第二十六話 色なき停滞と灰色の観測者
「停滞を食い破るのがなんで問題なのよ。それに、今の世界に灰色が混じってることの方がよっぽど不自然じゃない」
沙苗の問いに、シンは空になった盃を見つめ、静かに、けれど重厚な声で返した。
「……輪廻と、因果だ」
シンの瞳は、目の前の壁を通り越し、ここではないどこか。遠い時間の果てを見つめていた。
「灰色の世界……そこには停滞がない。死という因果すら存在しない……緋色はおろか、白と黒の対立すらも溶け合った世界だ。そこには何も起こらず、ただ、在ることだけが許される。それが灰色の理だ」
紅葉が沙苗の袖をそっと引き、言葉を継いだ。
「この世界に灰色が存在するのは、ここがまだ二つの色が混ざり合う余地のある世界だからです……そこには私と同じように、灰色の観測者が存在していました」
「存在して……いた?過去形なの?」
沙苗が眉をひそめる。
紅葉は悲しげに瞳を伏せた。
「はい。今はもう灰色の世界には存在していません……彼女は……灰色の観測者だった彼女は、自ら……輪廻の鎖になろうとしたのです」
「……輪廻の鎖……」
來が低く呻くように問い返す。
「死という概念のない、永遠に変わらない灰色の世界……彼女はそれを呪ったのか、あるいは愛したのか。停滞した世界に終わりと始まりを齎すために、自らの存在で色を着けようとした……停滞を破壊する、因果の歯車になろうとしたのです」
シンが『鬼殺す』の残香を惜しむように鼻を鳴らした。
「……だが、その残滓がこの世界に灰色として混ざり込み、今の理を作った。そして沙苗、お前が顕現させた緋色は、彼女が成し遂げられなかった停滞の打破を、もっと暴力的な形で引き起こす可能性を秘めている」
「あたしの力が、灰色の停滞を壊す……」
沙苗は自分の掌を見た。
温かい、血の通った緋色の輝き。
それが、死のない世界に無理やり死と生の循環を叩き込む劇薬だという。
「……彼女は今、どこにいるの?その……灰色の観測者は……」
沙苗の問いに、紅葉は静かに首を振った。
「分かりません。鎖の一部となり、あらゆる罅に散らばった彼女は、今や誰にも観測できない……けれど沙苗様、あなたが緋色を強く輝かせれば、散らばった彼女の破片が、再び一つに集まってしまうかもしれない」
「……それが、灰色の世界の復活か。あるいは、今の世界の塗り替えか……」
蒐が冷や汗を拭いながら呟いた。
牛鍋の湯気が、一瞬、灰色の霧に見えた。
沙苗が手にした緋色は、ただ身を守るための力ではない。
それは、かつて一人の観測者が命を賭して切望したもの。
終わりのある世界を取り戻すための、色彩。
沙苗たちは、そのあまりに重すぎる継ぎを握らされていた。
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