第七十五話 幸福の色彩、暗転の予兆
須藤家の屋敷には、二つの太陽が昇っていた。
長子の典膳と、弟の道舟。
二人は、子供らしく、快活に、色鮮やかな世界を健やかに駆け回っていた。
春の陽光が降り注ぐ縁側。
そこには、後に灰色と絶望を司ることになる兄弟の、あまりにも無邪気な光景があった。
庭先から吹き抜ける風が、若葉の匂いを運んでくる。
「兄上!私もそのお菓子が食べたいです!」
道舟が、典膳の持つ竹皮の包みを覗き込んで目を輝かせる。
後の世の冷徹な空気など微塵もない。
どこにでもいる、仲の良い兄弟の姿だ。
「さっき、お前食べたろう?……しょうがないなぁ。母上には内緒だぞ?」
典膳は困ったように笑うと、手元にあった桜餅を半分に割る。
しなやかな桜の葉の香りが、ふわりと鼻腔をくすぐった。
断面から覗く桃色の餡を愛おしげに見つめてから、弟の小さな手へと渡した。
道舟は、わあ!と声を上げ、それを幸せそうに頬張る。
(……まったく、こいつは)
弟の口の周りに付いた白い粉を指先で拭ってやりながら、典膳は穏やかな満足感に浸っていた。
自分の半分を分けてやることに、一塵の迷いもない。
幼い典膳にとって、弟の道舟と過ごすこの日常は、世界のすべてであり、永遠に続く約束のように感じられていた。
須藤家は、本来ならば呪いと血臭に塗れた場所だ。
大人たちは日夜、怪異との命懸けの実務に身を投じている。
けれど、この屋敷の奥深く、子供たちの生きる箱庭だけは、その血臭を寄せ付けない特別な時間が流れていた。
典膳は、厳格ながらも時折見せる父の不器用な愛情を疑うことなく信じきっていた。
典膳と道舟は、確かに幸せであった。
世界はどこまでも鮮やかで、明日もまた、この甘い桜餅を半分こにして笑えるのだと、幼い心で信じていた。
――あの、晴天の霹靂が走るまでは。
父が、一匹の鬼との死闘の果てに命を落とす、あの日が来るまでは。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
『輪廻の瑕疵』は、毎日18:00に更新予定です。
※本作は「カクヨム」にも重複投稿しています。
もし「沙苗と來のコンビが良いな」「先が気になる」と思ってくださったら、
評価、ブックマークで応援いただけると、執筆の大きな励みになります。
今後ともよろしくお願いいたします。




