第六十五話 緋色の観測者
「…………」
——スッ——
紅葉が手を伸ばす。
「…………」
向こう側が見える。
——ギュッ——
「…………」
感覚はある。
でも輪郭が——
薄い。
「そっか」
紅葉が小さく笑う。
「私」
もう一度——
手を見る。
「消えちゃうんだ」
不思議と怖くない。
「……嘘」
紅葉が膝を抱える。
「怖いよ……」
声が小さくなる。
「消えたくない」
誰にも聞こえない。
「沙苗様」
名前を呼ぶ。
「もっと……一緒にいたかったな……」
紅葉は微かに笑う。
「私——」
掌を見つめる。
「最初は——」
緋色。
何だったんだろ」
それを見るため。
観測するため。
ただ——
それだけ。
名前なんてなかった。
『紅葉』
「…………」
声が浮かぶ。
『あなたは紅葉』
「……えへへ」
頬が緩む。
「紅葉」
自分で呼ぶ。
「私の名前」
嬉しかった。
本当に嬉しかった。
それから。
色んなものを見た。
「沙苗様って」
紅葉が指を折る。
「すぐ怒るし」
誰かのために。
「無茶するし」
苦しくても。
「すぐ一人で抱えるし」
視線が上を向く。
「あと……」
少し笑う。
「結構、頑固」
指を戻す。
「でも」
目を細める。
「すごく優しい……」
顔を下ろした視線の先。
「…………」
沙苗がいる。
今にも——
壊れそうな姿で。
「沙苗様……」
紅葉が立とうとする。
——フラッ——
「っ……」
膝が落ちる。
「…………」
足を見る。
薄い。
さっきより。
「……やだな」
言葉に力がない。
「これ」
もう一度——
立つ。
——グッ——
「…………っ」
足が震える。
「大丈夫」
——ザッ——
「まだ歩ける」
沙苗を見る。
「…………私」
届かない声。
「緋色が——」
小さく。
「好きなんです」
力強く。
「綺麗だから」
——ザッ——
「…………」
——ザッ——
「暖かいから」
前へ。
「みんな」
紅葉の口元が上がる。
「笑うから」
それだけじゃない。
今なら分かる。
「でも」
足が止まる。
「一番は」
胸へ——
手を置く。
「沙苗様が好きだから」
——スゥ——
指先が——
また透ける。
「…………」
紅葉が見る。
「消えたら」
声が震える。
「沙苗様……」
涙が——
浮かぶ。
「悲しんでくれるかな」
——ゴシッ——
「……なんて」
腕で拭う。
「駄目」
首を振る。
「駄目だよ」
自分へ言う。
「紅葉」
——ギュッ——
「そんなこと」
拳を握る。
「考えちゃ駄目」
消えたくない。
怖い。
「…………」
もっと——
一緒にいたい。
全部——
本当だから。
「……消えない」
紅葉が顔を上げる。
「まだ——」
瞳に熱が入る。
「消えないもん」
根拠なんてない。
「だって」
——ザッ——
「私はまだ」
沙苗を見る。
「見てない」
いつか。
もう一度。
「…………」
あの人が——
笑う瞬間。
みんなが——
その周りで笑う瞬間。
世界が——
鮮やかになる瞬間。
「私は」
消えかけた手を——
胸へ当てる。
「観測者だから」
紅葉が笑う。
いつもの笑顔。
「最後まで」
輪郭は薄い。
「…………」
身体は消えかけている。
それでも。
紅葉は沙苗を見る。
「だから」
——ギュッ——
小さな拳を握る。
「笑いましょう」
返事は聞こえない。
「沙苗様」
紅葉は目を逸らさない。
自分が消える瞬間ではなく。
大好きな人の笑顔。
もう一度だけでもいい。
その瞳は——
待っていた。
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