第四十二話 灰牙の獣
『……ギ、ギギ、ガアアアアァ……ッ!!』
それは咆哮というより、錆びた鉄が軋み、肉がひき千切れるような歪な呻きだった。
空気が濁り、重圧が地面を陥没させる。
「ぐっ……!!」
最凶の鬼であるはずの來が、その圧に気圧され、奥歯を噛み締めた。
理外の獣は、物理的な質量を超えた絶望の重みを纏い、來を圧し潰さんとその巨躯を躍らせた。
「蒐っ!!」
來の鋭い怒号が飛ぶより早く、蒐の指先が閃く。
鋼より硬く、剃刀より鋭い鋼糸が空間を網の目に断ち切り、灰牙の獣の四肢を絡め取った。
「ぐぅっ……!!何やこいつっ!?止まらんっ……糸が……喰われとる……っ!!」
蒐の顔が驚愕に歪む。
鬼二人を以てしても、その驀進は止まらない。
糸が獣の肉に食い込むそばから、灰色の泥が糸を腐食させ、泥濘の中へと引きずり込んでいく。
「二人とも、どきなさいっ!!」
凛烈たる朱禰の声。
蒐と來が弾かれたように左右へ跳んだ瞬間、視界が爆ぜた。
「――焼き尽くせっ!!」
朱禰が朱色の扇を大きく扇ぐ。
呼応するように朱色の炎が、大蛇のようにのたうち、灰牙の獣を包んだ。
高熱が庭の草木を一瞬で炭化死させ、灰色の泥を焦がす。
『ギィィィウガアアァァッ!!!』
だが、獣は止まらない。
全身を紅蓮に焼かれ、煙を上げながらも、その無機質な目はただ一点――沙苗だけを見据えていた。
死を恐れぬのではない。
死という概念を持たぬ獣は、炎を纏ったまま沙苗へとその牙を振り下ろす。
「止まりなさいっ!!」
その時だった。
背後で控えていたはずの紅葉の瞳が、恐ろしく鮮やかな緋色に燃え上がった。
――シャン――
紅葉が小さな手に持つ鈴が鳴る。
虚空が鈴の音を掴むと同時に、地面から噴出したのは、炎でも物理的な鎖でもない。
純粋な意志の塊である、緋色の鎖。
ガリッ、と空間が軋む音がした。
朱禰の朱色の炎さえ突き抜けてきた獣の牙が、紅葉の鎖に絡め取られ、一寸の動きも許されず空間に固定される。
「沙苗様!!今ですっ!!」
「こんのおぉぉぉ!!!」
沙苗が地を蹴った。
その掌に集まるのは、朱禰の朱よりも一段と明るく、夜の闇を白日の下に晒すような緋色の極光。
「消えなさい……っ!!」
沙苗が放った緋色の炎が、朱禰の朱色の炎を飲み込み、上書きしていく。
それは破壊の炎ではなく、理を正す浄化の炎。
灰色の泥と否色の存在が、サラサラと崩れ、灰の塵となり消えてゆく。
一陣の風が吹き抜け、残されたのは焦げた土の匂いだけだった。
「……何なのよ、こいつは……」
沙苗は肩で息をしながら、自分の掌を見つめる。
「……この、歪な力は……あたしの緋色に怯えていた……?」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
『輪廻の瑕疵』は、毎日18:00に更新予定です。
※本作は「カクヨム」にも重複投稿しています。
もし「沙苗と來のコンビが良いな」「先が気になる」と思ってくださったら、
評価、ブックマークで応援いただけると、執筆の大きな励みになります。
今後ともよろしくお願いいたします。




