第五十三話 境界線の亡霊
静寂が、沙苗たちの嗚咽を音もなく飲み込んでいく。
その光景を、瓦礫の影から亡霊のように見つめていた。
「………………」
駆け寄ることも、名を呼ぶこともできない。
今の自分には、彼女の悲しみに触れる資格さえ、世界から剥奪されたように感じていた。
來は自らの存在を恥じるように気配を殺し、音もなくその場から姿を消した。
灰色の森を、当てもなく彷徨う。
漏れ出る独白は、冷たい霧となって空間を侵食していった。
「……今の俺は、ただの紛い物だ。鬼だとか、そんな種族の話ではない……ただ、この場所に立っている自分という存在が……許せん……」
足元に転がっていた、己の折れた角の破片。
それを、無造作に踏み潰した。
「……何が最凶だ。ただ角があるだけの、図体ばかりの木偶の坊ではないか……」
胃の奥から、激しい嘔吐感がせり上がる。
最凶という肩書きで自分を飾り、沙苗を守っているという建前で、己の空虚さを埋めていただけ。
その欺瞞を、典膳の圧倒的な力に暴かれたのだ。
「……沙苗との縁が、俺を弱くしたのか……?」
ふと過った疑念。
だが、來は掌に爪が食い込むほど拳を握りしめ、即座にそれを叩き落とした。
「……違う。そうじゃない……」
声が、自虐から鋭利な自己嫌悪へと研ぎ澄まされていく。
「……俺が、強く在ろうとすることを恐れただけだ。鬼でありながらヒトで在ろうとする。その矛盾の言い訳に、沙苗を利用していただけだ……」
鬼としての牙を隠した。
ヒトと同じ目線で笑うために。
自分の中にある残酷なまでの強さを遠ざけ、それを優しさだと呼び替えて酔っていた。
その中途半端な偽りのヒトの皮こそが、典膳に手も足も出なかった元凶なのだ。
「……俺はどこまでいっても鬼だ。最凶の鬼……くはっ……笑わせるな……」
來は灰色の巨木を殴りつけた。
衝撃で灰の粉が舞い、拳の皮が裂け、どろりと黒い血が滴り落ちる。
最凶と謳われながら、何も守れなかった道化師。
ヒトに憧れ、結果として鬼の牙さえ錆びつかせた愚者。
來は、灰色の闇の奥へと足を踏み入れる。
誰の助けもいらない。
誰の視線もいらない。
自分の中に眠る最凶という名の怪物と、正対するために。
それは、地獄の底から真の己を引きずり出す、孤独な巡礼の始まりだった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
『輪廻の瑕疵』は、毎日18:00に更新予定です。
※本作は「カクヨム」にも重複投稿しています。
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和風怪異とはまったく異なる、
魂と市場を巡る近未来ダークファンタジー。
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