第四十話 亡名の始祖
「……須藤典膳……」
その名を呪いのように沙苗の声がなぞる。
「須藤家の家系図には、そんな名前を見たことはないわね……」
朱禰が怪訝な表情を浮かべ、細い指先で酒杯を揺らす。
その瞳は、当主の器として叩き込まれた膨大な知識の棚をひっくり返し、一族の記録を思い返していた。
だが、導き出される答えは無だ。
「始祖から現在に至るまで、須藤の血脈にその名は存在しない。偽名か……或いは……」
「どこまでも優しく、どこまでも高潔な男……それが、俺の弟だった典膳だ」
シンの言葉が、朱禰の推測を真っ向から否定し、実在した一人の男を肯定した。
かつて、信鷹という名の侍だったシン。
その背筋が、数百年の時を超えて、主君を戴く武人のそれへと正される。
「俺は見ていた。鬼として……ヒトで在ろうとする前の俺は、ただ……その末路を見ていた」
來の声が、消えゆく紫煙と静かに重なる。
その視線は、書斎の奥にあるはずの存在しない記憶を射抜いていた。
「……あいつとの約束を違えぬためにな。俺は陰からあの一族が辿る地獄を見守り続けた。それが俺の唯一の、興だった」
「來様がヒトになろうとしたきっかけがあるってことなんですか。その、須藤典膳っちゅう人は」
蒐が、いつもの軽薄な笑みを完全に消し、來の横顔を覗き込む。
最凶の鬼を面倒くさい客として繋ぎ止めた記憶。
そして、須藤典膳という亡名の存在。
点と点が、凄まじい熱量を持って繋がり始める。
「……須藤家は、一度……滅んでいる」
來の唇から漏れた一言に、一同は息を呑んだ。
囲炉裏の火が爆ぜ、灰が舞う。
「滅んだ……?だって、現にあたしたちがこうして……」
沙苗の問いに、シンは答えなかった。
ただ、悲哀と慈愛を混ぜ合わせたような複雑な表情で、視線を盃の底に落とした。
そこにあるのは酒ではなく、飲み干せぬほど苦い過去の残滓だ。
誰もが、その空白の歴史の存在を知った。
その傍らで、紅葉だけは静かに、誰にも気づかれないほどの哀しみと深い愛情を、その澄んだ瞳の中に映していた。
まるですべてを……滅びの瞬間さえも、その身に刻んできたかのような眼差しで。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
『輪廻の瑕疵』は、毎日18:00に更新予定です。
※本作は「カクヨム」にも重複投稿しています。
もし「沙苗と來のコンビが良いな」「先が気になる」と思ってくださったら、
評価、ブックマークで応援いただけると、執筆の大きな励みになります。
今後ともよろしくお願いいたします。




