第七十七話 母性という蟲毒
父が亡くなった。
須藤家という巨大な大樹を支えていた柱が折れ、屋敷の空気は一変した。
悲しみに暮れる暇もなく、時代は、そして一族は、次の心の拠り所を求めて動き出す。
それは、新たな長を据えるということ。
その容赦のない視線は、一人の少年に向けられていた。
「典膳様……須藤家のこれからを考えねばなりません」
声をかけてきたのは、幼馴染の信鷹だった。
父の死を、その温もりすら消えぬ遺体を目の前にして発せられた、あまりにも実務的な言葉。
典膳の胸中に、制御しきれない激情が黒く渦巻きかける。
だが、彼はそれを奥歯で噛み殺した。
喉の奥を焦がすような痛みを堪え、凛とした声を絞り出す。
「……わかっている、信鷹。皆を集めよ。須藤家が止まることは許されん」
典膳は、父の遺体がある部屋から一歩を踏み出す。
線香の煙が薄く漂う長い廊下。
その足取りは鉛のように重く、けれど決して揺るがなかった。
「何一つ変わらず、俺たちは祓わねばならんのだ。この世のために」
悲しむこと。
子供として泣きじゃくること。
それらを自ら拒絶するように、典膳は暗い廊下の奥へと背中を向ける。
その声は、若さゆえの危うさと、鋼のような冷徹さを帯びて響いていた。
「……あの子は、旦那様の死を前にしても、前を向くのね……」
その背を見送る紫季の瞳には、深い哀惜の色が浮かんでいた。
遠ざかる典膳の小さな肩に、亡き夫の、須藤家当主としての峻烈な影を重ねる。
「典膳……あなたは正しいわ。須藤家の当主として、あまりに正しい……でも、今は……今だけは、子供であってほしかったと、私は……」
紫季は、典膳の強さがいつか彼自身を内側から壊してしまうのではないかという、不吉な予感に身体を震わせる。
届かない祈りを吐き出しながら、彼女は自分の胸元へ縋り付き、嗚咽し続ける道舟の柔らかな髪を撫で、痛いほどに抱きしめ続けた。
感情を殺して当主となった兄。
母の腕の中で、子供のまま泣くことを許された弟。
紫季という絶対的な母性が注がれる先が、無意識のうちに少しずつ、けれど決定的に分かたれていく。
それが、後に明里という一人の女性を巡る、地獄のような愛憎の連鎖へと繋がる序曲であることを、まだ誰も知らなかった。
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