『13:04 能力使用』
三件。
「会社提出記録は?」
宮野さんならすぐ出してくれそうだが、今日は労務担当が画面を切り替えた。
『能力使用 10:08』
一件だけ。
「後の二回どこ行った?」
「ここです」
会社側の担当者が、画面上部の小さな項目を指した。
『同一工程を統合』
「これ押すと」
クリック。
三行あった記録が一行になる。
『能力使用 10:08』
『工程終了 14:12』
「……それだけ?」
「はい」
「回数は?」
「一件扱いになります」
俺は画面を見る。
「何のための機能です?」
早瀬さんが聞いた。
「元々は作業実績の集計です」
会社側担当者が答えた。
「同じ作業を途中で中断しても、工程全体として何時間掛かったかを見るためにまとめる」
「能力の安全管理用じゃない?」
「本来は違います」
「じゃあ何で提出記録にこれ使ってるんですか」
部屋が少し静かになった。
「……現場側の月次集計で、この画面を使ってました」
緒方さんが言った。
全員の視線が向く。
「いつから?」
労務担当が聞く。
「俺がここへ来た時にはもう」
「何年前です?」
「三年くらい前です」
「能力使用の安全記録も?」
「実績一覧から出してました」
「個別記録が必要だという規定は?」
「ありますよ」
「なら、なぜ」
緒方さんが椅子へ座り直した。
「……実際、誰も生ログ一件ずつ見て月次作ってないからです」
声は強くなかった。
「現場だけじゃなくて、人が何十人もいて、一日何回も使うやつもいる。作業実績と勤務と能力使用を全部別に拾ったら、締め処理だけで終わらない」
「だからまとめていた?」
「同じ工程なら」
緒方さんが答える。
「一回目も二回目も同じ能力で、同じ作業でしょう。前からそうしてた」
「でも反動は一回ごとに発生します」
労務担当が言った。
「それは分かってます」
「なら安全記録としては別です」
「今は分かりますよ」
緒方さんの声が少し上がった。
「でも現場で、この一覧を出せって教えられたら出します。監査で何年も何も言われなかったら、それが駄目だと思わない人間もいるでしょう」
最後の方は、自分に言っているのか誰かに言っているのか分からなかった。
「緒方さん自身は、個別で出す必要があると知っていた?」
「規定としては」
「運用が違うことも?」
「知ってました」
今度は間があった。
「じゃあ、何で直さなかったんです?」
俺が聞いてしまった。
早瀬さんが横を見る。
でも止めなかった。
緒方さんも俺を見る。
「鳴海さん」
「はい」
「現場、何人いるか知ってます?」
「知らないです」
「常時で五十前後。応援まで入れたらもっとです」
「はい」
「毎日全部の能力使用を個別確認して、休養入れて、人が足りなければ別班呼んで、作業止めて。それを規定通りやったら、今の人数じゃ今の契約量は回りません」
少し早口になっていた。
「じゃあ人増やせばいいって言うんでしょうけど、それ決めるの俺じゃないですから」
「俺、そこまで言ってないです」
「分かってます」
緒方さんは額を押さえた。
「すみません」
すぐ謝った。
別に俺が責められたわけでもない。
「ただ」
緒方さんが続ける。
「森岡が倒れたことまで『昔からそうだったから仕方ない』とは思ってないです」
その言葉をどう取ればいいのかは、俺には分からなかった。
労務担当が話を戻した。
「確認します。この『同一工程を統合』を使った帳票が、能力使用実績として提出されていた」
「はい」
「森岡さん以外についても」
「はい」
「個人の判断ではなく、現場の定例処理として?」
「少なくとも最近は」
これで、七件の説明はついた。
誰かが一件ずつ夜中に消していたわけではない。
一日の終わりに、同じ工程をまとめる。
その結果、二回目以降が記録上から見えなくなる。
「じゃあ三か月分、全部これ?」
俺が聞く。
「今調べる」
藤崎が言った。
「生ログと集計前データが揃ってれば比較できます」
「機械側の記録は残ってるんですよね」
「今のところは」
「じゃあ見つかる?」
「保存期限内なら」
藤崎はもう画面へ向き直っていた。
仕事の話になると切り替えが速い。
一時間ほどして、俺と早瀬さんは管理室から出された。
正確には、
「ここから集計作業なので現場側お願いします」
と言われた。
「また追い出された」
「お前がいても数字減らないからな」
早瀬さんが言う。
倉庫へ戻る。
能力作業が止まっている区画では、通常作業だけで進められる部分を別の班が処理していた。
重い部材を、三人で台車へ載せている。
本来なら能力者一人が補助すればもっと早いらしい。
「そっち押さえて!」
「はい!」
俺たちも手を貸す。
機構の特殊能力なんていらない。
普通に持つ。
普通に押す。
重い。
「鳴海さん」
緒方さんが少し離れたところから声を掛けた。
「能力使わないんですか?」
「今は要らないので」
「それだけ持てるなら?」
「持てるなら使わないです」
「……そうですか」
緒方さんはそれ以上聞かず、別の作業員のところへ行った。
早瀬さんが小声で言う。
「珍しいこと聞くな」
「現場からしたら早く終わらせたいんじゃない?」
「まあな」
三十分後。
作業は能力を使った時より明らかに遅かった。
でも終わった。
入口で待っていた短期の作業員が時計を何度も見ている。
「午後、再開するんですか」
緒方さんへ聞いている。
「まだ確認中」
「今日半日扱いになったら困るんだけど」
「会社に補償確認してる」
「先週も別現場飛んでるんですよ」
「分かってる」
「分かってるって言われても」
男は途中でやめた。
緒方さんも何も返さなかった。
安全確認が必要なのは分かる。
でも止められた側には、止められた側の今日がある。
十五時前。
一部の能力作業について、条件付き再開が決まった。
能力使用は一件ごとにその場で記録。
使用後の休養確認も別記録。
警告設備が正常な区画のみ。
足りない人員分は作業量を減らす。
「出荷、今日の分全部は無理ですね」
緒方さんが言った。
「それは会社側で調整してください」
労務担当が答える。
「分かってます」
緒方さんはまた時計を見た。
俺たちが拠点へ戻ったのは十六時半。
そのまま現場班へ戻るつもりだったが、宮野さんから五分だけ呼ばれた。
本当に五分だった。
「三か月分、暫定」
画面に数字が出ている。
「現地側に能力使用があるのに、会社提出側で同一工程へ統合されていたもの。十八件」
「十八」
「対象者は七人」
「全部、あのボタン?」
「今確認できた範囲では」
「じゃあ記録が消えてた理由は分かった」
「一つはね」
宮野さんが別の画面を出す。
安全警告装置側のログ。
「こっちは別」
「何が?」
「十八件のうち、警告生成条件に入ってたのが九件」
「警告は?」
「正常に出たのが六件」
「残り三件」
「出力応答なし」
森岡さんの十二時三十一分もその一件。
「統合処理は、警告が出なかった理由にはならない」
「そうですね」
「だから安全装置側はまだ確認継続」
「誰がコネクタ外したかも?」
「そこも」
画面を閉じる。
「今日分かったのは、能力使用記録の不足については個人一人の操作より、現場の集計運用でかなり説明できるってこと」
「かなり?」
「全部とはまだ言わない」
「慎重だな」
「仕事だから」
いつもの返事だった。
俺は席を離れた。
森岡さんが一回しか使っていないことになっていた理由は、少し分かった。
二回目だけを誰かが狙って消したわけではなかった。
同じ作業だから一回。
十分座っただけなら休憩じゃない。
それで何年も仕事が回っていた。
でも、警告が鳴らなかった理由だけは、まだそこに混ざっていなかった。




