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輪廻の瑕疵  作者: 朔來 織
~朱華の紫灰~

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第八十四話 明里

誰かが、泣いている。

その音は、意識の底に溜まっていた泥のような静寂を、一滴ずつ、けれど確実に穿っていった。

何が悲しくて泣いているのだろう。

だが、不思議とその泣き声は、暗い絶望の淵に響くものとは違っていた。

まるで、厚い雲の隙間から差し込む陽光のように、どこか温かく、透明な響きを帯びている気がした。


「……明里……?どうしたんだ……何故、泣いている?」


掠れた声。

自分のものとは思えないほど細い振動が、喉を震わせる。

その言葉が空気に溶けた瞬間、咽び泣く音が止まった。

そして、視界を覆っていた霧が晴れるように、一人の女性の姿が結ばれる。


「……典膳様……待たせ過ぎ、ですよ……典膳様ぁぁぁぁ!!」


「っ……!?」


次の瞬間、衝撃と共に温かな重みが胸に飛び込んできた。

力の入らぬ体で、泣きじゃくる明里を宥めようとしながら、典膳は激しい困惑に包まれる。

自分の体は、驚くほど動かない。

指先一つ動かすのにも、石像を動かすような途方もない労力を要する。

何より、縋り付く彼女の細い肩が、壊れそうなほどに震えていた。


その時、激しく戸が開かれる音がした。


「明里!どうした……っ……!……て…典膳様……よくぞ……よくぞ……お目覚めくださいました……!!!」


飛び込んできたのは、信鷹だった。

その瞳には、典膳がかつて見てきた冷静な腹心の姿はない。

膝から崩れ落ち、震える拳を床に突く。

奇跡を目の当たりにした一人の男の、剥き出しの歓喜と安堵だけが溢れていた。


典膳の知らない、二年の月日。

屋敷の庭の木々が二度芽吹き、二度枯れた。

彼らはこの冷たくなった主君の手を握り続け、戻らぬ魂を呼び続けていたのだ。

明里の腫らした瞼、信鷹の痩せた頬。

そのすべてが、典膳には身を切るような重みとなって伝わってきた。


「……信鷹……俺は、どれぐらい寝ていた……?」


典膳の問いに、信鷹は言葉にならぬ嗚咽を飲み込む。

ただ、何度も、何度も首を縦に振ることしかできなかった。


絶望という名の灰色に染まりかけていた世界。

二人の熱い涙が、典膳の凍てついた心に、再び鮮やかな色を灯そうとしていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

『輪廻の瑕疵』は、毎日18:00に更新予定です。

※本作は「カクヨム」にも重複投稿しています。


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