第15話 まとめて一回
倉橋千景と同じ現場になったのは、医療センターの事件以来だった。
「鳴海さん、今日は何か払ってます?」
機構の車を降りたところで、いきなり聞かれた。
「挨拶より先にそれ?」
「必要なので」
「ゼロ。予定もなし」
「了解です」
「倉橋は?」
「ゼロ」
「即答だな」
「昨日言ったでしょ。必要なら答えるって」
「昨日じゃないけど」
「細かい」
倉橋はヘルメットの顎紐を締めると、先に歩き始めた。
今日の現場は立体駐車場だった。
異能事故ですらない。
上層階で作業員が脚を負傷し、業務用エレベーターも点検中。消防の救急隊だけでは搬送経路が狭いため、近くにいた俺たちが補助へ回された。
倉橋は別チームだが、直前の対応が終わったところで一緒になったらしい。
「評価訓練、結局どうなった?」
階段を上りながら聞く。
「再設定されました」
「よかったじゃん」
「二週間後です」
「じゃあ問題ない」
「二週間遅れたんですけど」
「受けられるなら同じじゃない?」
倉橋が一段上で振り返った。
「鳴海さんって、予定ずれるの本当に気にしないですよね」
「気にはするよ」
「見えない」
「限定カップ麺の発売日ずれたら困る」
「比較対象がおかしいんですよ」
四階へ到着する。
負傷した作業員は消防隊員に固定され、簡易担架へ移されるところだった。
「左足首疑い。意識清明。能力使用なし」
引き継ぎを受ける。
「階段、一階までですか?」
倉橋が確認した。
「二階まで。そこから別の搬送車入れます」
「了解」
今日は《最短路》も《後払い》もいらない。
俺と消防隊員が頭側。
倉橋と別の隊員が足側。
「下ります」
「はい」
一段。
担架を傾けすぎない。
二段。
曲がり角で止める。
「鳴海さん、もう少し壁側」
「これ以上行くと肩当たる」
「担架優先」
「俺の肩は?」
「頑張ってください」
「雑じゃない?」
結局、肩は壁に擦った。
「今の絶対そっち寄れたよね」
「寄れましたけど、鳴海さんの方が大きいので」
「合理的だけど腹立つな」
倉橋が笑う。
能力を使えば数秒で済むようなことでも、使わない方がいい時は普通にある。
今日の搬送は十九分掛かった。
その十九分で、誰も反動を増やさなかった。
負傷者を救急側へ引き渡し、俺たちは駐車場の端で水を飲んだ。
「鳴海さん」
「何」
「東四区、まだやってます?」
少し意外だった。
「何で知ってるの」
「一部作業停止が共有されてるから。うちの班、来週あの地区で訓練予定だったんです」
「ああ」
「中身は聞いてません」
「俺も話せることそんなないよ」
「大丈夫です。聞いてないので」
「じゃあ何で聞いた」
「長引いてるなって」
倉橋がペットボトルの蓋を閉める。
「最初、作業員一人倒れただけだったんですよね」
「そう」
「それが今、何日目です?」
「……四日?」
「鳴海さんも結構行ってるって聞きました」
「誰から」
「原田さんが早瀬さんに会ったって」
別チーム同士でも、話は普通に回るらしい。
「俺は見たもの聞かれてるだけ」
「分かってます」
「また推理すると思った?」
「ちょっと」
「その評価広がってない?」
「私は宮野さんから何も聞いてませんよ」
「誰も宮野さんって言ってないけど」
倉橋が一瞬止まった。
「……今のなしで」
「やっぱり宮野さんじゃん」
「戻りますよ」
逃げた。
拠点へ戻ったのは十二時前。
昼飯を先に食べようとしたところで、宮野さんに捕まった。
「鳴海」
「倉橋さん、正解だった」
「何が?」
「何でもないです」
倉橋は別チームへ戻っていく。
俺だけ管制席に残された。
「東四区?」
「うん」
「今日は行ってないですよ」
「知ってる」
「じゃあ何」
「過去ログの照合が少し進んだ」
宮野さんの画面には、昨日見た三件が並んでいた。
森岡さんとは別の作業員。
三人。
それぞれ違う日付。
「三件とも、会社の勤務記録には能力使用がない」
「現場側にはある?」
「ある」
「入力ミスじゃなくて?」
「一件ずつならまだその可能性もある」
宮野さんが別の欄を開いた。
「ただ、追加で共通点が出た」
「何です?」
「編集された時刻」
三件の横に時刻が表示される。
十八時十二分。
十八時十九分。
十八時四分。
「能力使った直後じゃない?」
「違う。全部その日の作業終了後」
「まとめて消してる?」
「『消してる』はまだ言わない」
「じゃあまとめて直してる」
「そのくらいなら言っていい」
三件とも、能力を使った直後には現地側の記録が残っている。
警告装置も反応していた。
その日の終業処理で勤務記録が整理され、その時に能力使用欄から消えている。
「誰が?」
「全部、現場管理の共通アカウント」
「また共通」
「便利なんだけどね」
宮野さんが肩をすくめた。
「交代勤務だから、個人アカウントだけにすると引き継ぎで止まることがある。だから管理者が共有で使える端末も残してる」
「誰が操作したか分からない?」
「端末の設置場所と入退室記録から絞れる。でも一人にはならない」
「緒方さんも?」
「その時間帯にいた日はある」
「全部?」
「全部じゃない」
そこで少し止まった。
「三件のうち一件は緒方さんが休み」
「じゃあ緒方さん一人が全部やったわけじゃない」
「少なくとも本人がその場で直接操作した、なら成立しない日がある」
思っていたより大きい話なのかもしれない。
逆に、もっと単純なのかもしれない。
誰か一人がこっそり消していたんじゃなくて、現場全体でそういう処理をしていた。
「昨日、短い休みは記録に入れないって言ってましたよね」
「聞き取りでも複数人から出てる」
「能力使用も?」
「『同じ工程中の再使用はまとめることがある』って証言が二人から出た」
「会社のルールでは駄目なんですよね」
「原則、個別記録」
「じゃあ現場ルール?」
「その可能性を確認してるところ」
宮野さんは画面を閉じる。
「それと、今日はもう一個」
「まだあるんですか」
「この三件だけじゃなくて、過去分を広げることになった」
「何か月?」
「まず三か月」
「多いな」
「だから現場のバックアップも保全する」
俺には直接関係なさそうだった。
「じゃあ俺いらない?」
「今はね」
「昼行っていい?」
「どうぞ」
立ち上がる。
「鳴海」
「はい?」
「午後、東四区へ行く可能性はある」
「何で」
「過去ログの保管媒体が現場にあるから。技術側が回収に行く」
「また機械?」
「今度は交換じゃなくて保存用」
「俺必要?」
「だから、必要なら呼ぶ」
最近こればかりだ。
「了解」
食堂へ行く。
今日は早瀬さんが別現場でいない。
一人でカレーを食べていると、向かいに倉橋が座った。
「そこ空いてます?」
「座ってから聞く?」
「嫌なら移動します」
「別にいいよ」
倉橋のトレーには丼とサラダ。
俺のカレーを見る。
「野菜ないですね」
「じゃがいも入ってる」
「野菜判定そこですか」
「人参も」
「そういう問題じゃない」
食べ始める。
「さっき宮野さんに捕まってましたね」
「見てた?」
「通ったので」
「東四区」
「聞いてません」
「言ってない」
「顔に書いてあります」
「今日三人目だぞ、それ言うの」
自分ではそんなに分かりやすいと思っていない。
「午後出るんですか?」
「分かんない」
「じゃあ私、訓練戻ります」
「俺に予定聞いた意味あった?」
「雑談ですけど」
「倉橋も雑談するんだ」
「何だと思ってるんですか」
どこかで聞いた台詞だ。
倉橋は丼を食べ終えると、本当に先に戻った。
俺はカレーを食べて、午後の装備点検へ向かった。
東四区へ呼ばれたのは十四時四十分。
技術側の車に便乗する。
藤崎と長谷部さんがいた。
「また鳴海さん」
藤崎が言う。
「こっちの台詞」
「私たちは仕事です」
「俺も仕事」
「今日は能力使わないでくださいね」
「何で最初から」
「バックアップ媒体取りに行くだけなので」
「使わないよ」
「それならいいです」
東四区の管理棟。
今回向かったのは倉庫ではなく、小さな事務室だった。
緒方さんはいない。
代わりに安全管理担当の男性が案内してくれる。
「三か月分ですよね」
「はい」
長谷部さんが答える。
「ローカルの週次バックアップと、月次の保全コピー」
「こっちです」
鍵付きの棚が開く。
中に小さな記録媒体が並んでいた。
日付ラベル付き。
藤崎が一つずつ確認する。
「六月第一週」
「あります」
「第二週」
「あります」
「第三週」
「あります」
順番にケースへ入れていく。
地味だ。
俺の仕事は入口に立っているだけ。
「七月第一週」
「あります」
「第二週」
「……ないですね」
藤崎の手が止まった。
棚を見る。
ラベルが一つ飛んでいる。
「使ってるんですか?」
安全管理の男性が覗き込む。
「いや」
自分で棚を探す。
「おかしいな」
「持ち出し記録あります?」
長谷部さんが聞く。
「確認します」
男性が端末を開く。
数十秒。
「あ」
「ありました?」
「昨日、管理室へ貸出」
「何のために?」
「月次集計の再確認」
「誰が借りてます?」
男性が画面を見る。
「現場管理共通」
またそれだった。
「今どこです?」
「管理室だと思います」
「行きましょう」
藤崎がすぐ立つ。
俺たちもついていく。
管理室は同じ建物の二階。
扉を開ける。
誰もいない。
机が四つ。
端末。
書類。
壁際の棚。
「媒体どれです?」
藤崎が聞く。
案内してきた男性が机を確認する。
「ここに置くはずなんですが」
「ない?」
「……ないですね」
長谷部さんが俺を見る。
「鳴海君、入口だけ見てて」
「了解」
別に逃げる人がいるわけじゃない。
でも今度は、誰かが来ても中へ入れない方がいいらしい。
数分後。
廊下の向こうから女性職員が歩いてきた。
「何かありました?」
安全管理の男性が聞く。
「昨日借りた七月第二週のバックアップ、見てませんか?」
「あ、それなら」
女性は普通に答えた。
「集計終わったから返却箱に入れましたよ」
「返却箱?」
「一階の保守資料回収」
全員が止まった。
「今日回収日ですよね」
女性が続ける。
「たぶん、もう業者さん持っていったんじゃないですか」
長谷部さんが時計を見る。
十五時十九分。
「回収車、何時?」
「十五時」
藤崎が俺を見た。
「鳴海さん」
「何」
「走れます?」
「それ能力の話?」
「普通にです!」
「それなら走れる」
「一階!」
全員で走った。
能力なんて使う必要はなかった。
階段を二階分下り、建物の外へ出る。
駐車場の出口。
白い回収車が、ちょうど門の前で停まっている。
警備員が何か確認していた。
「待ってください!」
藤崎が叫ぶ。
運転席の人がこちらを見る。
間に合った。
ただ、それだけだった。
回収箱の中から七月第二週の媒体が見つかったのは、その十分後。
廃棄される予定だったわけじゃない。
本社側で再利用前の確認を受ける通常回収。
誰かが隠した証拠もない。
昨日、月次集計のため借りた。
終わったから返却した。
普通の仕事だった。
「これ、危なかったんですか?」
俺が聞くと、藤崎は保全袋へ媒体を入れながら答えた。
「普通に回収されてたら、すぐ消えるわけじゃないです」
「じゃあ大丈夫だった?」
「でも保管場所も担当部署も変わるし、再利用処理に入る可能性もあります」
「面倒になる」
「かなり」
封印する。
時刻を記録。
署名。
今日も地味だ。
その媒体から何が出るかは、まだ分からない。
でも三か月前まで広げるための記録は、一つも欠けずに揃った。
帰りの車で、藤崎が窓へ額をつけた。
「疲れた」
「走っただけじゃん」
「その前から働いてます」
「そうだった」
「鳴海さんは今日何してました?」
「搬送」
「能力は?」
「使ってない」
「じゃあ健康」
「雑な診断しないで」
「診断してません」
長谷部さんが前から言う。
「藤崎、寝るなら着く前に起こすぞ」
「寝ません」
答えて三分後には目を閉じていた。
拠点へ戻ったのは十七時過ぎ。
俺は現場班へ戻り、途中だった装備点検を終わらせた。
十八時前。
宮野さんから短い連絡が来る。
『媒体、技術側で読み出し開始』
その十五分後。
もう一件。
『七月第二週だけで、会社提出記録に存在しない能力使用イベントを四件確認』
三件から、四件増えた。
同じ週だけで。
俺は画面を見たまま、少し止まった。
森岡さん一人の記録が間違っていた。
そこから始まった。
もう、その説明だけでは足りなくなっていた。




