第三十五話 須藤家の女王
「ていうか……どうやって灰色を消し去るっていうのよ? 一番大事なところをすっ飛ばして消えるんじゃないわよ!」
書斎を出た沙苗の叫びが廊下に響く。
隣を歩く蒐は、冷や汗を拭いながら苦笑いを浮かべた。
「まぁ、道源らしいといえばらしいですわ……でも、こればっかりは朱禰さんに聞いてみるしかありませんなぁ」
「……行くしかないだろう」
來が短く促す。
一行は、牛鍋処『ゆず』の奥にある、田中の婆の住まいへと急いだ。
「あら、いらっしゃい。ふふっ……幽霊にでも会った顔をしてるわね」
目の前の朱禰は部屋の炬燵でシンを膝に乗せてくつろいでいた。
田中の婆――須藤朱禰が、いつもと変わらぬ穏やかな声で迎えた。
真実を知った今、沙苗には彼女を覆う色の不自然さがはっきりと見えていた。
それは、世界を停滞させる重く澱んだ灰色の理。
「朱禰さん……全部、聞いたわ。あなたがあたしの代わりの器として、三十年も自分を殺して生きていたって」
沙苗が右手を掲げる。
その手のひらには、揺らめく緋色の炎。
「消し方は分からない。でも、父さんは緋色で灰色を消せって言った」
沙苗は迷いなくその手を朱禰の胸元にかざす。
その瞬間。
緋色の炎が灰色の理と衝突した。
目に見えない鎖がゆっくりと砕ける音が響く。
停滞が緋色の意志に上書きされていく。
古い殻が剥がれ落ちるように、灰色の霧が霧散していく――
その霧の向こうから現れたのは、腰の曲がった老婆ではなかった。
「……ようやく、この重みを脱げたわね」
立ち上がったのは、三十年前の姿を取り戻した須藤朱禰。
艶やかな黒髪を背中に流し、切れ長の瞳には知性と強烈な色気が宿っていた。
「なっ……!?」
沙苗が絶句する。
真の天才としての凛とした須藤家の女王の姿。
自分よりも遥かに格を感じさせる、圧倒的な風格。
「……ようやく本来の鋭さを取り戻したか」
シンがええ声で満足げに喉を鳴らす。
「あはは! 沙苗! そんなに驚かなくてもいいじゃない。道源兄さんの無茶振りに付き合うのは須藤家の女の宿命みたいなものよ?」
朱禰はケラケラと、少女のように、或いは道源のように笑った。
「兄さん、相変わらず説明不足だったでしょ。感じろとか脳筋なこと言わなかった?」
「……言ったわ。一字一句違わず」
沙苗が呆れて肩を落とすと、朱禰は再び笑う。
細く白い指先で沙苗の頬に触れた。
「合格よ、沙苗。あなたが緋色を繋いでくれたおかげで、私もようやく須藤朱禰として生きていけるわ」
止まっていた時が、本当の意味で動き出そうとしていた。
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『輪廻の瑕疵』は、毎日18:00に更新予定です。
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