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輪廻の瑕疵  作者: 朔來 織
~朱華の紫灰~

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第九十二話 紫鬼の太刀

霧が、裂ける。


「——はぁ——はぁっ——」


焦燥に駆られ、指先まで泥に塗れた典膳が息を切らす。

目の前に広がるのは、枯れ果てた藤の蔓。

巨大な檻の円環の地。


頭上の空はどす黒い雲に覆われていた。


——ギ——ギギッ——


周囲の枯れ蔓が悲鳴のような音を立てて波打っている。

大気が淀み、吸い込むだけで肺を削るような金属質の冷気が漂っていた。


「信鷹……っ!信鷹っ!そこにいるのかっ!?」


典膳の叫びに応えるように、ゆっくりと、その巨躯が立ち上がる。


見慣れた、逞しい背中。

過酷な戦場でも。

明里の隣でも。

常に典膳に安心感を与え続けてきた兄の姿。


「……信鷹っ!良かった……無事だったか……っ……」


安堵のあまり駆け寄ろうとする典膳。

あと数歩。

彼の鋭い本能が、激しい警鐘を鳴らして足を凍りつかせる。


(……何だ、この歪みは……)


霊力を失ってなお感じる、不自然な違和感。

立ち上がる信鷹の重心が、右足に不自然なほど偏っていた。


——ズズッ—―ズズッ——


引きずるような足取り。

何より、彼の纏う空気があまりに冷たい。

まるで巨大な墓標の前に立たされているかのような錯覚。


ゆっくりと振り返った信鷹の顔。

そこには、確かに義兄の面影が残っている。


――かつて家族を慈しんだ柔らかな兄の瞳。


その瞳は今や、須藤の闇を凝縮したような、不気味に光る金色に塗り潰されていた。


「……典膳様……そんなに慌てて、どうされたのですか?」


声は、信鷹のものだった。

だが、その響きには血の通った温もりはない。

巨大な空洞で反響する冷徹な声が、凍りついた殺気となって典膳の肌を刺す。


(やめろ……!その声で喋るな!典膳様に……そんな顔を向けるなっ!!)


内側で、信鷹の魂が絶叫する。

自らの爪を脳髄に突き立てるかのような、激しい拒絶の葛藤。

だが、その必死の抵抗さえも、鐘鬼の巨大な質量に吸い込まれてゆく。

指先一つ、瞬き一つ変えることすら許されない。


(——くくっ——無駄だ。お前は俺に抗えん——)


鐘鬼は信鷹の忠義を嘲笑う。

彼の唇を無理やり動かし、愉悦のままに口角を吊り上げた。


「……貴様……信鷹を何処へやった……」


「……俺はここにいるじゃありませんか。どうしたというのです?」


一歩。

信鷹が踏み出す。


——ドロリ——


その右足の裾から黒い血が溢れ、地面へ滴り落ちる。

自ら刻んだ忠義の痕。

その血が地に触れた瞬間、枯れた藤の蔓が血管のように脈動していた。


——ジュゥゥゥ——


どす黒い紫色の毒気が爆発的に溢れ出す。


——ギチギチギチギチッ——


周囲の檻の円環が、歓喜するように音を立てて狭まっていく。


「……貴様は誰かと聞いているっ!!!」


典膳は目の前の兄であったものに声を張り上げる。

典膳の瞳に、絶望の色が浮かんでは消える。


自分を親バカだと笑ってくれた。

あの温かい兄の姿。


禍々しい目の前の世界。

そのどこにも自分の知る兄は見当たらない。


『くくくっ……』


信鷹の喉から、人ではない嘲笑が漏れる。

右手が静かに刀へと伸びる。


——チャキッ——


引き抜かれた刃が、迷いなく典膳の胸元へと向けられる。

須藤の誇りであった男は、最悪の太刀を構えて立ちはだかった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

『輪廻の瑕疵』は、毎日18:00に更新予定です。

※本作は「カクヨム」にも重複投稿しています。


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