第二十三話 侍の矜持と犬の本能
「……で、つまりなんや……この嬢ちゃんは、沙苗様の緋色によって生まれた概念で、このわん公は須藤信鷹いう緋色の護り手らしいわ……信じられへんと思うけど」
蒐が肩の力を抜ききれないまま問い返す。
牛鍋処『ゆず』への道すがら、蒐は頭を抱えながら沙苗に報告する段取りを考えていた。
「嬢ちゃんの名前、沙苗様に決めてもらった方がええんちゃうかな……緋色を作った張本人やし。その方がこの子も納得するやろ」
「……ああ。そうだな」
來は短く答えたが、その視線は隣を歩くシンに注がれていた。
見た目は柴犬。
歩き方も圧倒的に柴犬。
だが、放つ才気だけが数多の戦場を潜り抜けた兵のそれだった。
店に着くなり、蒐が暖簾をまくって叫んだ。
「沙苗様!柚さん!田中の婆》の犬、見つけましたわ!……見つけたいうか……遭遇したいうか……」
台所から顔を出した沙苗と柚は、蒐の背後にいる真っ白な振袖の少女を見て怪訝な顔をした。
「……何よその子。迷子犬を探しに行って、迷子の女の子を拾ってきたの?」
「いや、それがですね……」
蒐の説明は支離滅裂だった。
シンを探していたら月の輪熊が出てきて、シンが空を飛び、少女の肩に降り立ったという。
挙句の果てに、ええ声で世界の理を語り出したのだと。
「……蒐。あんた……疲れて脳が緋色に焼かれたんじゃない?」
沙苗が冷ややかな視線を送る。
「そうだよ、蒐。熊はともかく、犬が飛んで喋るなんて。うちの牛鍋に熊の手を入れるくらいありえない話さ」
「いや、ほんまなんですって!來様も何か言うてくださいよ!」
その時だった。
スッ、と。
柚の足元に、件の柴犬が音もなく佇んだ。
その犬は、ただ遠くの地平線を見つめるような哀愁を漂わせ、口を開いた。
「――女将。牛鍋、葱抜きで一つ……あと、この盃に『鬼殺す』の澄酒を頼む」
『っっっっ!?』
店内の時間が、物理的に止まった。
柚は手に持っていたお玉を床に落とした。
静寂に響くその音は、万物すべてを拒絶する慟哭にも似ている。
沙苗は飲んでいた茶を盛大に吹き出した。
今、このモフモフした生き物の口から出たのは、場数を踏んだ大人の男でも躊躇するような、あまりにも重厚な酒豪のそれだった。
「…………ええ声ぇぇぇぇぇ!?!?!?」
沙苗の絶叫が店内に木霊する。
「な、なによこの声……!渋すぎるでしょ!?てか『鬼殺す』て何よっ!どこの杜氏の叫びよ!!犬が盃で乾杯っ!?」
「……ふん……葱はこの体が受け付けん……沙苗、そう怯えるな。知らない仲じゃなかろう?俺はただ、この騒がしい世界を少しばかり楽しもうと思っているだけだ」
シン――もとい、須藤信鷹は、ええ声でそう告げると、ちょこんと椅子に座った。
その隣では、謎の概念少女がニコニコと微笑みながら、混乱の極致にいる沙苗を見つめている。
「……蒐……これ、どういう状況……?」
「……俺に聞かんといてください……俺が一番……この声のせいで耳が孕みそうや……」
理の門番であり、緋色の護り手。
世界の観測者。
そんな壮大な存在たちが、牛鍋屋で夕餉を待つ。
沙苗が望んだ日常は、もはや彼女の想像を遥か斜め上に追い越し、混沌という名の色を帯びて走り出していた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
『輪廻の瑕疵』は、毎日18:00に更新予定です。
※本作は「カクヨム」にも重複投稿しています。
もし「沙苗と來のコンビが良いな」「先が気になる」と思ってくださったら、
評価、ブックマークで応援いただけると、執筆の大きな励みになります。
今後ともよろしくお願いいたします。




